現代の悪魔祓いの知られざる実態、「エクソシスト急募」「エクソシストとの対話」の著者・島村菜津さんにインタビュー
「悪魔は存在する。戦いに備えよ」ということで、バチカンにはエクソシスト養成講座が実在しており、実際にイタリアでは悪魔祓いを必要とする人々が急増、エクソシストが不足したために、広く募集した時期もあったほどで、4月9日(土)に公開される映画「ザ・ライト-エクソシストの真実-」はまさにその「現代の悪魔祓い」をかなりリアルに描いたものとなっています。
実際に試写に行った感想としては、これまでのエクソシスト系の映画とは毛色が違い、印象的なシーンを所々に挟みつつも、今何が起きているのかを言葉ではなく「見えているもの」を真正面から表現していく感じとなっており、緑色の液体をはいたり、首がねじ曲がったり、ブリッジして天井に張り付いて走り回るとかそういうのを期待している人でなければ、期待以上の内容に仕上がっています。また、エクソシストを演じるアンソニー・ホプキンスが100%の原因なのですが、映画自体に異様な迫力があり、キリスト教の宗教観に基づいて葬儀や悪魔の概念などがきっちりと作り込まれているのも好印象でした。
そんなわけでこの映画にも出てきたバチカン公式のエクソシストについての著作があるノンフィクションライターの島村菜津さんに話を聞く機会を得たので、実際に映画・書籍などで感じた疑問点などを聞いてみました。インタビューの中身は以下から。
◆エクソシストに興味を持ったきっかけ
GIGAZINE(以下「G」と省略):
これまでの書籍の内容を見ているとイタリア関連が非常に多いというか、イタリア関連がほとんどなのですが、普段主にノンフィクションライターとしてどういう仕事をしているんでしょうか?
島村菜津さん(以下「島」と省略):
普段の生活は七割か八割が本の作業ですね。大学は元々イタリア美術専攻だったので、基本的にイタリアでフィールドワークをして、それを本にするのが主な仕事です。
G:
イタリア語もペラペラという感じなのですか?
島:
イタリア語は23年くらいなので、長いですね。
G:
第二母国語くらいですね、それだと。
島:
貧乏時代は向こうに住んでいる方が長かったりしました。こっちに来てムックとかをやって、本のために調べる旅費を稼いでまた出稼ぎみたいにして行くというのを繰り返していました。
G:
凄いですね。本の内容を見てもめちゃくちゃ詳しいので、イタリアに住んでるのかなと思うくらいでした。
島:
結構、結婚するまではほんとにイタリアにいる時間は長かったですね。
G:
それでイタリア関連の本になってるんですね。
島:
はじめの方は元々裁判ネタの連続殺人ものだったのです。
G:
一番最初の本ですよね。
島:
もう基本的に裁判用語とかをゼロからやらないと質問できないから、仕事しながらやっていった感じです。
G:
では、仕事やりながら始めていったという感じですか?
島:
そうですね。
G:
そもそも、本を読んで凄く不思議だったのが、どういうきっかけでエクソシストに興味を持ったかっていうのがいまいち分かりにくかったんですが……
島:
元々大学時代に卒論をキリコ、つまり現代美術にしたんですけど、ギリギリまでキリスト教美術にするべきかキリコにするか悩んでたんですよ。だから、美術のほうから入っちゃってるんです。美術作品を読み解くのにキリスト教文化をある程度知らないと読めないので、今はその手の本を書いてるんですけど、最初はそこから入ったんです。誰も知らないと言うことと、あと中学時代にブームがあって、あの映画(=「エクソシスト」)をロードショーで見て、それとイタリアに現在進行形で動いていて、ヴァチカンに知り合いもできたりしたわけなんです。ヴァチカンの中に聖人を作る列聖省というのがあるんですけど、結構通ったりしていたのでそこの司祭と凄く仲良くなったんですよ。割と色んな人とつながりがありますね。
G:
凄いですね、話を聞いていると。
島:
面白いですよ、なかなか。
◆悪魔のイメージ
G:
実際にエクソシストの書籍を書くに当たって、色々エクソシスト関連の映画は見ましたか?
島:
ホラー映画が元々好きなんですよ。昔、ほんとにホラー映画のサブで出る、主役じゃなくてサブで出る人の連載をしたりしてました。そのくらい好きで、B級ホラーギリギリまで好きですよ。
G:
なるほど、それで非常に詳しく書いてあるんですね。色んな映画のことも細かく書いてあると思ってたので。
島:
映画は好きですよ、割と映画館で見てます。ガラガラですけどね(笑)
G:
今まで見たエクソシスト関連の映画ってかなりたくさんあるような気がするんですが、そうでもないんですかね?
島:
割と定期的にブームがあって、70年代のものは本当に元祖なんですけど、その後も何年かおきにありましたよ。ウィノナ・ライダーが出てたやつ(=「ロスト・ソウルズ」)なんかもそうですし、「エミリー・ローズ」が出た時も、ドイツの実話がもとになってるんですけど、割と周期があって、定期的にきてます。
G:
今回の「ザ・ライト-エクソシストの真実-」は見てみてどうでしたか?
