取材

石舞台古墳より大きな巨大方墳・小山田遺跡と舒明天皇陵を見てきた


奈良県明日香村にある小山田遺跡で巨大な方墳の一部が見つかりました。一辺が50mある石舞台古墳よりも大きい、飛鳥地域では最大のものだとのことで、その作りの共通性から舒明天皇陵なのではないかという見方や、蘇我氏の墓ではないかという見方が出ています。ちょうど、奈良県桜井市には宮内庁が定める舒明天皇陵・押坂内陵があるので、合わせて行ってきました。

小山田遺跡第5次・第6次調査 現地説明会のご案内 (2015年1月15日)
(PDFファイル)http://www.kashikoken.jp/from-site/2014/koyamada_annai.pdf

舒明天皇の初葬地か - 飛鳥最大の方墳/明日香・小山田遺跡 | 考古学 | 奈良新聞WEB
http://www.nara-np.co.jp/20150116090450.html

近鉄の橿原神宮前駅に到着。こうした大きめの規模の駅では珍しくなってきた構内踏切を渡り、東口から外へ。


東口の外は小さめのロータリーになっています。


バス乗り場は1番が八木・吉野行き、2番が明日香周遊バス・飛鳥資料館・飛鳥大仏・石舞台・高松塚行き。


この日は、1番乗り場から現地最寄りの「野口」バス停まで、シャトルバスが運行されていました。


満席のバスに揺られること約10分で野口に到着、ここからは歩くことになるのですが、バスから降りた人の他に、岡寺駅から歩いてきた人、近所の駐車場に車を止めて歩いてきた人も混ざって、すごい人の数……。


現場の奈良県立明日香養護学校に到着しましたが、ぎっしりと行列。


焼き餅などを売るお店が出ていました。


受付でリーフレットをもらい……


パネルの前で、10分弱の説明を受けます。


これは1948年に撮影された航空写真。この場所の南西に平田梅山古墳(欽明陵)、南に野口王墓古墳(天武・持統陵)があります。


今回、「明日香に未知の巨大古墳が!?」とニュースになったのは1月15日(木)のことでしたが、そもそも発掘調査が始まったのは40年ほど前のこと。この学校の敷地内から木簡が出たことがきっかけで調査が始まり、石舞台古墳を越える全長50m超規模の古墳の存在が明らかになりました。


最初に見つかった遺構は「溝」で、全面に石が敷き詰められており、北側には大きな石が、南側には板状の石が階段状に並べられていました。これがその写真で、下の方は緑色の結晶片岩(緑泥片岩)、上の方は室生安山岩(榛原石)でした。この板石状の積み方は、桜井市にある段ノ塚古墳(舒明陵・押坂内陵)にも見られるものであることから、段ノ塚への改葬前の舒明陵がここだったのではないか?という意見が出ているわけです。


舒明天皇は第34代の天皇で、史上初の女性天皇であるといわれる推古天皇が亡くなった後を受けて即位しました。蘇我氏の血は入っていないものの、実権は蘇我蝦夷が握っていたとみられます。皇后・宝姫王(のちの皇極天皇・斉明天皇)との子に中大兄皇子(のちの天智天皇)・間人皇女・大海人皇子(のちの天武天皇)。

……ということで、説明を受けた後は校舎の裏側にある現地を見せてもらうことに。現地は足場が組まれているので、1度に入れるのは150名だけ。


今から見る現地を空から見るとこんな感じ。


前のグループが見終えるのを待ちます……。


足場はこんな感じで、遺跡の上に設けられています。


見つかった結晶片岩と室生安山岩。


こんな感じで階段状に積まれています。なお、写真は遺跡北側にある足場から南を向いて撮影したもの。


溝にずらっと石が並んでいます。


足場はこんな感じで設置されています。


ところどころに「石材抜き取り穴」があります。これは、発掘した時点であったもので、こうして遺跡として埋まってしまう前に、人為的に抜かれたものだとみられています。


石舞台古墳以上の大きさ、と言われても見つかったのはまだ方墳の一部。いったい、全体としてはどんなものだったのか……。


公開には8000人以上が訪れたとのこと。なお、現地の説明員の方によると、前述のように段ノ塚古墳と作りが共通することから舒明陵という見方があるものの、一方で、北にある甘樫丘に蘇我氏の邸宅があったといわれていて、遺跡西側には菖蒲池古墳が隣接していることから、あわせて蘇我蝦夷・蘇我入鹿の墓が並んでいたのではないかという見方もあるとのこと。


