改めて振り返ってみる「中国と香港・マカオ」をめぐる歴史と今後の流れ
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アジアの経済と物流の中心地である香港、そして「カジノの中心地」と呼ばれるマカオはそれぞれ別の国と捉えられてしまうこともありますが、実際には1つの中国に属している「特別行政区」というのがその正式な分類・名称です。一つの国でありながら別々の制度が存在するという不思議なかたちを持つ3者の関係ですが、以下のムービーではその歴史を改めて確認することができます。
Are Hong Kong & Macau Countries? - YouTube
中華人民共和国(中国)の特別行政区の一つである香港は、中国南部にある華南の珠江デルタに位置し、大小の島々で構成されている都市です。
狭い領土には人口700万人が暮らしており、多くの住民は香港名物とも言える細長い高層ビル「ペンシルビル」で生活を送っています。
香港は、ロンドン・ニューヨークと並ぶ世界三大金融センターの一つと評されており、古くからアジアにおける金融・流通の要所とされてきました。
そんな香港ですが、“国境”を隔てた中国とは中心地からでもわずか1時間の位置関係にあります。
香港は中国の一部でありながら、お互いを往来する際にはパスポートを提示する必要があります。
これは香港が独自の制度を認められている特別行政区で、パスポートが中国とは別物なため。
同じことがマカオにも言え、それぞれの地域を行き来するときにはパスポートを持って出入国検査場を通る必要があります。
そのため、同じ「中国」でありながら、お互いの間を移動するたびにパスポートにスタンプが押されるという事態に。
また、区分上は同じ「国」でありながら、自分の地域以外に住む場合には許可を得る必要があるという特殊な様相を呈しています。
3つの地域はそれぞれ政府、警察機関、通貨、教育、そして言語が別々に存在しています。
香港に至っては、独自のオリンピックチームを結成していたりもします。
そんな香港とマカオですが、持ち合わせていないものが「軍事力」と「外交」です。
双方ともWTO(世界貿易機関)には加盟するものの、中国領の関税領域としての位置づけとなっています。
また、中国は大使が駐在する「大使館」が置ける(大使館の名称が使える)のに対して、香港とマカオが置けるのは「領事館(総領事館)」。
この制度のことを中国では「1つの中国、2つの制度(一国二制度)」と呼んでいますが……
マカオや台湾の存在などを考え、「4つの制度」や「5つの制度」とする考え方も存在しています。
これは全て、かつては世界を支配していた列強国による「帝国主義」を発端とするものです。
西暦1500年半ば、当時は世界にその勢力を広げていたポルトガルがアジアにその食指を動かします。
1550年頃にポルトガルはマカオの永久居留権を獲得、後の1850年頃にはマカオを完全な植民地とするに至ります。
一方の香港では、1700年頃を境にイギリスとの交易が始まります。シルクや陶磁器、そして何よりも良質の茶葉が大量にイギリスに向けて輸出されることになり、イギリスは膨大な貿易赤字を抱えるようになります。
この赤字に悩まされていたイギリスは、当時の植民地であるインドで栽培したアヘンを香港に密輸することによる莫大な売上で赤字を相殺しようと画策。しかし、これに反発する当時の清政府は、持ち込まれたアヘンを強制的に処分。このことに端を発するアヘン戦争が勃発することになります。
イギリス国内でも「最も不名誉な戦争」と評されたアヘン戦争ですが、最終的にはイギリスが勝利を収めることに。その結果、1842年に締結された南京条約により、香港島はイギリスに永久割譲されることとなったのです。
その後の第2次アヘン戦争、そして西欧列強による中国への圧力が高まる機運を利用したイギリス政府は清朝と交渉を実施。その結果、1898年には現在の香港全土にあたる地域を99年にわたって租借することになりました。これは「ほぼ永久」と言える期間を示すものとなっており、期限後の対応が後の世代に先送りされるものとなりました。
それ以来、香港はイギリスの統治のもと、そしてマカオはポルトガルの統治のもとで発展していくこととなり、今でもその色合いを濃く残しています。
特に香港は金融や文化の面で大きく影響を受けていると言われています。
香港の中心部では英語が広く使われており、公共施設などでは必ずと言っていいほど中国語(広東語)と英語が併記されています。
また、マカオはカジノなどの娯楽の場として発展をとげることに。
「世界のカジノシティ」としてラスベガスをしのぐ規模を誇るに至っています。
そして街の中には、ポルトガルと中国の影響が残されています。
しかし、月日は流れてイギリス・ポルトガル両国による統治の時代が終わろうとした頃……
租借期限の延長が交渉の場に持ち込まれましたが、これに対して中国は「ノー」を突きつけます。
また、世界からも帝国主義的な思想は排除される時代となっていました。
香港・マカオ両地域を中国へ返還する機運が高まるにつれ、住民の間では「中国に取り込まれる」ことへの不安も高まりを見せます。中国政府はこれに対し、両地域に自治を認めることで領地返還への道筋をつけていきました。
しかしこれは、例えるならロシアが自治を認めた上で、アメリカがアラスカ州をロシアに譲渡するようなもの。当然のように住民の間には不安が残ることになり、現在ではその不安はむしろ高まりを見せているほどです。
紆余曲折を経て、香港は1997年7月1日に、マカオはその2年後の1999年12月20日に中国に返還されました。このとき、中国は両行政区に対して50年間の自治を保障していますが、その後の対応はまたもや後世に先送りにされることに。
それから50年を経た2040年代後半には、再び両地域の帰属をめぐる議論が高まりを見せることになると予想されています。
その答えを持っているのは中国政府のみ。しかし、中国政府はこのことについて何も語ってはいません……。
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