18世紀の「奴隷船」の3Dモデルムービーが公開、奴隷が船中でどんな生活を強いられていたのかが一目で理解可能
大航海時代、香辛料や絹、鉱物資源などの交易品だけでなく、貿易のための「奴隷」も船で運ばれていました。奴隷たちが詰め込まれていた3Dモデルの「奴隷船」のムービーが公開されています。
Trans-Atlantic - Slave Ship in 3D Video
https://slavevoyages.org/voyage/ship
1500年から1867年にかけて、アフリカ-アメリカ間で4万回以上もの航海が行われ、約1250万人もの奴隷が貿易品として船で運ばれました。
Aurora(オーロラ)号は1784年8月28日にフランスのラ・ロシェルからアフリカに向けて出航した奴隷船です。
アフリカで捕らえられた人々はサン・ドミニック(現ハイチ)へ奴隷として輸送されました。
3Dモデルで生成したオーロラ号はこんな感じ。3本の帆柱に四角帆を備え、船体側面には砲門も据え付けられています。
オーロラ号には、18世紀の奴隷船特有の2つの特徴を有しています。その1つが上甲板に備え付けられた2本の鎖。男性奴隷をこの鎖につないで、強制的に働かせていました。
もう1つの特徴がバリケード。オーロラ号は船首側と船尾側が高さ9フィート(約2.7m)のバリケードで分割されていました。バリケードには奴隷が上って来られないようにするためのトゲと、万が一のときの備えとして銃が備わっていました。
船首側には男性の奴隷が、船尾側には女性の奴隷と子どもが収容され、お互いに話すことすらできない環境でした。
乗組員の部屋も船尾側。上級船員の部屋の近くのキッチンで乗組員と奴隷の食事が作られていました。奴隷の食事は1日2回、与えられた食べ物は主に米や豆類、小麦粉で、水は2パイント(1リットル)のみ。当時、多くの奴隷が脱水により亡くなったそうです。
日が落ちる頃、奴隷は銃や鞭で脅されながら、2人1組で足鎖につながれて下層にある船室に押し込まれます。
船室の壁際には台座が組まれており、奴隷は台座の上下にそれぞれ押し込まれます。
奴隷1人当たりに与えられたスペースは、幅は14インチ(約36cm)から18インチ(約46cm)、高さは30インチ(約76cm)のみ。
ほとんどの奴隷は押し合うようにして寝ましたが、座るしかできないスペースを与えられた奴隷もいたとのこと。奴隷たちは2カ月から3カ月の間、日没から日の出までの約14時間をこのスペースで過ごしていました。
オーロラ号で奴隷がどのように過ごしていたのかは記録がありませんが、オーロラ号とほぼ同時期に航海していたMari seraphique(マリー・セラフィック)号には、奴隷がどのように詰め込まれていたのかを示す絵が残されています。以下の画像を見ると、奴隷に与えられたスペースは文字通り体一つ分で、身動きすらできなかったであろうことがわかります。マリー・セラフィック号で運ばれた奴隷はおよそ300人、オーロラ号はさらにその倍の600人の奴隷が運ばれました。
こうして運ばれた奴隷は砂糖やコーヒーの農園に売却されたそうです。
今回の奴隷船の3Dモデル作成を主導したランカスター大学の歴史家ニコラス・レッドバーン氏は、「奴隷船の設計図だけでは当時の現実を伝えるには不十分です。3Dモデルを活用すれば、視覚的に当時の奴隷船がどのようなものかを理解することができます」とコメントしています。
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