ロダンの「考える人」は誰がモデルで何を考えているのか?

19世紀を代表する彫刻家であるオーギュスト・ロダンが制作した「考える人」といえば、学校に置かれている定番の像で、過去にはfigma化も果たしています。そんな「考える人」は、誰がモデルで何を考えているのかについて、美術史家のノア・チャーニー氏が解説しました。
What is "The Thinker" actually thinking about? - Noah Charney - YouTube

「考える人」は、足を組んで頬杖をつきながら物思いにふける人物の像です。しかし、この彫刻は単なる瞑想の具現化ではありません。

制作者のオーギュスト・ロダンは、「考える人」を特定の人物を象徴するものとして意図して制作し、「地獄の門」の一部として組み込みました。

「考える人」は、ロダンの晩年の数十年間にわたって彼を夢中にさせるプロジェクトでした。そこで気になるのが、「考える人」は一体誰で、何を考えていたのかという点です。

ロダンが名声を得るまでの道のりは険しいものでした。ロダンはフランス・パリの労働者階級が暮らす地域で育ち、名門美術学校に願書を出しましたが3度も不合格となっています。

数年間職人として働いた後、初めての彫刻作品をパリのサロンに出品したものの、これも落選。ロダンが最初の主要作品を完成させたのは1877年、35歳の時でした。これは、イタリアを訪れたロダンが展示されていたルネサンス彫刻に魅了された直後のことだったそうです。

しかし、ロダンが制作した彫刻があまりに人間そっくりであったため、批評家からは「人間のモデルから直接型取りした彫刻だ」と非難を集めました。

もちろんロダンはそのようなことはしておらず、仲間の芸術家がロダンが型取りしていないことを保証。しかし、論争が静まった頃にはロダンの作風は劇的に変化していました。

ロダンは学術的に写実的な形態を描くのではなく、より粗く、表現力豊かな彫像を作るようになりました。

また、カメラ技術の進歩により完璧な肖像を捉えることが可能になったものの、ロダンは芸術的な描写はカメラより精度が劣っていても、より真実に近いものを表現していると主張。

キュビスムや抽象表現主義、印象派といった勃興期の芸術運動をけん引する芸術家たちと同様に、ロダンは彫刻を近代化し、古典的な形式に新たな息吹を吹き込みました。

そして1880年にロダンは人生を決定づける依頼を受けました。これはルネサンス期の彫刻家であるロレンツォ・ギベルティの制作した「天国の門」を彷彿とさせる、フランスの新しい美術館のための壮大な門の制作依頼でした。

ロダンはこれを「天国の門」とは真逆の作品「地獄の門」として制作開始。200体以上の苦悩する魂を描いた、渦巻くような地獄の構図を考案します。

「地獄の門」は14世紀の詩人であるダンテ・アリギエーリの叙事詩「神曲」の中の地獄篇にインスピレーションを得たものです。地獄篇は、地獄に堕ちた者たちの破滅を描いた作品。

ロダンは「地獄の門」の制作を粘土で始め、門に配置する人物像を彫刻していきました。ロダンの工房では作られた像が再構成されたり、組み合わされたり、拡大されたり、独立した作品として制作されたりしたそうです。

ロダンは伝統を打ち破り、創作過程の痕跡を目に見える形で残しました。しかし、「地獄の門」を展示する予定だった美術館は結局建設されませんでした。

その結果、ロダンの中で「地獄の門」は際限なく修正を繰り返す強迫観念へと発展していきます。

しかし、この「地獄の門」の制作過程で、ロダンは自身にとって最も偉大な彫刻作品のいくつかを生み出すこととなります。「地獄の門」の一部として制作した彫刻が、分離・洗練・拡大されることで、ひとつの作品として評価されるようになっていったわけです。

「地獄の門」の制作時、ロダンは粘土から青銅へと仕上げる技法としてロストワックスという手法を好んで用いました。

複雑な構成部品は部分ごとに鋳造され、はんだ付けで接合。その後、表面にパティナを施し、仕上げています。

「地獄の門」では「神曲」の地獄篇で描かれたさまざまな人間の姿が表現されています。例えば、禁断の情欲の中で永遠に格闘する恋人パオロとフランチェスカや、最後の絶望の瞬間に息子たちを食らう政治的裏切り者のウゴリーノ伯爵など。それだけでなく、シャルル・ボードレールの詩集で探求された肉欲的なテーマなど、「神曲」以外の作品からもインスピレーションを得ました。

そんな「地獄の門」の中で、苦しむ人々を見守るかのように鎮座しているのが「考える人」です。これは「神曲」の作者であるダンテ・アリギエーリをイメージしたものとなっており、「苦しむ人々に思いを巡らし、人間の本性の大きな落とし穴について考え、その重みがのしかかる様子をイメージして制作された彫像」とチャーニー氏は解説しています。そのため、ロダンは当初「考える人」を「詩人」と読んでいましたが、後に「考える人」に改名しています。

1888年に初めて単独で鋳造された「考える人」は、たちまちセンセーションを巻き起こしました。「考える人」が生まれるまでの経緯を考慮すると、この像は人間の心が熟考し、疑い、創造する能力を象徴する普遍的なシンボルであるとチャーニー氏は表現しています。

その後、1904年になって等身大の「考える人」が初めて公共の場に設置されました。地獄を見下ろすのではなく、文化的な記念碑の頂上に据えられた状態の「考える人」は、たちまち世界で最も有名な彫刻のひとつとなりました。

なお、37年もの年月をかけて制作されたにもかかわらず、「地獄の門」が未完成なままロダンは死去しました。ロダンの死後約10年が経過したのち、「地獄の門」は完成しています。

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in 動画, Posted by logu_ii
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