島:
多分、今までのホラー映画の感じで捉える人は肩透かしを食らうと思うんですよ。徹底的に怖がらせてっていうものではないので。ちゃんと初めて、カトリックの教理みたいなものに触れた初めての映画だと思います。
G:
今まで見たことのないタイプでしたね。割とハードだな、って感じがして。
島:
そうですね、東洋人にはなかなかハードですよね
G:
最後らへんの所まで見て、こういう展開で行くんだ……ちょっと待って、これが悪魔かよ……!って感じで、でも確かにこれは悪魔だわ……って納得もする感じですか。
島:
一番難しいのは、映画っていうのは視覚現実だから、視覚で、ビジュアルで表現するしかないんですけど、これが一番苦しい所で、対象は目に見えない存在なんですよ。テーマの真ん中にあるのは目に見えないものなのに、目に見えるもので表さなければいけないっていう難しさが、一番出てたかな、と思います。そうするとどうしても東洋人が見ると陳腐な希望に見えちゃうんですよね。獣染みたものとか。
「パラノーマル・アクティビティ」とか見て頂くと、ひづめとか出てくるんですけど、東洋人は吹いてしまうんですよ、「何故ひづめが怖いんだ?」って。でもそれはやっぱり、西洋でキリスト教文化の人は、初期キリスト教の時代で物凄い弾圧を受けていたときに、異教徒の神々って言われてるものが非常に獣染みた、つまり生き物を犠牲にするっていう、生き物の血が滴る毛皮を着てカタルシスの状態、トランス状態に陥るまで踊り狂ってたりとかっていうものと、いかにしてキリスト教を差別化するか?というのが初期のテーマになっていたんです。
なので、キリスト教は悪魔のイメージの中にその名残をずっと引きずってて、それはもうハリウッド映画の中にも繰り返し繰り返し出てきていて、たとえば、赤い目で牙があって、馬にしろラバにしろ、とにかく獣染みた、人間の獣性みたいなところを悪魔の方に追いやることになるわけです。でもそれは、魂が動物にも生まれ変わるかもしれない東洋においては奇異に見えるかと思います。その差異がある意味、今回の映画の醍醐味かもしれないですね(笑)
◆「お急ぎの方は、教区内の別のエクソシストをお探しください」
G:
書籍「エクソシスト急募」の第一章「エクソシストが足りない」の扉で、「お急ぎの方は、教区内の別のエクソシストをお探しください」(ある有名エクソシストの留守電メッセージ)とあるのですが、あれは本当なのでしょうか?
島:
本当ですね(笑)
最近、彼なんかは「市販の処方箋を必ずご持参ください」というのも言っていて、処方箋が無い人は受け付けないみたいで。例えば、パラノイアとかあるわけじゃないですか。いちいちゼロから聞いているとへとへとになるし、基本的に「無料」がモットーなので、そうするとほんとに駆け込み寺になっていて。もちろん賛否両論で、ヴァチカンの中でも多数派は、基本的には人格を持ってる悪魔なんて話題にも絶対しないですよ。「頼むから止めてくれ」って状態です。けど、実際にはもう、精神的に不安定な人も含めて、現代の医学では受け入れられない境界線の人たちがそこに押しかけているので、もうあたふたしてる感じです。
G:
「悪魔祓いは基本無料」と書いてあるのを読んで、これは普通の金儲け至上主義のカルト教団なんかとは一線を画すな、と思ったんですが、そこはどうですか?
島:
そうですね、本当に教理にも厳しく書いてあるのは、「利益を追求するようなことはあってはいけない」ということと、「その人が人格的にいかに優れた人であるか」ということ。例えば、隠れてゲイのお友達がいるような人はすぐスキャンダルになっちゃうから、絶対ダメなんです(キリスト教のカトリックでは同性愛による性的行為を禁じているため)。ちょっと潔癖なくらい真面目な人じゃないとダメで、しかも、若い女の子なんかが映画みたいなトランス状態になったりするわけです。催眠にかかりやすい子っていますから、そうすると後でゴシップになりかねない。なので、その人の例えば旦那さんとか恋人とかの同伴者が必須で、体を抑えたりするのを付き添ってもらうとか、くれぐれも誤解のないように、となっているわけです。
G:
悪魔祓いの手順についても、パッと読んだら「何の記述なんだろう?」と思うようなこともあるのですが、一応ちゃんと書いてあって、読んでいくと「ああ、なるほどなるほど!」というのが多いですね。
島:
具体的ですよね。
G:
逆にここまで書くんだ!ということでびっくりしました。
島:
中世だと誤解されることがいっぱいあったのだと思うのですけど、流石に今の時代になるとね。
◆エクソシストにどうやってコンタクトしたのか?
G:
あと、実際にエクソシストに会ってインタビューもしておられるのですが、非常に不思議に思ったのが、これはどういう手順を踏んでインタビューにまでこぎ着けたんだろうか?という点です。エクソシストの電話番号と住所がタウンページに載ってるわけでもないですし……
島:
一番初めは1999年で、一番初めのエクソシストの映画のときにもちょっとモデルになったような、ヨーロッパで凄く有名だったエクソシストがいるんですよ。噂は色んな所で聞いていたので、彼の話を書きたいなぁと思って行ってみたら、亡くなって二ヵ月後だったんです。諦めようかなぁとも思ったのですけども、行った教会が、私がローマに15年とか通ってたのに初めて見る教会で、扉を開けたら中に階段しかないわけですよ。しかも階段はみんなが苦行、お祈りしながら上がっていくという。「ローマの教会なんて形骸化してる」と思ってたのですけど、そこは本当にある種の「祈りの場」として生きていて、それ自体が面白かったわけです。しかも中は真っ暗で、天国への階段なんかじゃなく、もう真っ暗で、そこを上っていくわけですよ。その独特な空間や、そこで彼がエクソシストをやっていたということにも興味をもって、それで調べ始めることになるわけですね。
そうして弟子がどんどん見つかっていき、色んな弟子がいて、喧嘩して止めた人もいるし、山に籠もってた人もいるし、実は今回の本当の先生になったのも彼の弟子です。カルミネ神父という名前で、四大ヴァチカン教区というのがあり、ローマを守るような形で四つの方角に教会があるわけなのですけど、その中の一つの教会の司祭なんです。彼が一番初めに会えた人で、そこから色んな人を辿って、弟子たちに何人も会ったんですよ。5人くらい会ったのかな。
