ファミコンが他社ハードを次々と撃破、ゲームハードの戦いの歴史を戦争風に描いたムービー「ゲーム機戦争」
ソニーのプレイステーション、マイクロソフトのXbox、任天堂のWiiなどによって、ゲームハードの覇権争いが今なお続いていますが、ファミコン登場前夜からのゲーム機興亡の歴史を戦争風に描いた「ゲーム機戦争」というムービーが公開されています。
1983年発売のファミコンはもちろん、日本初の据え置き型ゲーム機「テレビテニス」から、アメリカからの黒船「Atari」シリーズ、トミー工業(現タカラトミー)の「ぴゅう太」などのハードが網羅されており、「PCエンジン」や「メガドライブ」などの次世代機が登場するまで戦いの歴史がコミカルに描かれています。
「ゲーム機戦争」についての詳細は以下から。ゲーム機戦争 ‐ ニコニコ動画(原宿)
最初に登場するゲーム機は、日本初の据え置き型ゲーム機「テレビテニス」。1975年にエポック社から発売されました。
テニスというよりホッケーに近い印象のゲームで、2人いないとゲームにならないという欠点もありました。
このテレビテニスに対抗すべく、任天堂がテレビゲーム機の開発に乗り出します。
この時登場したのはファミコンではなく、「テレビゲーム15」というハード。
テニスしか遊べなかったテレビテニスに対し、15種類のゲームが遊べるようになったことを武器に、テレビテニスに襲いかかります。
これによりテレビテニスはあえなく撃沈。
任天堂優勢で日本の制圧が開始されます。
これに激怒したエポック社は、新兵器を戦線に投入。
新ハード「カセットビジョン」は、名前の通りカセット交換方式を実装。
この時点ではコントローラー無し、本体にCPUなしという状態でしたが、任天堂のテレビゲーム15に対しては十分な優位性を持った機体でした。
当時としては画期的なカートリッジ交換式で、テレビゲーム15を撃破。
そこへ今度はトミー(現タカラトミー)が開発した「ぴゅう太」が参戦。
本体にCPUが搭載され、さらにG-BASICも搭載し、プログラムも打てるという、ゲーム機というよりパソコンに近い構成でカセットビジョンに対抗します。
しかし5万9800円という圧倒的な値段の高さから、カセットビジョンを撃破することはできず、逆に反撃を受けます。
値段の高さとパソコンにしても中途半端な性能であったため、トミーはエポック社に惨敗。
トミーの仇とばかりにタカラもゲーム機を開発。「M5」で参戦します。
これもBASIC-Iを搭載し、パソコンに近いハードですが、ぴゅう太の5万9800円に対しこちらは4万9800円と1万円も価格を下げることに成功しています。
しかし4万9800円でも十分高いので、M5もぴゅう太の二の舞に。
戦況はエポック社有利に展開します。
その中で次に旗を揚げたのがバンダイ。新兵器「アルカディア」を投入します。
得意のキャラゲーを武器に、エポック社に宣戦布告。
カセットビジョンはなんとか防衛するも、そろそろ限界が近づいてきたようです。
そこに緊急事態が発生。海外で人気の「Atari」シリーズがついに日本に来襲します。世界最強のゲーム機の上陸に、緊張を高めるハード市場。
しかし価格の高さなどによってか、日本ではいまいちヒットしませんでした。
さらにゲーム市場を緊張させるハードが登場。バンダイよりベクタースキャン方式を採用し、9インチモニタを付属させた「光速船」が発売されます。
これも光の速さで挫折。
エポック社がやや優勢のまま、ゲーム機を開発する会社が乱立した状態が続きます。
そんな中、ついに伝説のハードが登場。
言わずと知れた任天堂「ファミリーコンピューター」が発売されます。
使いやすい十字キーコントローラーに、8ビットのCPUを搭載、価格も1万4800円に抑え、任天堂による発売前のソフトチェックによりクソゲーのはん濫を防ぐ措置まで取られ、まさしくガンダムなみの完璧な機体となりました。
そんな歴史的なハード登場の裏で、不幸にもセガのゲーム機デビューとなる「SG-1000」が、なんとファミコンと同日に発売。
