夢の超音速旅客機「コンコルド」が商業的失敗に終わってしまった理由とは
By Jane Carnall
音速の2倍もの速さで空を飛ぶ超音速旅客機「コンコルド」は、2003年に全機が退役して全ての商業飛行が終了しています。「飛行機での移動時間を半分にする」という大きなメリットを持ちながらも、結果的にコンコルドが商業的に「失敗」となってしまった理由がVoxのムービーにまとめられています。
This plane could cross the Atlantic in 3.5 hours. Why did it fail? - YouTube
細く突き出て離着陸時には折れ曲がる機首、細くスリムな胴体と大きな三角形の翼という形状が大きな特長を持つ旅客機がコンコルドでした。
コンコルドが乗客を乗せて商業飛行を開始したのが1969年1月12日のこと。それから36年後の2003年11月26日までに、全てのコンコルドが最後のフライトを終えて全機が退役しました。
コンコルドが投入された代表的な路線が、ニューヨークとロンドン、またはパリを結ぶ大西洋路線でした。ニューヨークからロンドンまでジェット旅客機で移動する場合、2016年時点の旅客機ではおよそ7時間のフライト時間になりますが……
コンコルドは、その半分の3.5時間しかかかりません。これこそが、音の2倍の速さで飛ぶ超音速旅客機「コンコルド」だけが成し得る最大のメリットとなっていました。
ちなみに、同じ区間を豪華客船「タイタニック号」で移動すると、その時間は137時間。およそ6日間です。
映画「タイタニック」の上映時間は3時間15分。つまり、ちょうどタイタニックの映画1本分の時間で、コンコルドはニューヨークからロンドンまで到達してしまうということになります。
まるで白鳥が羽根を広げるように、大きな翼を見せながら着陸するコンコルド。その姿は一般的な旅客機と比べてもまったく異なるもの。この姿から、コンコルドは「怪鳥」と呼ばれることもありました。
全機が退役したいま、コンコルドは世界のいくつかの場所で機体が展示されています。アメリカ・ワシントンにある国立航空宇宙博物館もそのひとつ。
同館で学芸員をつとめるリンデン氏は、コンコルドに乗ったことがあるそうです。通常の旅客機の2倍の高さを飛ぶコンコルドからの眺めは特別なようで、「高度6万フィート(約1万8000メートル)から見る空は深い紫色で、とてもゴージャスな光景でした」と語っています。
コンコルドは「SST」と呼ばれるジャンルに属する機体です。SSTは「SuperSonic Transport」の略で、その意味は音速を超える全ての輸送手段を意味する「超音速輸送(機)」。
1947年にアメリカの軍人チャック・イェーガーが最初に「音の壁」を超えて以来、超音速機は多くの人の夢となっていました。
2倍の速さで人とモノを運ぶ超音速機は、航空会社にとって「輸送効率を2倍にする」というメリットを持つとされ、各国で盛んに研究開発が進められました。
アメリカではボーイングが主となってSSTの開発が進められていたほか、後にコンコルドを誕生させたイギリス・フランス共同の開発チームも研究を進めます。
しかし、実際にSSTを世界で初めて飛行させたのは、ソ連でした。ツポレフ設計局が開発した「Tu-144」はコンコルドよりも2か月早い1968年12月31日に初飛行を実施。ただし、その外観などから「スパイによるコンコルドのコピー」とも呼ばれており、冷戦時代に繰り広げられた熾烈な情報戦が垣間見えるものとなっています。
ちなみに、アメリカ陣営はSSTによるメリットを再評価した結果、開発計画を凍結。初めて商業飛行を成功させたのはコンコルドでした。超音速飛行時には機体に大きな負荷がかかります。空気抵抗による発熱で、主翼の前端はセ氏105度にまで加熱されます。
機首の先端に至っては、127度にまで達します。このため、超音速飛行中のコンコルドは熱で機体長が20cmも長くなり、客室の窓は触り続けることが難しいぐらいに熱くなっていたそうです。
水平尾翼を持たないコンコルドは、機体姿勢の制御のために燃料を複数の燃料タンクの間で移動させることで、機体のバランスを変化させるという手法を取り入れていました。
超音速に達すると、翼や機体にかかる空力の特性が変化します。この変化に対応するため、燃料を機体後方にポンプを使って移動させることで、空気抵抗を生む「トリム」を行わずに最適な機体姿勢を可能としていました。
コンコルドで特徴的だったのが、機体の仰角(傾き角度)を大きく取った状態で行う着陸動作でした。あまりに仰角を大きく取るために、通常のノーズではパイロットが何も見えなくなります。そこでコンコルドは、先端が折れ曲がる「Droop Snoot (日本では"ドループ・ノーズ"とも)」が採用されていました。
これらの機構、そして強力なジェットエンジンを4基搭載することで、コンコルドは巡航時速2146kmという高速性を実現。これはなんと、地球が自転するスピードを上回ります。理論上は、西向きに飛び続けるといつまでたっても同じ時刻であり続けるという不思議な状況が生まれます。
客室前方には、飛行中のマッハ数と高度を表示するディスプレイも装備。
マッハを超えて商業飛行する旅客機はコンコルドしか存在しませんでした。全機が退役したいま、軍用機以外で民間人が音速を超える手段は存在していません。