で、弟子に会ううちに、今度はその弟子の方が通ってエクソシズムを受けている人たちにも会うようになって、その中で一番、山に籠もってた人と凄く仲良くなって、一年半くらい付き合ってたんですよ、そこに通ってた人も含めて。そうして一年半くらい経ったときに、ひょっとしたらこれは見せてくれるかもしれない、と思ったんですよ。
島:
あと、エクソシストの守護聖人っていうのは大天使ミカエルなんです。だから今回の映画の主人公、彼の名前はマイケルですよね。もう出来すぎだろっていうくらい(笑)
要するに、黙示録の最後の審判のイメージで、天の軍勢を率いるのがミカエルで、反対が悪魔ですよね。だから映画ではマイケルって名前が凄く多いんです。実はハリウッド映画も、キリスト教の記号、神学的な記号で解いていくと、映画評論家が冒涜しているものがたくさんあるんですよね。B級、お粗末なミステリーだとか書いてるけど、ただの旧約聖書のパロディだったとか、そういうものがいっぱいあるわけです。まだ日本人はそういうことが分かってないから、これから分かってくると面白いなぁと思っています。
今度も、主人公は本当はゲイリー神父なのに、マイケル君にして、しかもドラマを持たせなきゃいけないので若い青年に生まれ変わったわけですよね。
それはともかく、そうやってエクソシストたちと一緒に時間を過ごしたり、聖域に一緒に行ったりすると、だんだんとこう、私が異教徒で興味半分で覗いているわけじゃないんだっていう風に少し信頼してくれて。三日間ずっと一緒に泊まってても初めの二日は見せてくれなくて、二日目の晩に一生懸命頼んで、やっと三日目の最後にちょっとだけ、っていう感じでした。
G:
なるほど。やっぱり取材にはかなりの苦労をしているのですね。
島:
そうですね、特に教会に通ってる人が凄く不信感を持ってるから、通ってる人に信頼されるのが大変でした、エクソシストよりも。エクソシストの人は医者もやってたような人なので非常に冷静なんだけど、通ってる女性は実は「悪魔」っていうことも口ではほとんど発言しないですし、「悪魔が憑いてる」なんてのはちょっとまだ恥ずかしい、っていうぐらいの現代人なんです。だけど、色んな病院をたらい回しにされて、胃がもう手術で四分の一くらいしかないという……。
G:
書籍の中に書いてあった悪魔憑きの事例ですね。
島:
ええ、それで何かあったらすぐ倒れちゃうしっていう人だから、自分の体の不調の原因が何なのかっていう確信をまだ持ってないわけなんですね。そんな彼女と一緒に見たこと自体は、今回は儀式という意味ですけど、儀式という点でキリスト教の「悪魔祓い」は凄く良くできてる形だと思いました。太古から続くだけのものがあるんだろう、と。これはカトリック信仰の中では言えないことなのですけど、シャーマニズムの日本におけるお祓いとか、コックリさんとか、狐憑きとか、狗神憑きとかっていうものとも、共通するものだと思うんです、実は。儀式に入ったときにある種のトランス状態に入って、儀式を受ける人が非常に獣めいて罵倒したりとかして、それでお祈りの言葉は単調な、ある種のリズムがあったりして、人が癒されるっていう。やっぱりその、理屈抜きで続くには続くなりの理由があるんじゃないかって思えたのですよね、それを見て。前の本にも今回の本にも、今回は新書で短いから書けなかったのですけど、イタリアの中でもその境目ってのはあるんですよ。
G:
境目と言うと?
島;
えっと、何ていうのかな。キリスト教の儀式だとここまでは認める、けどここからは認められてない儀式っていうのがあって、それは太古からずっと続いている、悪魔憑きとは彼は呼ばないんだけど、夏のお祭りのときに、特に女性がトランス状態に陥るんですよね。で、教会の中で罵倒し始めたり、痙攣起こしてガタガタ暴れたり、祭壇に登ったりとかするんです。それを癒すのは、ずっと南イタリアの地域では、音楽の楽団なんです。太鼓の単調なリズムと、あと四つくらいの楽器があって、同じミニマルな曲の繰り返しになっているんです。それを、下手すると一晩中でもずっと彼女のトランスに付き合って音楽を続ける。その音楽も、彼女に向く曲っていうのを模索していくという。
それは日本で音楽用語としてだけ残っているもので、タランテラというピアノ曲にもあるもので、毒蜘蛛に刺された人がその毒に苦しんでもがく様子だと民俗学では言われていたわけなのですけれども、実際には毒蜘蛛はいないのです、あの辺には。だから蜘蛛っていうのは、メタファに過ぎない。毒蜘蛛に刺されたっていうことにして彼女はもがくのですけど、その蜘蛛の名前も「苦しみの蜘蛛」とか「水の蜘蛛」とか、色んな名前があるわけですね。そしてそれに合わせた音楽があって、自分が一番合うことができる音楽にピタッときた所で、最後は、それこそ本当にエビ反りになったり蜘蛛みたいな形になって暴れたりする、と。自分の足で見えない蜘蛛を踏み潰して、儀式が終わるわけです。それはずーっと、1840年くらいまで続いてたものなんです。
G:
長いですね。
島:
長いですよ、最後の最後まで頑張って、最後にキリスト教化されたのがそこなので。今ではそれはサンパウロっていう聖人が彼女たちを癒すっていうことになっているのですが、現地では悪魔憑きって言われはじめていますね。ただ、カトリック教会はこれは、正式な儀式として認めていないんです。明らかに異教的なものだからです。教会でやるのだけれども認めていなくて、マスコミが入るのも嫌がるわけです。
G:
根本は同じだろうと思うんですけどね。
島:
私は同じだろうと思う。で、旧約聖書の中にサウロっていう王様が音楽で癒されるっていうのが、旧約にあるんですよ。だから古代ユダヤ教の中にも何らかのそういうフィーリングがあったんじゃないかと。キリスト教って全部、政治もそうなんですけど、旧宗教の良い所は上手に吸収してきてます。儀式でも絶対そうなんです、やっぱり。人間にとって左右する、何らかの生理的な現象にピタッとハマるものはやっぱり効果があるので、選び取ってきてると思うんですよ。