8ビットのCPU搭載、ソフトも当時としては充実したラインナップという欠点の無い機体で、勇敢にもファミコンに挑みかかります。
しかしファミコンの反撃を受け、あえなく撃沈。
「よくもジーンを!」とばかりにプログラム機能を搭載した「SG-1000」の高級機である「SC-3000」がファミコンに襲いかかります。
しかしファミコンに対抗できるはずもなく、撃沈。
ファミコンの圧倒的な力を背景に、任天堂の攻勢は続きます。エポック社のカセットビジョンが撃沈。
トミーのぴゅう太も撃墜。
バンダイのアルカディアも破壊。
光速船も撃沈。
Atariシリーズも、ファミコンの登場を受けて同83年に撤退。
任天堂が市場を独占するかたちとなりました。
しかし他のメーカーたちも黙ってはいません。トミーが逆襲を開始しようと新ハードを投入。
その名も「ぴゅう太Jr」。
ぴゅう太の5万9800円という恐ろしい価格設定を1万9800円まで大幅に落として、ファミコン打倒に動き出します。
しかし時すでに遅く、ファミコンの圧倒的な勢いの前に返り討ちにあいます。
次は初代王者のエポック社が、カセットビジョンの後継機「カセットビジョンJr」を投入。
価格はなんと破格の5000円。
ファミコンと心中する覚悟で戦いを挑みます。
しかしファミコンからシェアを奪還することはできず、カセットビジョンJrもファミコンの前に敗れ去ります。
こうして、初代王者が5000円という価格設定で挑むも太刀打ち出来ない最強ハードとしてのファミコンがその地位を確立していきます。
ファミコンの覇権確立から「第二次ゲーム機戦争」が開始。任天堂の一強体制が続けばソフトがファミコンに集中し、ますます任天堂が強くなるということで、さまざまなハードが世に送り出されます。
バンダイがキラーコンテンツをその名に冠した「RX-78 GUNDAM」を発売。しかし5万9800円という高価すぎる値段設定ではファミコンに対抗できず惨敗。
学研が8800円というハードとしては格安の価格設定で挑むも、ファミコンのコントローラーの汎用性に対し、あまりに斬新な本体直結型のコントローラーは主流とはなり得ず敗退。
さらにニチブツから「マイビジョン」。
CASIOから「PV-1000」。
ツクダオリジナルからなどが相次いで発売されますが、いずれもファミコンの牙城を揺るがすには至らず消えてゆきます。
その中で、セガが「セガ・マークIII」を発売。
これまで幾多のマシンがファミコンにかなわなかったのは、それらのマシンが使いやすい十字キーを持たなかったため。
セガ・マークIIIはファミコンに近いコントローラーを備え、さらに64色同時表示という、ファミコンを越える性能を備えています。
まさにファミコンに対抗すべく作られたセガ・マークIIIの主砲が火を噴きます。
ファミコンに命中。
ファミコンを破壊するまでには至らなかったものの、カセット抜き取りレバーのカバーをはじき飛ばしました。
しかしセガの不幸は続きます。なんとこのタイミングで伝説の名作「スーパーマリオブラザーズ」が空前の大ヒット。
マリオを搭載したファミコンが逆襲を開始。
セガ・マークIIIは瀕死の重傷を負い、ハードの性能だけがハード戦争を制するものではないことを思い知らされます。
こうしてファミコンが覇権を握ったまま第二次ゲーム機戦争は終結。
続く第三次ゲーム機戦争では、任天堂が「ディスクシステム」を開発。さらにファミコンの覇権を確固たるものにすべく攻勢をかけます。
しかし次なる敵は圧倒的な性能を誇るNECの「PCエンジン」。
そしてセガの次世代機「メガドライブ」が登場。
こうしてついに任天堂、セガ、NECによるゲーム機三国志が始まるのでした。
ゲーム機戦争は現在も鋭意制作中のようで、今回お伝えしたのは「第三次ゲーム機戦争」の序盤までの内容です。第三次以降はいよいよスーパーファミコンの登場となる見込みで、ますます続きが気になる展開となっています。
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