40年以上もシベリアの奥地でひっそり暮らし第二次世界大戦の存在すら知らなかった「ルイコフ一家」
1930年代にソ連当局からの迫害から逃れるために、人里離れたシベリアの森の奥深くに逃げた「ルイコフ一家」は、40年以上の間、世界とのつながりを一切絶った状態でひっそりと生活を続けていました。過酷な環境の中、世間と隔絶した生活は、深い信仰心がもたらしたようです。
For 40 Years, This Russian Family Was Cut Off From All Human Contact, Unaware of World War II | History | Smithsonian
http://www.smithsonianmag.com/history/for-40-years-this-russian-family-was-cut-off-from-all-human-contact-unaware-of-world-war-ii-7354256/
1978年、ロシアのシベリアで地質調査をするために飛行中のヘリコプターがタイガが生い茂るシベリアの密林で、着陸する場所を探している途中にわだちのようなものを発見しました。クルーたちは形や大きさを検討した後に、人間が居住用に作った庭ではないかという結論に達したとのこと。しかし、この場所は、最も近くの人里から150マイル(約240キロメートル)以上も離れた僻地であり、当時のソ連当局が住人を把握していない場所だったため、非常に大きな驚きを与えました。
野生動物以上に危険な存在ととらえられた人間を探索するために、科学者たちはその場所から10マイル(約16キロメートル)ほど離れた場所に拠点を構えて調査がスタートしました。調査をリードした地質学者のガリーナ・ピスメンスカヤ氏は、探索は晴れた日を選んで行い、友好を示すための贈り物を片手にしつつも、ピストルを携帯していたそうです。調査ではジャガイモを乾燥させている樹皮でできた容器など、人間の活動する痕跡が見つかり始めたとのこと。そして、ついに小川のわきに建つ小屋をピスメンスカヤ氏は発見しました。
ビスメンスカヤ氏が低い場所に取り付けられたドアを開けると、突然、目の前に裸足の老人が現れたとのこと。やや怯えるように見えた男性の老人に対してビスメンスカヤ氏が、「こんにちは、おじいさん。あなたを尋ねてきました」と呼びかけたところ、しばらく間をおいてから、「はるばるここまで来られたのです、中へお入りください」と老人は話したそうです。
案内されたピスメンスカヤ氏が小屋に入ると、床にはジャガイモの皮とナッツの殻が敷かれており、薄暗いこの小さな部屋で5人家族が暮らしていることをピスメンスカヤ氏は知りました。しばらくの沈黙の後、中にいたある女性はヒステリックに叫びだし、またある女性は「神様。私たちの罪です。私たちの罪です」と祈り始めたとのこと。小さな窓から入る光で照らされた二人の女性の恐怖が浮かぶ目を見たとき、ピスメンスカヤ氏はできる限りすばやくそこから退去しなければいけないと気づいたそうです。
科学者一行は急いで小屋から数メートルはなれた場所に待避したところ、約30分ほどして小屋のドアが開き、老人と二人の女性が近づいてきました。まだ用心深く、恐怖がぬぐいされない目をしながらも、非常に好奇心に満ちた不思議な様子で、なんと「私たちはそれを許されていません」と小さくささやきながらプレゼントとして渡したパンとジャムを返したそうです。ピスメンスカヤ氏が「あなたはパンを食べたことがあるのですか?」と尋ねると、老人は「私は食べたことがあります。ですが、彼女たちは食べたことはありません」と述べたそうです。
科学者たちが時間をかけてこのシベリアのはずれにある小屋をたずねたところ、老人の名はカープ・ルイコフ氏で、17世紀から変わらないロシア正教会古儀式派の信仰を持つ男性だと分かりました。ピョートル大帝時代から迫害されてきた宗派の歴史をすらすらと話すルイコフ氏は、当時のソ連が行っていた宗教弾圧を受けていたとのこと。1936年に共産党の秘密警察に兄弟を射ち殺されるという事件のあと、家族をつれてシベリアの森に逃げ出したそうです。
当時ルイコフ氏は、妻、9歳の息子と2歳の娘を連れて4人で逃げ出しました。シベリアの森を切り開き小屋と作物を栽培したルイコフ一家は、1940年、1943年に大自然の中、新たな子どもをもうけています。しかし、1950年代後半には食料となる動物を捕らえることがなく、またニンジンなど栽培していた野菜を野生動物に荒らされるなど、食糧不足の時期を迎えたとのこと。そして、子どものために食料を分け与えていたルイコフ氏の妻は1961年に死亡したそうです。
粘り強くルイコフ一家を訪れた科学者一行が持っていた透明セロハンを見た子どもたちは、「ガラスなのに曲がる」と興味を示したとのこと。遠く、世間から隔絶された山奥で暮らしていたルイコフ一家は1936年から発見されるまでに世界で起こっていたことをまったく知らず、第二次世界大戦とも無縁の生活をひっそりと送っていました。しかし、聖書を学習することで子どもたちはみな読み書きができたとのこと。「暗い荒野に一人で出ると怖くないの?」と尋ねる調査員に対して、「私を傷つけるものがここにはあるでしょうか?」と答えたそうです。
「下界」との接点を回復したルイコフ一家でしたが、1981年には4人の子どものうち3人が栄養失調や肺炎で死亡したとのこと。子どもたちを救おうと、救急ヘリコプターの要請を受けたルイコフ氏は、「人はみな神の許しのもと生きているのです」と述べ、申し出を拒絶しました。2人家族になったルイコフ氏は町に移り住むように説得されましたが、断固として拒否。1988年2月16日についにルイコフ氏は息を引き取ったとのこと。この日はルイコフ氏の妻の命日の翌日だったそうです。ただ1人となったルイコフ氏の末の娘・アガーフィアさんは、依然としてシベリアの森の奥での生活を続けています。
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in メモ, Posted by darkhorse_log
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