よくあるのはメディアで、中世の魔女狩りの時代とかにまた戻るんじゃないかっていうことで、16世紀・17世紀のイメージが凄くこびりついてるのですけど、実は大量に殺したのは寧ろドイツとか、理屈好きと言われ、功利的と言われる哲学者をいっぱい出した国の方がたくさん殺してて、イタリアはどちらかと言うと案外、殺してないんですよ。起源は実は全然正しくなくて、少なくとも初期キリスト教の400年くらいの間に聖書ができていくのですけど、そのくらいの間にはもう確実にエクソシストと言われる役職は存在しているんです。それはなぜかというと、フィーリングを通じて信者を獲得してたのでしょうね、間違いなく。
G:
書籍には明確には書いてなかったですけど、もしかしてそうなのかなと、確かに読んでて思いましたね。
島:
凄い効果があったんだと思いますよ。多分軍人とか、位のある人っていうのは「ふんっ」て言って聞いてもくれなかったのかもしれないのですが、ほとんど社会的なステータスを持っていない病人とか、偏狭に追いやられた人とか、未亡人とか、生活に困ってたような、そういう人は聞く時間があったし、ある意味社会の中で自分のポジションをちゃんと持ててなかったから、凄く良く話を聞いてくれたんだと思うんです。それを革命的だって見方もあるけど、逆に言うと布教しやすいところからしたんですよね。そのときに、やっぱり病の癒しっていうのは、今の新興宗教も本当にそこから迫ってくるのですけど、確実な手だったのだと思います。だからエクソシズムっていうのはそれと表裏一体の関係であって、初期キリスト教のときから大事な儀式だったんですよね。それはアモルト神父が言うように、非常に長い歴史があるっていうのは確かに賛成で、彼らの読みのほうが正しいと思います。
◆イエス・キリストは最強のエクソシストなのではないか?
G:
確かに、書籍の中で「イエス・キリスト、最強のエクソシストは彼だ」って書いてありましたが、そういう見方をしたらしっくりくるな、と思いましたね、あの描写は。
島:
マルコ伝とか読んでみるともうそれしかないんですよ、奇跡しか起こしとらんがな!みたいな。
G:
そういう視点で見ると、イエス・キリストは最強のエクソシストなんだ!っていうことで、下手したら一言で終わってますものね。
島:
だって、少年の癒しの方はまぁ、案外と柔らかな方で、お父さんが「もし出来るなら治してください」とかって言ったら凄い盾つくんだよね、キリスト。「出来るなら、と言ったなお前?」みたいな勢いで、凄い難癖つけて。そしたらお父さんが急に心を入れ替えて、「信じます!」って、そうして治すわけです。
それは大したことはなくて、実は。ラファエロが書くくらいなもので、柔らかなエクソシズムなんだけど、もう一つの方は、墓場で鎖に繋がれて、鎖に村の人が繋ごうとしても割いてしまう。だから今のエクソシズムの映画の原型は全部そこにあるわけなんです。鎖は割くわ着てるものは割いてしまうわで、手に負えなくて、昼も夜も獣のように喚くっていう。そういう凄い酷い状態にある人が、向こうから、キリストを見て突進してくる、と。彼の場合にもやっぱり一言で追い出すんだけど、彼から離れた「何か」が、遠くで放牧されてた豚1000頭に乗り移って、その豚が瞬間にして崖の下に飛び降りて自殺するっていう、壮大な話なわけですよね。それだけ派手なことして、なぜローマの人は記録してないんだろうって気もしないではない、凄い話なんですよね。でもこれは一番古い聖書だから、マルコ伝がやっぱり一番古くて、一番多分恐らく、当時の人の信仰に近い形で残ってるわけです。
そういう意味では、それだけの凄い強烈な印象を残した人がかつていたのだと思うんです。どこで、いつ生まれたかはわからないけど。だからエクソシスト、ビジュアル的に誇張されていますし、こう、ちょっと吹いてしまうほど単純化されている部分も確かにあるんですけど、儀式の原型とか全部そこに、聖書に全部あると思います。
◆実際にエクソシストが悪魔払いをする儀式
G:
書籍中の記述で、実際にエクソシストが悪魔払いをする儀式をするところに、先ほど話していたようにして同席を許され、その一部始終を目撃していますが、実際に目の前で見ているときはどんな感じでしたか?
島:
それまでよく知ってる女性で、しかもあんまりファナティックなタイプには見えない普通の人で、割とシニカルな話もするし、恐らくそんな教養人ではない、大学出でもない、だけど普通の家庭に育ったお嬢さんで早めに結婚して、凄い体を弱くして苦労した人で、そういう話を後でしたんだけど、それまでは一緒に巡礼の旅とかで、世間話とかしていた人が、なんて言うのかな……トランス状態に、しばらく経ってから、エクソシストがラテン語で祈りの言葉をずっと繰り返してるときに、目に膜がかかったような、黒い目の玉がちょっとグレーに見えるような……やっぱりトランス状態に入った顔ってあるんですよ。催眠でも同じなんですけど、催眠状態に入った人の表情っていうか……平たい平たい、表情が無いような顔になって、その表情がひゅっと変わるっていうのと、椅子に寄っかかってる彼女の、本当に蛇みたいな動きが興味深かったですね。
G:
どういうような感じだったんですか?書籍中ではその描写がよくわからなかったんですが……
島:
背骨がまるで蛇みたいに、一本何かで上から引っ張られるかのように、すーっと上がったらすーっと落ちるんですよ。だから凄く体力を使うような、どんな筋肉をどういう風に使えば良いんだろうな、っていう動きではあるね。それで大学のときに、野口体操っていうのをやってる先生がいたんだけど、それに似てて。普段日常生活で使わない筋肉の使い方なんですよ。恐らく儀式のトランス状態みたいなものは、そういう動きを呼び起こすんじゃないかと。他の文化圏に入っても、東洋のシャーマニズムの中でも、同じような感じ。あ、で、その何年か後にバリ島でバリダンサーの踊りを見たことがあるんだけど、そのダンサーのすっごく上手い子の動きなんかと共通するものがあったね。多分、キリスト教の神父があそこに布教にやってきてバリダンサーを見たら「悪霊退散!」って言い出す、ような感じ(笑)
G:
話すときの声が二重になるというのは、どういうことですか?