帰りに、学校敷地内に方墳っぽいものが作られていましたが、これはおそらく調査の時に出てきた残土を積んだもの。


学校の西側に出口が設けられていて、そのまま道を渡ると菖蒲池古墳へ行くことができます。


こんもりとした丘に小屋のようなものが建っています。これが菖蒲池古墳。


説明板によると、古墳の大きさは20m前後。天井石が露出している状態で、石棺は最高級のものに仕上げられていたとのこと。


この小屋っぽいものは、その石棺を保護するために作られた雨除け。


わずかな隙間から中をのぞき込むと、ぽっかりと石棺が口を開けています。


古墳は小高い丘になっていて、明日香村の町並みを見渡せます。


改葬後の舒明陵・段ノ塚古墳もそう遠くない位置にあるので、見に行ってみることにしました。まずは野口から橿原神宮前東口までシャトルバスで戻り……


橿原神宮前から、近鉄橿原線急行で大和八木へ。


大和八木で、今度は近鉄大阪線の区間準急に乗り換えます。


そして、桜井に到着。陵へ向かうバスに乗るため南口に出ると、近鉄桜井駅がJR桜井駅の陰に入ってしまいました。写真ではちょうど近鉄桜井駅をアーバンライナーが通過中。


駅前にあった桜井市案内板。4つの「歴史の道」が色分けされていますが、舒明陵はルートに入っていませんでした。


南口バス乗り場1番から、大宇陀方面行きに乗ります。


奈良交通のバスはかなり小型でした。


駅からわずか10分で「忍阪(おっさか)」に到着。


このあたりには寺や古墳がたくさんあるようです。


バス停から東の方を向いたところ。だいたいバス停から500m、徒歩3分ほどで到着するという案内があったので見えているはずなのですが、この時点ではどれなのかさっぱりわからず。


ともかく、東へ歩いて行くと、曲がり角に「舒明天皇陵 従是左一町」という道しるべを発見。1町は約109m。


碑のあるところから、山側へ行けばOK。その途上に……


このような鐘が設置されていました。鐘の置かれている石は「神籠石(じんごいし・通称:ちご石)」と呼ばれるもの。神武東征で、この地の八十建(ヤソタケル)を討つとき、神武天皇が盾にした大石だという伝説があります。


石の前を通ってさらに上っていくと、すぐにこのような場所に到着。


これが舒明陵。宮内庁は「押坂内陵(おさかのうちのみささぎ)」の名をつけています。


階段を上りきったところ。天皇陵はどこも立ち入りが禁止されていて、このような門の前までしか行けないようになっています。


見てわかる「お墓」ではなく、山のように見えているものがまるごとお墓(古墳)です。


振り返るとこんな感じ。


ちなみに、階段の下からはさらに細い道が山の方につながっています。


そこに建っているのがこの説明のパネル。ここに掲載された航空写真を見ると、いかにも古墳っぽい形をしているのがわかります。


道をさらにたどっていくと、少し開けたところに出ます。正面に、先ほどの天皇陵と同じような門のようなものが見えてきます。それ以外は耕作地のようになっていました。


これは鏡女王(かがみのひめみこ/かがみのおおきみ)の墓。


豪族・鏡王の娘で、額田王の姉にあたるという説があります。はじめは天智天皇の妃でしたが、のちに藤原鎌足の正室となりました。


墓はこの2つだけではないのでさらに進みます。すぐに分岐がありますが、右手側は外鎌山(忍阪山)へと分かれていきます。山は標高292mで、越えると大和朝倉に着きます。今回は山越えはしません。


分岐を左へ向かうと、すぐに看板が立っています。


この先にあるのは大伴皇女(おおとものひめみこ)の墓。皇女は欽明天皇の娘であり、舒明天皇は異母兄弟である敏達天皇の孫にあたります。100m上にあるということなので、さらに進みます。


100mといっても、結構高低差があります。


これが大伴皇女墓。


先ほどまでの2つの墓と異なり、ここには鳥居が設けられていました。


鳥居の先がこんもりと盛り上がっていて、ここが一番お墓っぽい雰囲気でした。


かなり上ってきたような感じがしますが、忍阪のバス停からここまでは30分弱で来ることができます。


このあたりをGoogleマップで見るとこんな感じ。ただし、地図上で「大伴皇女押坂内墓」と書かれている場所よりも、実際の墓は西の方で、舒明陵の近くです。(→2015年1月の記事掲載時点では書いているように地図上で「大伴皇女押坂内墓」のマーカーが置かれている場所は実際の場所とずれていましたが、その後、正しい位置に修正されたようです)


舒明陵に上がってくるまでに通った道路は「歴史街道」の1つで、この他にも数多くの見所があるので、興味がある人はいろいろと巡ってみてもいいかも。


帰りに忍阪のバス停から舒明陵の方を振り返ったところ。ちょうど写真中央、2つ並んだ青い屋根の右側あたりが舒明陵のあるあたり。


バスは約2時間に1本しかありませんが、桜井駅南口を出たバスに乗ってきて忍阪で降り、そのバスが大宇陀まで行って折り返してくるまでに約1時間弱あるので、舒明陵・鏡女王墓・大伴皇女墓の3つを巡るだけなら、わりと簡単です。

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in 取材, Posted by logc_nt

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