スペインで新年最初に開くお店はなんでしょう?スペイン流の大晦日と新年の祝い方
こんにちは、自転車世界一周の周藤卓也@チャリダーマンです。前回のポルトガルのロカ岬からスペイン南部を走っていました。地元の人に呼び止められた大晦日は貴重な体験をさせて頂きました。
アンダルシア地方の中心都市セビリャを経由してアフリカへのフェリーが出る港があるタリファへ。そしてモロッコから遂にアフリカの旅が始まります。モロッコは1月だというのにすでに春の陽気です。
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アフリカの旅が始まるタンジェはここにあります。
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ポルトガルの首都リスボンから西に向かって走ります。世界遺産のある街であるエヴォラという街に立ち寄りました。
南下して日差しが強いのか白い建物ばかりが目に付きます。
雨が多かったのですが虹がかかると癒されます。
12月31日にも走っていました。05年は京都、06年はオーストラリア、07年はタイ、09年はアルメニアと旅に出ている大晦日は毎年走っています。今年も例年にならってこのままキャンプだと思っていました。
スペインに再入国して田舎の町を走っていると一軒の民家から呼び止められました。旅をかくかくしかじか説明してそのまま立ち去るつもりでしたが「今夜はどこに泊まるの?雨降るだろうし家に泊まっていったらどう?」と誘ってくれます。ですが今夜は大晦日、「大切な日じゃないですか?迷惑になりませんか?」と確認すると「問題ないよ」と。楽しそうだったのでそのままお世話になりました。1年の終わりの大晦日にきちんとシャワーを浴びれるのはこの上なく幸せでした。
夕方から彼らの友人を交えて食事を取ります。「ピジョン、ピジョン」と言っていたこの肉は鳩でした。
彼らの家には本格的な暖炉があります。
調理風景。
これはスペインのスーパーマーケットでよくみかけた魚パスタ。魚肉のすり身をパスタ状に精製していると思うのですがいかがでしょうか?美味しかったです。
こんなスペイン人の年越しパーティーに混ざっていました。
新年を迎えるのに辺りシャンパンとぶどう粒が用意されて居ます。
この家の主である男性がホセさん、女性がマリーさん。ホセさんは陽気で「友達が来たらお前は俺の息子だと言って驚かせようじゃないか」と面白い事を言ってました。マリーさんが英語を話せて、ホセさんを通訳してくれます。たいへんお世話になりました。
皆が見ているテレビでは首都マドリードの年越しの様子が写されています。1分また1分と新年が近付きカウントダウンが始まりました。12のカウントと同時にテーブルの上の12のぶどう粒を食べていきます。そして新年はシャンパンで乾杯です。これがスペインで体験した年越しでした。
それから知人に新年の挨拶をするからと街のバーまで移動しました。バーは深夜0時だというのに新年を祝う人達で賑わっています。スペインで一年の始まりに最初に営業しているのはバーみたいです。皆で写真を撮りました。
1月1日の元旦から2011年の走行を開始。アンダルシア地方に入ります。
この季節の羊の群れには子羊が混じっています。高い「メェ~」の声が可愛くて仕方ありません。羊も声変わりするのでしょうか。
スペインで放牧されているお牛には他の国と違って角が残されているんです。動物愛護の観点から闘牛非難を浴びるスペインですが、この角はお牛に優しくありませんか?
スペイン語のミルクチョコレートはチョコラテ・コン・レーチェ。カフェ・コン・レーチェだとカフェオレになります。コンがwithでレーチェがmilkです。この響きが好きなんです。
この南スペイン辺りの街路樹はオレンジなんです。観ているだけで暖かな雰囲気となりませんか?
アンダルシア自治州の州都であるセビリャに到着しました。ここには15世紀のゴシックの大聖堂があります。
この大聖堂の中庭にもオレンジの木があります。
高い所から見下ろすと中庭はこの様な形です。
大聖堂の塔に上るとセビリャ市街が一望できます。
セビリャを出てアフリカへと渡るフェリーがあるタリファの港を目指します。
かなり小さいですが野ウサギが居ます。
スペイン北部でもみかけたのですが、スペイン南部にも巨大な牛看板がありました。車と比較してみたら分かるんですが、本当に大きくてびっくりするんですよ。
田舎の街の小さなスーパーの前でおじさんが食用かたつむりを売っていました。食用なんですね……。
スペイン南部の街は周りに平坦な地形があるのに丘の上に建っています。その理由を考えていたらシェスタの謎が解けました。スペインの昼過ぎのシェスタの時間は店は閉まり街はひっそりしています。それは、太陽が日中に上る最も暑い時間の活動を避ける為です。イランでもモロッコでも、昼過ぎの一定の時間は店が閉まっています。ではそれ以外の時間はどうなるのかというと、丘に街を作る事で高低差を利用して影を作っているのです。イランでもどうしてこんなに平坦な場所があるのにわざわざ山沿いに街を作るのと不思議に考えた事がありましたが、影のためだった、というわけです。自分はこう考えるのですが、いかがでしょうか。
スペインの南端からタリファからモロッコのタンジェまで高速フェリーが出ています。
フェリーはタリファの街を出ました。
積み込まれた自転車。
そしてアフリカに上陸しました。モロッコに入ります。
タンジェの街
え、これ大丈夫なの?
ミシュランは世界中で見かける事が出来ます。ここにもありました。
モロッコに入ってから暖かく天気にも恵まれて気持ちの良いサイクリングを続けています。
アラビア語のコカコーラ
田舎の街はこんな感じです。
ノリのいい若者達に写真をせがまれ、こちらも写真を撮らせて貰いました。若い女性の写真を撮るなんてイランでは考えられませんでした。モロッコもイスラムなんですがイランに比べると軽いです。女性のスカーフもここでは絶対ではないみたいです。
ついにアフリカへ入ってしまいました。ヨーロッパから世界は一変してしまい、だいぶ戸惑いました。ただ昨日より今日、今日より明日と一日一日と馴染んでいくのが分かります。モロッコは確実に途上国でいらいらする事もあります。ですが、開発が進み明るい見通しも感じます。その辺りをまた発信出来たらと思っています。
(文・写真:周藤卓也@チャリダーマン
自転車世界一周取材中 http://shuutak.com)
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