島:
実は人間には声帯が二つあって、ラマ僧なんかは訓練・鍛練によって二つの声を同時に出すってことができるようになるんです。
G:
そういうような声なんですか?
島:
すっごい高い声と、低いかすれるような声が同時に出てて、それが結構怖くて鳥肌が立ちます。
G:
声のボリュームも結構大きい感じですか?
島:
もの凄い大きいです。聖堂の天井にずーっと響くような感じなので。小さい体でそんな、まず低い声が出ること自体、よく出るなと思って見てるのに、そこに高い声が入ってくるんです。それは何度も鍛練してるからかもしれないのですけど、それにしても凄いなぁと。
G:
普段喋ってるような声とは全然違う声ですか?
島:
ふつうは聞いたことないですからね、二つの声に割れるなんていうことは。腹話術の達人もできるらしいです、同時に二つ出すということ自体は。
G:
悪魔祓いを受けるのは達人ではなく一般人だから、確かにそういうことは知らないですね。
島:
そう、一般ピープルなんですよね。だから儀式っていうのは、なんていうのか……今の宗教体系は、古代の宗教によって確実にあったのだと思うんですよ。そういうトランス状態に入って、人間が獣めいていくっていう。
例えば、目の前で大きな牛が屠畜されて、その血を浴びるとかっていうのはずっとあったわけですよね、古代の、おそらくキリスト教が色々と参考にして学んできた宗教の中では。それを言うと絶対カトリックの司教に怒られるのですけれども、悪魔祓いの儀式にはそういう原初的なものも感じるし、ある意味全くそういうものがなくなってしまった現代のいびつさみたいなものも感じます。つまり、目に見えないものを議論するのは馬鹿だっていう前提になってしまってるんです、現代は。だけど実際には、おじいちゃんが亡くなったりとか、身近な人が急に事故で亡くなったり、自分と1時間前までいっしょにビールを飲んでたのに、あと30分いっしょに飲んでたら死ななかったのに……とかいうことが起こるわけじゃないですか。そういうときにやっと初めて「あの人はどこに行くんだろう?」と思うわけですよね。見えない世界が存在するのかしないのか、証拠は誰も持っていない。アインシュタインでさえ証明はしていない。そうなってくると、ブラックホールの裏側は、時空の旅ができるって言われても想像できないわけですね。そういうことは普段考えずに保留にしてるわけです。儀式というのは多分その保留にしているものについて考えさせてくれるツールなのではないかと思います。あるいはその入り口。そのことがある種の、精神科医でたくさんの薬を処方されても治らなかった人がこっちで治るとか、全くカトリックのことを信用していない弁護士が悪魔祓いのために通うとか、そういう現象に繋がっているわけです。それは知的な意味で面白いなと思いますね。
G:
書籍の中で印象的だったこととして、ほとんどのエクソシストが使う儀式の書物でも、まずは医者に見せること、というようになっていて、数字としては97%ぐらいは悪魔憑きではないと言うことで処理されており、実際残り3%程度、あるいはもっと少ない1%以下の事例が本物の悪魔憑きと言うことになっていますが、島村さんが実際に立ち会った儀式はこの「本物の悪魔憑き」の事例だった、と言うことなのですか?
島:
私が立ち会ったもの?
G:
えぇ。
島:
私はそうは思ってないです。あれは、現代の典型的な一例だと思っていて、最後までエクソシストの知り合いも、ほかの神父も、彼女自身も、「悪魔」という言葉を使わなかったです。ただ、「変なことが起こる」とは言うわけですね。彼は、悪魔なのか霊なのか、見えない存在、司祭だから100%信じているのですけど、そういうものなのかわからないですけど、でも彼女については「それ」だって一言も言わなかったですし、彼女のそれまでの経験で4回の手術を受けて、誤診もたくさんあったっていうのはありがちなことなので、現代の中では。そういう事例だった、と私は見ています。
そもそも「悪魔」というと、キリスト教は一神教だから対立概念の一つだろうと思われがちなんですけど、悪魔とは別に「悪霊」という言い方があって、キリスト教では「悪霊」というものは無数に存在すると考えてるわけです。「悪魔」というのはその上の存在のことで、想定はしているのですけど、悪魔が直接出てくることはほとんどないんですね。キリスト教のマルコ伝のなかでも、ほとんどは「デモーニ」っていう言葉なんですけど、「デモーニ」というのは「ダイモン」というギリシャ語の語源にもなっていて、目に見えない、人間に何らかの影響を与える不可視の存在だとされています。それはギリシャ哲学でもそうで、キリスト教はそれをそのまま受け継いでるわけなのですけど、さっき言ったキリストの、「男に憑いてた霊が1000の豚に乗り移って……」というもの、それは「ダイモン」「デモーニ」のことなんですよね。それをハリウッド映画とか日本語では全部「悪魔」と訳してしまうのですけど、本当は一応「悪霊」と訳してあげたほうが良いのかな、とも思います。無数にいる、一般の人に何らかの影響を与えるかもしれない悪霊みたいなものは、唯一無二の存在ではない、という見方です。だから割と日本のお化けの世界とそんなに遠くない気もしますね。
◆書籍に書かれていないエクソシスト事情
G:
「エクソシストとの対話」、「エクソシスト急募」、それぞれの書籍中で非常に多数のデータに基づいて考察しているのが見受けられるのですが、実際の取材開始から完了までどれぐらいの時間がかかっているんですか?かなりかかっているように思うのですが……
島:
