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【訃報】「仁義なき戦い」「トラック野郎」の俳優・菅原文太さん死去


新東宝や東映の映画を中心に活躍し、2012年に役者業引退を表明した俳優の菅原文太さんが11月末に亡くなっていたことがわかりました。81歳でした。

日刊ゲンダイ|菅原文太さんが死去 高倉健さんに続き大物俳優がまた…
http://nikkan-gendai.com/articles/view/geino/155391

「仁義なき戦い」菅原文太さん死去 81歳 - 芸能ニュース : nikkansports.com
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20141201-1403381.html

菅原さんは1933年生まれ。早稲田大学第二法学部を中退後、劇団四季の1期生となり端役として何本もの舞台に出て、1956年には映画「哀愁の街に霧が降る」にも出演。


その後、モデルを経て、1958年に新東宝にスカウトされ、本格的に俳優としてデビュー。長身二枚目若手スターの高宮敬二さん、吉田輝雄さん、元東映フライヤーズ投手の寺島達夫さんらと「ハンサムタワーズ」として売り出されました。

新東宝は1961年に倒産し、菅原さんはハンサムタワーズの面々とともに松竹へ移籍することになります。この時期、ハンサムタワーズの吉田さんは岩下志麻さん・倍賞千恵子さん・岡田茉莉子さんといったスター女優の相手役を務めるようになっており、高宮さん・寺島さんもそれぞれに主演映画が作られましたが、菅原さんの活動は脇役が中心でした。

1967年になり、暴力団組長から俳優に転向した安藤昇さんから勧められて、ハンサムタワーズのメンバーと共に松竹から東映へ移籍。ただし、寺島さんは1964年に松竹を退社してフリーになっていました。

東映でも当初はほとんどセリフのないような役回りばかりだった菅原さんですが、1969年、のちにシリーズ化される「現代やくざ 与太郎の掟」(1972年までに5作品)や「関東テキヤ一家」(1971年までに5作品)で主演。1971年からの「まむしの兄弟」(1975年までに8作品)でも主演を務めます。

そして1973年に始まった「仁義なき戦い」シリーズが大ヒット。1974年からの「新・仁義なき戦い」シリーズ、1975年開始の「トラック野郎」シリーズもヒットして、菅原さんは東映スター俳優の仲間入りを果たします。

仁義なき戦い(予告編) - YouTube


トラック野郎 御意見無用(予告編) - YouTube


その後も映画やドラマ、映画「ゲド戦記」での声の仕事など、多方面で存在感を放っていた菅原さんですが、1998年ごろから飛騨地方に移住して、農業関係の仕事や講演を行うようになり、2009年に山梨県韮崎市に移住したときには、俳優業を“半引退”。2012年11月13日には講演の中で役者生活の引退を正式に発表し、以後は主に国民運動グループ「いのちの党」で講演活動を行っていました。

菅原文太氏 スピーチ[6.12 戦争をさせない全国署名提出集会] 2014.6.12 @日比谷野音 - YouTube


菅原さんといえば、このCMの印象が強いという人も多いかも。

朝日ソーラーじゃけん - YouTube

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in メモ,   動画, Posted by logc_nt

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