ソ連で生まれたパズルゲームの王様「テトリス」はどうやって誕生したのか?
By FHKE
フランチャイズを含めると、「テトリス」関連ゲームタイトルは世界中で7000万個以上売れ、モバイル端末からダウンロードされた数は1億件を超えます。そんな世界屈指の人気ゲームであるテトリスの生みの親であるアレクセイ・パジトノフ氏はどのような人物で、どうやってテトリスが誕生したのか、ということにMotherboardが迫っています。
The Man Who Made 'Tetris' | Motherboard
http://motherboard.vice.com/read/the-man-who-made-tetris
世界的に有名なパズルゲームの「テトリス」を開発したのは、ロシア人ゲーム開発者のアレクセイ・パジトノフ氏です。パジトノフ氏は、冷戦時代に人工知能(AI)や音声認識に関する研究を行っていた科学者でもあり、「ヨッシーのクッキー」というパズルゲームに携わった人物でもあります。
ヨッシーのクッキー(CM) - YouTube
パジトノフ氏は、旧ソ連時代にソビエト社会主義共和国連邦科学アカデミー(現在のロシア科学アカデミー)で働いていました。職場は非常に狭く、4、5人が働ける位のスペースで15人が一緒に働いていたそうです。また、他に労働スペースがなかったため、「私は自分の机を他の3人と一緒に使っていた」とパジトノフ氏は当時の狭苦しい職場について語っています。
パジトノフ氏はこの狭い職場でAIや音声認識に関する研究を行っていました。当時の科学アカデミーの科学者は、「自分たちが何につながる研究を行っているのか」を知っているわけではありませんでした。しかし、どのようなものに研究が使われたのか、という噂はあったそうです。当時の科学アカデミー内で出回った噂には、「髙重力下にて戦闘機をハンズフリーで操作できるようにするため音声認識技術が採用された」というものがあり、これはパジトノフ氏の音声認識に関する研究成果だったのでは、とパジトノフ氏本人が語っています。
テトリスの生みの親であるアレクセイ・パジトノフ氏はこんな人。パジトノフ氏のロシア式ハグはとても強烈だったそうで、「彼は男女構わず、あいさつの際には唇にキスをしてきた」と、古い同僚であるスコット・ツムラ氏は語っています。
By JoePhilipson
そんなソビエト社会主義共和国連邦科学アカデミー在籍時代、パジトノフ氏はAIや音声認識の実験やテストを行うために、プログラミング言語のひとつであるパスカルで用いてゲームを開発したそうです。この時に作成したゲームのいくつかは、Microsoft Entertainment Packの中に収録されているそうで、その中にはテトリスも含まれています。
Microsoft Entertainment Packがリリースされたのは1989年ですが、テトリスがソビエト社会主義共和国連邦科学アカデミーから公式にリリースされたのは1984年の6月でした。しかし、さらにその前から科学アカデミー内のロシア人科学者やコンピューターオタクの間でテトリスは流行しており、フロッピーディスクに保存されたテトリスのデータが多くのロシア人インテリ層の手に渡っていたそうです。
そんなテトリスが世界中に広まるきっかけとなったのは、1988年にラスベガスで開催されたコンシューマー・エレクトロニクス・ショー(CES)のことで、この展示会場でゲームメーカーのビーピーエスの創立者であるヘンク・ブラウアー・ロジャース氏の目に止まります。そして、翌年の1989年にはビーピーエスからアメリカでのテトリスの販売がスタートしています。
なお、テトリスが日本に上陸したのは1988年のことで、日本国内でテトリスの人気が爆発的に高まったのは同年にセガから発売されたアーケード版のテトリス(セガテトリスとも呼ばれる)によるところが大きいといわれています。
[AC]SEGA テトリス Tetris - YouTube
世界中で大ヒットとなったテトリスですが、パジトノフ氏がテトリスを開発した際に在籍していたソビエト社会主義共和国連邦科学アカデミーは国営機関であり、テトリスは業務時間中に政府のコンピューター上で作られたものであったため、テトリスとそれに関するさまざまな権利はすべてソ連が所有することとなりました。そういうわけで、テトリスの大ヒット後もパジトノフ氏に莫大なお金が入ってくるということはなく、パジトノフ氏自身は1990年にアメリカに移住してビーピーエスに入社することとなります。
By Rasmus Fritzon
ソ連崩壊後、複雑な法的プロセスの末に1996年になってテトリスに関する権利がパジトノフ氏の元に戻ってきました。それと同時期にパジトノフ氏はMicrosoftに入社し、アイデアマンとしてゲーム関連のプロジェクト立案を担当していたそうです。
パジトノフ氏の入社後、MicrosoftはXboxの開発を始めます。このことについてパジトノフ氏は「私にとっては不運なことだった。私が興味を持っているのはパズルゲームでした。しかし、Xboxはパズルゲーム向けのハードウェアではありませんでした。私はMicrosoftで働き続けられるように、自分が携わることができるような平和的なゲームタイトルを探しました。だって私はシューティングゲームが嫌いですから」とパジトノフ氏は語ります。
さらに、「Microsoftはあまりゲームが得意ではなく、ゲームの本質を理解していませんでした。また、ゲーム開発に十分な専門家もおらず、必要な人材を雇おうともしていませんでした。なので、Xbox開発の初めの2、3年は完全に大失敗で、いくつものプロジェクトをスタートさせては取りやめ、良いプロジェクトも悪いプロジェクトもごちゃ混ぜ状態でした」と、当時を振り返っています。そんな時期にパジトノフ氏が立案したPC向けパズルゲームのプロジェクトは全て却下されてしまったそうで、この理由は「Xboxで動作するゲームが必要」とMicrosoftの社内では延々とつぶやかれており、PC向けゲームは見向きもされなかったから、とパジトノフ氏は言います。
そんな苦しいXbox黎明期をMicrosoftで過ごしたパジトノフ氏ですが、2001年にXboxから「Halo」がリリースされてからはMicrosoftのゲーム部門もかなり変わった、と述べています。
By Patrick Q
ドットコムバブルがはじけた後の2005年、パジトノフ氏はMicrosoftを退社していますが、退社後にMicrosoftと短期契約でXbox 360向けのHexicというパズルゲームの開発に取り組んでいます。
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