えっと、「エクソシストとの対話」の時には、全部で二年ちょっとくらいですね。でもその前からちょっと、列聖省の、ヴァチカンの中の聖職者とかとやりとりがあったので始められたんですけど、神父のお弟子さんたちとは割と定期的に連絡を取り合っているので、エクソシストの国際協会ができるとか、この次の会議ではロシアの有名なエクソシストが来るぞとか、そういう情報はメールで入るんですよ。だから、「エクソシストとの対話」を書いた次に行ったときには、ヴァチカン教会内でエクソシストの講座ができていたので、それはメディアの中では凄い新しいニュースだったんですよ。アメリカのメディアなんかも結構取り上げて、一番初めに参加してたメンバーの人の、ユダヤ系の女性が書いたのが「バチカン・エクソシスト」という本で、今度、同じように参加してた人がフリーランスだったんですけど、この映画のノンフィクションの本の部分を書いた人ですね。そこでまたちょっとイタリアの中で、アメリカのメディアなんかにも注目されて、雑誌の特集が組まれたりするようになっていったわけです。
島:
前に神父の取材をしていたときには30人しかいなかったエクソシストが、その次には200人くらいになっていて、イタリアの中で急に増えて動きが出てきたのですけど、西暦2000年を超えてから、イタリアの中で200人くらいだったエクソシストの数が、今度はポーランドとかメキシコにも新しい動きがあるとかいうことになっていっていますね。実際にはほとんどの先進国で聖職者が減っていく中で、中南米とアフリカはだいたい三倍くらいの勢いで信者が増えています。キリスト教はこの地域をターゲットにしているというのが見えてきましたし、ヴァチカンの今の方もそういう意味では決して否定しないですし、むしろ応援しているぐらいですね。というのが西暦2000年の新しい動きです。その中で未開の地が中国。なかなか手が出せずにいるわけです(笑)
G:
書籍には「中国とか日本とかその辺りでエクソシストの講座を受けに行ったとかいうのは聞いたことがない」とありましたが、今でも全然ないですか?
島:
一番初めに日本とか中国に布教したのは、イエズス会がとても強かったんですよ。イエズス会はもともとエクソシズムもやっていて、だからとても積極的だったのですけど、やっぱり日本とか東洋に持ってくるときに、恐らく「狐憑き」とか「狗神憑き」とか、そういう話を聞いたんだと思うんです。それでおそらく、キリスト教の信者さんを増やすのに悪魔祓いの儀式というのは上手くいかないんじゃないか?と思ったんじゃないかと。本当にそう思ったかどうかはわからないですけど、少なくとも迫害以後の日本人の司祭たちはそう思ってる節があります。また、シャーマニズムのお祓いとカトリックのエクソシズムは全く別物です、と言い張るのがキリスト教の特徴で、実はどっちも同じものです、と言ってしまったときに世界観が崩れるわけですね(笑)
だからこそそういう点で、福島の、教祖と含めて六人殺害された狐憑き殺人事件、ありましたよね、95年か96年に。そういう、まだ狐憑きとかにリアリティがある日本という国で、「悪魔」なんてのは口にするだけ野暮っていう風に思ってた節があるのですね。で、西暦2000年が過ぎてからサンパウロ教会がアモット神父の翻訳本とか出したので、公式サイトとかでも質問がくるし、彼らも公式宣伝を発表しないといけなくなって、この頃は口調が変わったんですよ。
◆ノンフィクションの取材の経費はどうやって捻出しているのか?
G:
話がずれるんですが、ゲスな話かもしれないんですけど、ノンフィクション系のものを読んでいるとかなり綿密に取材なども時間をかけて行っていて、こういうノンフィクション系やドキュメンタリー系の場合、色んな所で話を聞いていると最終的に問題になってくるのが、取材している間の、しかもこんな膨大な時間、食べていくための資金の工面ってどうやったのかなぁと思うのですが……
島:
あぁ、私は基本的に、本の取材は自腹でやってますね。ときどき、例えば小学館とか何回か小連載を組んでくれて、旅費だけ出してくれたりもするんですけど、今回の新書「エクソシストとの対話」も旅費は出してくれたかな?だけど、行ったときの滞在費から何から請求すると、どんどん首が締まってくるんです。制約も多くなってくるから、自分が勝手に泳ぐには自分で出した方が楽なんですね。
G:
だいぶ大変だったんですね。
島:
もう貧乏旅行は達人です(笑)
そっちの相談は任せてって感じで!
G:
なるほど、それだったら若いころから慣れ親しんでいて、その辺りは融通が利いたという感じですね。ということは、書籍の企画は自分で作って出版社に持ち込んだということになっているのですか?
島:
ほとんどそうです。向こうに頼まれて書いたことはほとんど無いかな。新書として書き直したときくらいですね。
G:
だから割合自由にのびのび書いてるんですね。こんなの普通の企画じゃ出てこないよねって内容がガシガシ書いてあるので、凄いなぁと思って読んでいました。
島:
初めの殺人事件の本とか、スローフードの本は完成まで5年とかかかっているので、同業の人には「逆だろ、ふつうは1年に4、5冊だろ?」って言われたこともあって、そりゃそうかもしれないな、と(笑)
G:
「エクソシストとの対話」の方は、今はもう賞の名前が変わってますけど、かつて「21世紀国際ノンフィクション大賞優秀作」を受賞していますが、それによって実際に何か、自分のところにエクソシストの、悪魔憑きなどの相談などが来るようになった、というような変化はありましたか?
