モアイの島、イースター島の文明が滅びたのは「戦争ではない」という新説が提唱される

By Carl Lipo

人の顔を刻んだ巨大彫刻物「モアイ」で知られる南太平洋の孤島「イースター島」にはかつて文明がありましたが、19世紀半ばに島内で起こった戦争によってほぼ完全に滅びたと言われています。環境破壊のために資源が枯渇し、残された資源を巡って紛争が勃発したため島の人口が壊滅的な被害を受けたというのがイースター島の歴史として半ば定説化しているのですが、ニューヨーク州立大学ビンガムトン校のカール・リポ教授らによる研究チームは、これらを否定する新しい説と、それを裏付ける証拠を発表しています。

In shards of glass, a new sign of how the enigmatic Easter Islanders met their demise - The Washington Post
https://www.washingtonpost.com/news/morning-mix/wp/2016/02/17/in-shards-of-glass-a-new-sign-of-how-the-enigmatic-easter-islanders-met-their-demise/

New evidence: Easter Island civilization was not destroyed by war | Ars Technica
http://arstechnica.com/science/2016/02/new-evidence-easter-island-civilization-was-not-destroyed-by-war/

イースター島、または現地の言葉でラパ・ヌイと呼ばれる島には5世紀ごろにポリネシア人が移り住むようになり、10世紀ごろには有名な石像彫刻「モアイ」の製作が始まったと考えられています。かつての島の人口は3000人~4000人とする説と1万人以上が住んでいたとする説があり、本当のところはよくわかっていないのが実情です。2016年現在は4000名程度の住民が暮らしており、島内にはチリ海軍が駐留しているほか、空港、道路、港湾などが整備され、市街地にはレストラン、ホテル、ディスコ、ガソリンスタンド、ビデオレンタルショップ、学校、病院、博物館、郵便局、放送局などの施設が整っており、島の暮らしは至って現代的なものとなっています。

モアイ像の起源と並び、イースター島で先住民族であるポリネシア人の文明が滅びた経緯が大きな謎として残されています。文明の崩壊がおこった理由として唱えられている説としては、学者であり作家でもあるジャレド・ダイアモンド氏が唱える「エコサイド(ecocide)」説が広く知られています。これは、無計画な開発で行われた森林の伐採などによって環境破壊が起こり、森は枯れ、森林破壊によって養分を含んだ土壌が流れ出したことで、食物を栽培することもできなくなって食糧に困窮したというもの。

さらに、木がなくなったために魚を釣るための竿を作ることすらできなくなり、周囲を海に囲まれた絶海の孤島であるイースター島で生活に困った住人同士が残された資源を争って戦争を起こし、多くの人が犠牲になったと考えられています。この環境破壊説「エコサイド」は、無謀な開発と環境破壊に警鐘を鳴らすエピソードとしてもよく取り上げられるものです。

By Livio Barcella

このエコサイド説に異論を唱えているのが、リポ教授らによる研究チームです。リポ教授らは2000年ごろからイースター島での現地調査を開始し、モアイの製作方法などを含むイースター島の歴史や、先住民族の社会が崩壊した経緯について研究を行いました。

先述の通り、従来の説ではイースター島では住民同士の殺し合いが行われたと考えられているのですが、この説を裏付けているといわれているのが、島内の各所で見られる刃物のような物体です。島で採れる黒曜石で作られるこの物体は「マタァ(mata'a)」と呼ばれ、その鋭く研がれた形状から住民同士の殺し合いに使われたと考えられてきました。


1774年にイースター島を訪れたジェームズ・クック(キャプテン・クック)の一行が「島には、薄くて鋭く加工されたヤリのようなものが転がっていた」と記しており、このマタァが住民同士の殺し合いに使われたと思われても仕方ない状況だったようです。

リポ博士らはこのマタァの形状を楕円フーリエ解析と呼ばれる手法を用いて分析しました。楕円フーリエ解析をかいつまんで言うと、物体の形状をX軸とY軸に分解して数値化するというものなのですが、リポ教授らはこの手法を用いて400個あまりのマタァを調査し、「マタァは人を殺す目的には使えない」という結論を導き出しました。人に致命傷を与えるだけの鋭さと長さがない事がその理由であるのですが、その形状をもとにリポ教授は「マタァは皮を剥いだり農作業の際に使ったりする道具である」と結論づけ、戦争のために使われたわけではないという説を唱えています。


代わりにリポ教授が唱えているのが、18世紀ごろに島を訪れたヨーロッパ人によってもたらされた病疫が人口を激減させたという説。イースター島に始めて到来したヨーロッパ人は、1722年のイースターの日に島を発見したオランダ海軍提督のヤーコプ・ロッヘフェーンで、その際には島には3000人程度の住民が暮らしているという記録が残っています。

ロッヘフェーン提督の後もヨーロッパからの船が島には到来していたようですが、1774年にイースター島に上陸したクック船長は「島じゅうが骸骨で覆われていた」と、その数年前に島民の大量死が起こったことを思わせる様子を残しています。


リポ教授は、ちょうどその頃イースター島を訪れていたスペインからの船によって疫病がもたらされたとする可能性について触れており、天然痘やペストといった疫病が伝染することで、島の人口は短期間で半数以下にまで減ったと指摘しています。リポ教授は「ヨーロッパ人が到来するまで、島で大規模な人口破壊が起こった形跡はみつからなかった」としています。


このリポ教授の説には反対の声を挙げる人がいるのも事実です。先述のダイアモンド氏は、リポ教授の理論では焼畑農業による環境破壊の影響度が低く見積もられているなどの問題を指摘しているほか、イースター島の研究家であるポール・バーン氏とジョン・フレンリー氏は、当時の骸骨に残された外傷の跡や、島に伝わる大虐殺の言い伝えの存在を指摘し、住民同士の殺し合いが原因であると反論しています。ただし、現在島に住む住民は1度島を出てから戻って来た人や、外部からの流入であるため、この「言い伝え」がどこまで信頼できるのか疑問符が残るところではあります。

まさに諸説入り乱れるといった様相のイースター島の歴史論ですが、従来の説は科学的根拠に欠けるともいわれていたことから、リポ教授らの説は一石を投じる存在であることは間違いないと言って良さそう。状況を鑑みるに、さまざまな思惑があってまさに歴史認識の難しさを痛感させられる観のある問題ですが、最後は科学的な根拠が本当の姿を見せてくれることを願いたいところです。

なお、リポ教授らの研究チームはモアイ像の製作方法についても調査を実施しています。以下のムービーでは、上記の「ヨーロッパ人説」の詳細が語られているほか、昔の人が使ったと考えられる「モアイを歩かせる」という方法で運搬する方法を再現する様子を見ることができます。

National Geographic Live! - Terry Hunt and Carl Lipo: The Statues That Walked - YouTube


これが検証に用いられた、コンクリート製で重さ5トンという、モアイの模型。


モアイに三方からロープをかけ、左右に揺らすことでモアイがまるで歩くように運ばれる様子が収められています。イースター島には「モアイは自分で歩いた」という言い伝えがあるのですが、まさにその通りの光景がムービーで再現されています。

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in サイエンス,  動画, Posted by logx_tm