非常に細長い胴体となっているため、座席は一般的なエコノミークラスと同じぐらい。それでも、コンコルドは全ての座席が「ファーストクラス扱い」かそれ以上のランクに位置づけられていました。
そのため、機内サービスや乗務員のおもてなしも、それ相応のクオリティが求められることに。他の旅客機にはない、コンコルド専用のサービスが提供されていたとのこと。
また、コンコルドを利用していた、あるいは利用できたのは、富裕層がほとんど。有名ミュージシャンのスティングもそんな1人としてムービーに登場しています。
機内で提供される食事も、ファーストクラスを超える豪華なものだったそうです。
そんなコンコルドに大きな転機をもたらしたのが、2000年にパリのシャルル・ド・ゴール空港で発生したエールフランスが運航するコンコルドの墜落事故でした。この事故では乗客・乗員、そして地上で巻き込まれた合計113人が亡くなるという大惨事となりました。
事故の原因は、コンコルドの前に離陸した旅客機が落とした部品をコンコルドの前輪が跳ね上げ、翼の燃料タンクに穴を開けたことでした。離陸中に翼から出火したコンコルドはそのまま離陸に失敗し、地面に墜落・炎上しました。この事故を重く見たエールフランスはコンコルドの運航を即日停止、そして同じくコンコルドを運航していたブリティッシュ・エアウェイズも約1か月後に運航を停止しました。
その後、燃料タンクの補強などを行ったコンコルドは運航が再開されましたが、2001年に発生したアメリカ・ニューヨークの同時多発テロの影響により、航空業界の収益性が大きく悪化。そんな状況の中、運航に多くのコストがかかり、収益性の面で劣るコンコルドは、存在が危ぶまれることになりました。
コンコルドが抱えていた問題は、高コスト体質にとどまりません。最大の問題の1つが、超音速飛行時に発生する大音響、ソニックブームの存在でした。
ソニックブームは、音の壁を越えるときに機体先端などで発生する衝撃波により発生します。高いエネルギーを持ち、高い上空で発生した衝撃波でも地表にほぼそのままの状態で伝わることで大きな騒音被害をもたらします。
その様子は以下のムービーで確認が可能。55秒あたりからは、大西洋上を超音速飛行するコンコルドが起こした衝撃波が海上に到達して「バーン!」と大きな爆発音をとどろかせている様子を見ることができます。
Concorde Take Off, Sonic Boom - YouTube
深刻な騒音被害が発生するため、アメリカの航空当局はアメリカ上空におけるコンコルドの超音速飛行を全面禁止することに。当初、広大なアメリカ大陸での運用を目論んでいたコンコルドでしたが、この禁止措置によりその後の運命が大きく狂ったといわれています。
また、高高度を飛行することによる環境に与える影響も看過できないとされていました。通常の旅客機よりも高い高度で大量の排気ガスを出しながら飛行することで、オゾン層に深刻な影響を与えると指摘されていました。結果的に、実際に運航されたコンコルドは20機に及ばなかったため、影響のほどは定かではありません。
また、高い運賃もコンコルド普及の大きな足かせになっていたとも。コンコルドに乗るためには当時100万円以上ともいう運賃が必要で、一部の富裕層を除いて誰でも気軽に乗れるというものではありませんでした。
この高価格の理由は、1機あたりの乗客数の少なさも原因となっていました。一般的な大型クラスの旅客機では250名程度の乗客を1度に運ぶことができますが、コンコルドの座席数は小型機並みの100席あまり。そのため、ただでさえお金がかかるコンコルドの運行コストを100人の乗客が負担することとなり、高価格化に拍車がかかっていました。
また、問題発生時に対応するためのバックアップ機材の確保も高コスト化を加速させます。バックアップ機は文字どおり地上で「待機」させる必要があるのですが、これは航空会社にとっては最も避けるべき「お金を生まない(=運賃が発生しない)時間」が発生することを意味します。地上で何もしないまま遊ばせておくコンコルドを用意しなければならないという状況も、コンコルドの収益性に大きな影響を与えたと言われています。
これらの状況に加え、機体の高齢化に伴うメンテナンスコストの高騰や燃費の悪さなどから、徐々に「コンコルドの退役もやむなし」という見方が主流となります。
そしてついに2003年11月26日、最後のコンコルドがロンドン・ヒースロー空港に着陸して、1つの歴史に幕を降ろしました。
SST計画から時代は進み、新たな技術を導入した超音速機の構想がたびたび取り上げられることもあります。しかしこれらの計画が実行に移されるためには、経済性の課題をクリアすることが重要。いくら技術に秀でた機体を開発したとしても、商業的に成立するビジネスモデルが存在しないことには、その存続は非常に危ういものになると言わざるを得ません。
そんな中、イギリスではコンコルドを再び飛ばそうという民間プロジェクトが立ち上がっています。2020年までの再飛行を目指していますが、実現までにはまだまだ問題が残されている模様。とはいえ、人類が作り上げた歴史的遺産が再び動く姿をひと目見てみたいという希望を膨らませずにはいられません。
「怪鳥」コンコルドを2020年までに再び空へ飛び立たせるプロジェクトが進行中 - GIGAZINE
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