島:
うーん…………、特にない(笑)
ないですけど、賞をもらった本を、向こうのエクソシストたちに送ってます。
G:
反応はどうでしたか?
島:
喜んでましたね。「イタリア語に翻訳してくれないか?」と言われた事もあります。というのも、今、エクソシストの方を列聖しようとしてるんですよ。一応、「福者」から少しずつ上げていこうと思っているらしくて。あと、87歳くらいになるアモルト神父には絶大なファンがついていて、悪魔祓いの儀式の回数も7万回を超えたとか言っていて、ギネスを更新しているので、多分彼が一番列聖されるのは早いですね。
G:
7万回というのはどうやって数えたんだろう?と思うのですが……毎日やったのですかね?
島:
どの業界にも数字を並べたがる人っていますよね(苦笑)
◆エクソシストによる悪魔祓いは超常的なものではないという考察
G:
かなり秀逸だと思ったのが、エクソシストってどちらかというと超常的、現象的なものではなく、精神の癒しのシステムではないかというような考察と指摘が後半から多くなっていく点が秀逸だなぁ、と。実際に精神的な病の一歩手前にギリギリ踏みとどまっているような人への治療方法として、どれぐらいエクソシズム、つまり「悪魔祓い」というのは有効なのでしょうか?
島:
私は心理学ではユング派だったのですが、同じユング派のある人が凄く関心を持っていたことが面白かったですね。つまり、二人いる精神科医が、全然立場が違う、仲も良くないんだけど、一人はまだ心理学って分野は未熟で歴史が浅いから、非常に我々の処方は、患者が持ってる苦悩に対して冷淡なんじゃないかって言うわけです。我々の科学の冷淡さに比べて、エクソシズムの儀式っていうのは間口が広くて入りやすくて、人間が打ち解けれるシステムが中にあるんじゃないかって彼は見ています。どちらかと言うと、音楽療法とか、絵画療法の延長線上に見ていたんだと思うんです、悪魔祓いの儀式というものを。それは確かにあると思います。演劇療法みたいなものもありますし、恐らく演劇療法の一つとして見てるように思えますね。
もう一人は、実際に日本人っていうものとして、ある意味での「線」を引きたがっていて、「子どもを殺した青年は一生ぶち込んどけ」っていう方向なんですね、今でも。出来るだけ大がかりな施設を作って、できれば一生そこから出ないようにしてほしいって言うんですけど、実際には、異常であることと正常であることの線ってなかなか引けないんですよね。間に留まっている人をどう、ちゃんとこちら側に呼び戻してあげるかっていうシステムがとても大事だと思っていて、二番目の心理学者が言ったのは、このボーダーにいる人が悪魔祓いに通っているのが面白い、と言っていたわけです。自分では悪魔とは思わないんだけど、何でか知らないが悪魔祓いは利くようだ、って人が結構多かったっていうのが、私にも新鮮でした。初めから悪魔の存在とかそういうのを信じている人がきっといるのだろうと思っていたので。悪魔祓いを受ける人は非常にこう、ワイドショーしか見ない教養の低いおばちゃんたちみたいな人っていう風に偏見を持たれているけれども、そうでもなくて、本当にただの学生さんだったりとか、弁護士だったりとかするわけです。
G:
割と幅広いですね。
島:
広かったです。ヤク中で一回人生を壊しかけた青年とかもいました。そういう意味では、製薬会社と一緒になって、とにかく精神異常には投薬をするという冷徹なシステムになりかけてる心理学とか精神科医学のジャンルにも反省があって、歩み寄りもあったっていうのが、面白い現象なんだとは思います。はなから否定するっていうのは、逆に言うと悩みをかかえている人の問題にも全く入っていかないってことじゃないかな、と。そういう意味ではほんとにエクソシストは駆け込み寺になっていました。逆にもし私が「お前がエクソシストをやれ」って言われてもやだな、って思います(苦笑)
電話がずっとかかりっぱなしで、夜とかもまともに食事もできないですし、携帯電話なんか持っていたら大変なことになると思います。だから、ドライなエクソシストは別の若い人に秘書を頼んだりしてる状態です。
G:
ワンクッション挟んで、という感じですか。
島:
そうしないといつでも悪魔祓いして欲しい人が来ちゃいますし、けど悪魔祓いして欲しい人にとっては生きるか死ぬかの問題なんですよね。
G:
そりゃあ確かにそうなったらエクソシストを急募するわけですね、完全に足りないようですし。
島:
実在のエクソシストの神父やカルミネ神父とか見ていて凄いなぁと思うのは、切り替えの上手さです。あれだけ重たい仕事をやりながら、食事のときは冗談を言って楽しんでいて、この人たちは凄いなぁっと思うわけですね、アメリカ人とかは特に。
G:
エクソシスト達には精神的なタフさみたいなものがある、と。
島:
そう、切り替えないと続かない。切り替えが下手な人はノイローゼになっちゃう。そりゃもう絶対楽な仕事じゃない。だから理屈ばっかり言ってる司祭より絶対偉いと思いますね。もう本当に肉体労働者。しかも聞く耳を持ってる人だから余計にそうなりますね。
G:
もう相当できている人じゃないと無理、ってことですね。心理学とか精神学で癒せない人をエクソシストが癒すという点で、読んでいて非常に面白いなと思ったのが、第9章「精神医療とエクソシズム」の中で、「心理学の場合、相談者のベクトルは個人の内的体験へ向かうけれど、『悪魔憑き』に分類された場合、ベクトルは外に向かう。相談者にも責任の一端はあるけど、すべて自分のせいってわけじゃない、という解釈じゃないかな」というローマ大学の心理学者アレッサンドロ・タミーノ教授が言っているというので、「なるほど、外向きに向かっているからっていうのがあるんだ」っていう解釈をしたんですが、これを聞いたときどうでしたか?
