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ケネディ大統領暗殺事件で治療に当たった医師が当時を回想するインタビューに応じる


1963年11月22日、アメリカ・テキサス州を遊説していた第35代アメリカ大統領のジョン・F・ケネディがパレード中に銃撃・殺害されるケネディ大統領暗殺事件が発生しました。銃撃後にケネディ元大統領が運び込まれたテキサス州・ダラスのパークランド記念病院で、ケネディ元大統領の蘇生を試みた医療チームの人々が、当時のことを回想するインタビューに応じています。

JFK in Trauma Room One: A Witness Remembers | MedPage Today
https://www.medpagetoday.com/emergencymedicine/emergencymedicine/89772

Could We Save JFK Today? | MedPage Today
https://www.medpagetoday.com/meetingcoverage/acep/89463

医療系メディアのMedPage Todayが行ったインタビューに応じたのは、事件当時25歳の医学生だったJoe Goldstrich氏です。ケネディ元大統領の治療に当たった医療チームの中で最年少だったGoldstrich氏は、1963年11月22日の朝に別の患者の手術を行って、前頸部の椎間板を切除したと述べています。手術は成功したものの、「出血による気道閉塞が起きる可能性もある」と脳神経外科の責任者であるKemp Clark博士が言ったため、Goldstrich氏は気管切開に関する本を図書館で読んだり、患者の様子を確認したりして午前中を過ごしていたとのこと。


そして昼食を食べていたところ、院内にClark博士の呼び出しがかかったそうで、「気道閉塞が起きたのではないか」と考えたGoldstrich氏はあわてて患者の病室に向かいました。ところが、患者は何食わぬ顔で雑誌を読んでおり、Goldstrich氏は思わず神に感謝したと述べています。

ひとまず手術した患者が気道閉塞を起こしていないことは確認できましたが、なぜClark博士が呼び出されていたのかGoldstrich氏はわからなかったとのこと。Goldstrich氏が困惑する様子を見た患者は、窓から病院の入口を指さして「たぶん病院に入ってくるリムジンと関係あるのではないか」と言ったそうです。それこそ、パレード中に銃撃されたケネディ元大統領とジョン・コナリーテキサス州知事をのせたリムジンでした。

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Goldstrich氏はケネディ元大統領が担架で運び入れられるのとほぼ同時に緊急治療室に入りました。Goldstrich氏は担架から治療台にケネディ元大統領の体を移し、1ドアの冷蔵庫ほどの大きさがある除細動器を緊急治療室に運び入れるなど、主に雑用をこなしたそうです。なお、当時のGoldstrich氏は患者がケネディ元大統領だと気づいていたと述べています。

ケネディ元大統領には首の下側に比較的小さな傷と右側頭部に大きな傷があり、病院にたどり着いた時点で脈拍または血圧がなく、心停止直後の患者に見られる死戦期呼吸をゆっくり行っていたとのこと。当時の医療チームのメンバーだったTerry Kowalenko医師は、ケネディ元大統領への治療は合理的かつ的確に行われたと証言しています。

医師らは首の傷から気管切開を行って人工呼吸器に接続し、アジソン病による副腎皮質の機能不全があったことから300mgのヒドロコルチゾンを投与しました。Kowalenko氏は、現代であれば首の傷を切開して挿管する代わりに口から挿管を行うなど、多少は治療のプロセスに違いが生じる可能性があると認めつつ、ほぼ現代と同じ治療を行ったと証言しています。


そして、救急治療室のディレクターであったCharlie Baxter氏がケネディ元大統領に心臓マッサージを行い、蘇生を試みましたが効果はありませんでした。Clark博士が緊急治療室に入ってきた際、「おお神よ。Charlie、何をしている?彼の脳は床に落ちている」と述べ、その後に正式な死亡宣告が行われたそうです。

この瞬間も、緊急治療室にはケネディ元大統領のファーストレディだったジャクリーン・ケネディ・オナシスがいたそうですが、Clark博士はジャクリーンの姿を見ていませんでした。Goldstrich氏によると、ジャクリーンは医師が事態に関してとても率直に話していることにショックを受けたようだったとのこと。

なお、ケネディ元大統領の治療に当たった外科医のJames Carrico氏は過去の証言で、医療チームはこれ以前にも数多くの患者に柔軟な治療を施しており、患者が現職の大統領だったという点は治療に影響を及ぼさなかったと主張。「確かに誰もが感情的な影響を受けましたが、どちらかといえば感情的な側面によって私たちはより早く考え、よりよく働くことができたと思います」と、Carrico氏は述べています。


Goldstrich氏はインタビューの中で、ケネディ元大統領はおそらく到着時に死んでいたが、当時は専門医ではなかったため、自分の見解はアマチュアのものに過ぎないとコメント。また、治療について後悔があるとすれば「首の傷から気管切開を行って挿管した」ことだそうで、Goldstrich氏は首の傷を見た時に気管切開を行わずにチューブを入れられるだろうと思ったものの、先輩の医師に「気管切開をする必要はありません」と伝えられなかったと述べています。

ケネディ大統領暗殺事件に関するさまざまな疑惑の中には、「狙撃は後方からだけでなく前方からも行われたのではないか」というものがあります。首の傷はその手がかりになり得るものでしたが、残念ながら傷は気管切開の際に切り開かれ、どの方向から狙撃されたのかは分析できなくなりました。Goldstrich氏は当初、ケネディ元大統領の首前方にあった傷の輪郭がきれいだったことから「前方から銃撃された可能性がある」と考えていたそうですが、何度も銃撃当時の映像を見返した結果、「正面から狙撃するのは不可能だった」と考えを改めたそうです。

なお、Goldstrich氏は個人的にケネディ元大統領のファンだったそうで、ケネディ元大統領の哲学や議題に共鳴していたとコメント。また、銃撃当時の様子を撮影したザプルーダー・フィルムの撮影者だったエイブラハム・ザプルーダー氏の息子とは親友だったと述べています。

ケネディ元大統領の死が宣告された後、普段着に着替えたGoldstrich氏は群衆に紛れながら帰宅しました。「看護学校の寮の前にある通りには大勢の人が集まっていて、私はそこで群衆に混ざりました。私は病院の中にいたことを誰にも言わず、ただ人々が話すことを聞いていました」と、Goldstrich氏はコメントしています。一連の出来事で免疫力が落ちたのか、翌23日にはインフルエンザにかかったそうですが、24日には無理を押して病院へ向かったとのこと。

しかし、やはり体調が悪かったため院内で仮眠を取り、眠りから覚めたところであたりが騒がしいことに気づいたそう。この時になって初めて、Goldstrich氏はケネディ大統領暗殺事件の犯人として逮捕されたリー・ハーヴェイ・オズワルドが銃撃され、パークランド記念病院に搬送されたことを知ったと述べました。

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in メモ, Posted by log1h_ik

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