サイエンス

長期の宇宙滞在ミッションが引き起こす謎の病「VIIP」

By NASA Goddard Space Flight Center

長期の宇宙滞在ミッションには、大まかに分けると「微小重力の影響」「放射線の影響」「精神的・心理的な影響」による健康リスクが存在すると考えられています。「微小重力空間では筋肉や骨の衰えを予防するために運動を行う必要がある」のような頻繁に耳にするものから、未知の症状までさまざまな健康リスクが潜んでいると考えられているのですが、宇宙での長期滞在により引き起こされる「VIIP」が注目されています。

The mysterious syndrome impairing astronauts’ sight - The Washington Post
https://www.washingtonpost.com/national/health-science/the-mysterious-syndrome-impairing-astronauts-eyesight/2016/07/09/f20fb9a6-41f1-11e6-88d0-6adee48be8bc_story.html


宇宙飛行士のジョン・フィリップス氏は地球での長期休暇の後、2005年に国際宇宙ステーション(ISS)での滞在ミッションに向かいました。ミッションでは4月から10月までの期間ISSでの滞在が予定されていました。しかしその途中、フィリップス氏がISSから地球を見下ろしたところ、視界がぼやけて見えたそうで、焦点を合わせて見ることができなくなっていたそうです。フィリップス氏の視力はそれまでずっと20/20(日本で言う視力1.0)であったため、視力の低下はとても奇妙な出来事として捉えられました。


フィリップス氏は「私は視力が低下したことを地上に報告したかどうか定かではありません。恐らく、報告はしなかったでしょう。私はこの現象がすぐに消え去るものだと思っており、地球に戻ればすぐに治るものだと思っていたんです」と、当時の心境を語ります。しかし、フィリップス氏の視力は回復しませんでした。なお、NASAが行った身体検査データによると、約6か月の宇宙飛行ミッション期間でフィリップス氏の視力は20/20(視力1.0)から20/100(視力0.2)まで低下しました。

さらに正確なデータを得るため、MRIや網膜スキャン、神経学的なテスト、脊髄穿刺などが行われます。これらの検査の結果、フィリップス氏の目は視力が低下していただけでなく、目自体に変化が起きていたことが判明。フィリップス氏の眼球背面は水平になっており、その結果網膜が圧迫される脈絡膜襞を患っていたそうです。この症状によりフィリップス氏の視神経は炎症を起こしていたそうです。

以下は、長期の宇宙滞在ミッションに参加した宇宙飛行士に起きるという謎の症状の発症前(右)と発症後(左)の網膜を光断層撮影したもの。矢印部分に脈絡膜のつぶれが確認できます。


フィリップス氏の事例は、宇宙での長期ミッションにより約80%の宇宙飛行士が影響を受ける可能性のある奇怪な症状として知られるようになります。この症状により、将来のミッションの参加者選定が困難になったのは言うまでもありません。この症状は「Visual impairment intracranial pressure syndrome(VIIP)」と名付けられています。

地球では重力により体液は足の方向へ流れていきます。しかし、宇宙ではこの現象が起きないため、頭部に余分な液体がたまり、脳と眼球の背面を圧迫してVIIPを発症すると考えられています。当初、NASAはVIIPはフィリップス氏特有の症状と考えていたそうですが、調査により、他の宇宙飛行士でもVIIPの症状が見つかったそうです。現在では「宇宙飛行士に起きる大きな問題」として広く知られるようになったVIIPですが、この症状を理解し研究するのには多大な努力が払われました。


地球上で発症する症状でVIIPと最も似ているのは特発性頭蓋内圧亢進症(IIH)です。IIHを発症すると頭部の内圧が上昇し、VIIPのように視力の低下が起きます。また、別の症状で言えば、うっ血乳頭はVIIPのように視神経が腫れ上がります。しかし、どちらも完全にVIIPと同じ症状というわけではありません。例えばIIHの場合、「特発性」であるため原因が不明で、VIIPにはない吐き気や目まいなどのさまざまな症状がみられます。また、うっ血乳頭の場合は視神経の腫れに対して薬物治療が有効ですが、VIIPの場合は効果がありません。

ドイツの宇宙医学研究所で働くカリーナ・マーシャル・ゲーベル氏は、被験者の頭をわずかに傾けることで宇宙での体液の流動性をシミュレートする実験を行っています。しかし、ゲーベル氏は「この実験は理想的ではない」と語っています。なぜなら、地上での実験なので重力が影響しており、さらに宇宙飛行士と同じくらい長期間被験者の頭部を傾けたままにしておくことはできないためだそうです。「宇宙環境はとても特別なものです。宇宙に行かずして、その環境を模倣することはできません」とゲーベル氏。

By Look Into My Eyes

ゲーベル氏のように地上で宇宙環境をシミュレートしてVIIPの仕組みを解明しようとする科学者もいれば、宇宙でVIIPの症状を詳細に検査できるように新しい検診方法を模索する研究者もいます。ベイラー医科大学の神経科医であるエリック・ベールシャジ氏は、眼動脈に超音波検査を用いることで脳圧を測定する方法を研究しています。しかし、現状で考案されている非侵襲的な技術は、侵襲的な測定方法と比べるとどれも十分に正確ではないそうです。

ジョージア工科大学の生物医学工学者であるロス・イーシアー氏は、宇宙で宇宙飛行士の脳にどのような圧がかかっているのかを調べるために、シミュレーションを行っています。そして、イーシアー氏は「宇宙空間で宇宙飛行士の体液を足方向に流すための装置を開発する」という方法で、VIIPを解決しようと考えています。しかし、「現在、測定できるものは何百万も存在します。そして、そのどれから調査をスタートすればいいのか検討もついていません」と、まだ先の長い研究であることを明かしています。

NASAのマイケル・バラット氏と宇宙医学のスペシャリストたちは、より根本的なアプローチを模索中です。バラット氏は現役の宇宙飛行士で、2009年に約半年の宇宙ステーションでの滞在時に視力の低下を感じます。バラット氏と同僚のボブ・サークス氏も視力の低下を感じたそうで、2人は検眼鏡を用いた検査で視神経に微細な変化を発見します。地上に戻ったあと、2人はNASAの施設を用いた検査を行い、VIIPを発症していることが確認されます。この経験から、バラット氏はVIIPへの対処には、例え侵襲的な処置が必要であろうとも宇宙空間での頭蓋内圧測定の必要性を痛感したそうです。そのための解決策のひとつとして、バラット氏は宇宙へ旅立つ数か月前に頭蓋内にプローブをインプラントする、という方法を提案しています。

By NASA Goddard Space Flight Center

さらに、2015年の4月に公表された研究では、頭蓋内圧を測定するために頭部にインプラントを行った被験者に無重力飛行で25秒間の無重力状態を体験させることで、無重力時の頭蓋内圧を測定しています。この実験の結果、無重力時に頭蓋内圧が低下することが明らかになりました。これは想定されていた結果とは真逆のもので、VIIPに関する研究を混乱させる実験結果となりました。

この実験について、バラット氏は「これは科学プロジェクトではなく、医学上の問題なのです。恐らく、VIIPは宇宙飛行士にとって2番目にリスクの高い危険です」と語り、VIIP関連の研究の重要性を語っています。なお、宇宙飛行士にとって最も危険性の高いものは「放射線被曝」だそうです。

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in サイエンス, Posted by logu_ii

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