島:
それはあると思います。自分だけの問題っていう風に抱え込んじゃうと、どんどんそれを解決できない人は落ち込むじゃないですか。しかも、「いや、何かあるはずだ。君の過去に何かあるはずだ!」って言われ続けていたらもっとつらいですよね。やっぱりどこかにポンと、責任をいったん預けられるのは、それは心理学者に言わせると問題の解決にならないから、むしろこじらせるって言うんだけど、あながちそうでもないと思うのですよね。みんな共通する、悩む人の共同体みたいなものにいったんカテゴライズされるから、気が楽になると思うんです。個人っていうのが、イタリア人とか西洋人って、きっと「個」っていうのがもの凄く強固に出来上がってると思いがちなんですけど、案外日本人とそんなに変わらないんです。やんわりとした共通の意識みたいなものがあって、そこにカテゴライズされることで気が楽になったりとかするわけですね。そういう空間がほとんど、現実の空間にもなくなってきています。こうやって、コーヒー飲もうと思って来ればほっとする空間はあるけど、精神的な話とか、昨日死んだお父さんの話とかをしようと思っても、そういう場所がないわけですよね、現代社会は。そういうものも含めて、やっぱり、他の人と苦しみを共有しているという実感も湧きますし、それに対して理解を持って見てくれているという視線もあるわけです。全く目に見えないもので悩んでる人に、目に見えるものを信じてる人が寄り添ってあげることで、ある種の効果はあるんじゃないかと思います。
◆ノンフィクション本の書き方
G:
ちょっと話が変わるんですが、こういうノンフィクションの本を作っているということで内容が冗長になりがちだと思うんですが、かなりがっちりとまとめているので凄いなと思ったんですけれども、これは一度取材して、一度芯を全部集めきってから書いているのか、それとも集めるしりから書いて行って、どんどん少しずつ作っていっているのか、どちらの手法でやっているんでしょう?
島:
あぁ、これは集めるところからです。まず集めて、何倍も何倍も、多分全部書いたらこれの五倍くらいになるくらいの資料を集めて、それから切るんです。例えば、超常現象に関してもいっぱい色んな話を聞いたんですけど、全部載せると聖書みたいになる(笑)
信じてる人は信じているから。
G:
では、一番最初は集めるだけ集めて、かなり集めきったなと思った段階で書籍として完成させる作業に入っていく、と。
島:
そうですね。話を聞いていて面白かったのは、エクソシスト達の周りでは、苦しんでる人の話として色んなパターンを持っていて、家族構成だったり近親相姦だったり色んな人の話を聞きこんでるわけなんです。しかもエクソシストになるような人たちはみんな割と賢い人たちで、ちょっと相手の話を聞いたり見たりするだけで、その先を読んだりするっていう能力は、人間の能力として確かにあるんだっていうのは確信しましたね。心理学者や夢判断をする人も言うことなのですけど、まずデータとして、ある意味での「正夢」というのは存在する、と。
心理学者などにしても、二百何十日とかの分量の夢判断を聞かないと先生になれないわけなので、彼らは一応みんなそういう経験を持ってるわけです。そうすると、データとして「正夢」になっているものがいくつも出てくるわけですよね。で、それと同じものがエクソシストである人達の能力を見てても、ある種の研ぎ澄まされたものと、先天的に持ってた感性みたいなものと、それが合わさってそういう能力っていうのはあるなって感じます。
例えば、自分の弟子が事故で死にかけたときに、そのビジョンも暗い教会の奥で見ていたりするわけですよね。そういう話は全く理屈抜きに信じることができたかな。だからといって、それから先、多分その悪魔憑きの修道僧の話なんていうのは、どこまで話が膨らんでるのかはわからないですけど(笑)
アモルト神父側から聞くのと別の弟子から聞くのとでは話が少しずつ違ってきてて、アモルト神父から聞くと「パスタがミミズになった!」とか、すっごい怖い、けどあんまり怖くないかも、みたいな所までいっちゃうんです。
◆エクソシストの最新情報
G:
書籍には書いてないけれども、完成したあとで更に調べて分かったことってありますか?何かエクソシスト関連で書籍には載っていない最新情報というか……最新情報と言うと変な感じですが、最近の傾向とかですね。
島:
ああ、若い人が入ってくるようになりましたね。
G:
若い人というと?
島:
当時、エクソシストをしていた神父の弟子たちがみんなだいたい40代くらいだったんです。で、そこから20代・30代の人が出てきたんです。今出てる人で、ナンニっていう名前の神父さんは、もう40代になっていますけど、テレビでよく出てきていたアモルト神父はもう80代で、いつ倒れてもおかしくない。その彼に続くマスコミ対応のエクソシストとして、ナンニ神父が君臨しているわけです。ひげも綺麗に剃って、綺麗過ぎるんですよね(笑)
もうすごく出たがりなんですよね。このナンニ神父の下にいるのが20代くらいの子たちで、今回のエクソシスト講座を聞いて、論文なんかも自分たちで書いて、自分たちの地元でやりたいっていう若い層が出てきたんです。これはちょっと面白い傾向かなぁと。
G:
なぜ若い人が出始めたのでしょうか?
島:
やっぱり、70年代とか80年代に社会格差が広がった時に、貧民窟に入ったりとか移民問題に入ったりする層を、捨てないけど置いといて街に出ようっていう社会派の坊さんたちが増えたんですよ。そういう流れの延長上に、今度は心の病に立ち向かうっていうか、目に見えない貧しさ、凄くお金持ちの都会の真ん中に住んでいる子どもでも、凄い苦しみを中に抱えてて、それが色んな形で出てるのが現代だから、これにちゃんと目を向けていきましょう、っていう層なんじゃないですか。良い意味で若い子たちが古い儀式の良さみたいなところを理解して、今の問題、社会問題と向き合っていこうっていうことかなぁと思います。
G:
なるほど、ありがとうございました。
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