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ソ連は3年燃え続けたガス田の大火災を消すために核爆弾を使ったことがある


第二次世界大戦終戦後から半世紀近くアメリカとの冷戦状態が続いたソビエト連邦は、アメリカと対立する形で原子力の軍事利用に関する研究を積極的に行っており、最も多い時で6万発以上の核兵器を所有していたといわれています。そんなソビエト連邦で、ガス田で発生した大型火災を消し止めるために核兵器を使った時の様子がムービーで公開されています。

USSR DETONATED A NUCLEAR BOMB TO PUT OUT A BURNING GAS WELL - YouTube


1963年に、現在のウズベキスタン・ブハラ州の南部にあったウルタ=ブラク天然ガス田で、ガス漏れによる大規模な火災が発生しました。


炎は70メートルの高さに達し、毎日1400万立方メートルの天然ガスが消費されました。火災は1064日、つまりおよそ3年弱にわたって続き、懸命な消火活動が行われたにもかかわらず、火の勢いは衰えることがなかったそうです。


もはや顔から疲労困ぱいの色を隠せない消火班の人々


放水による消火だけではなく、「炎が噴き出す場所を火薬で破壊して消し止める」という危険な試みも行われたものの、全く効果はありませんでした。


そこで、1966年に考案されたさらに危険な解決策が「核兵器を使用してガス漏れを遮断する」というアイデアでした。


このアイデアは、地中1532メートルの深さに30キロトン、つまり1945年8月に広島に落とされた原子爆弾の2倍の威力を持つ核爆弾を埋めて爆発させるというもの。爆発時に発生する圧力でガス田の管を潰してしまうことで、ガスの発生そのものを止めるというわけです。また、この計画には、ウクライナにおける核実験実施を兼ねる意味合いもあったそうです。


4カ月にわたって秘密裏に準備が行われ、ついに核兵器を使った消火活動が1966年9月30日に行われました。当日は軍関係者のほか、核実験を推進する政治家や役人も集まったそうです。カウントダウンが始まり……


爆発の瞬間、一瞬にして衝撃波が地面を伝わり……


大きく揺れるカメラ。


核兵器は予定通り爆発し、ガス田のガス管はきっちりと押しつぶされました。


そして計画の狙い通り、3年間燃え続けた火炎は爆発からわずか23秒で消えてしまいました。また、実験は秘密だったため、核爆発によって起こった振動は当局によって「地震」として処理されたそうです。


なお、この核爆発によって発生した放射性物質はすべて地中に収まることになりますが、万が一に地上へ漏れてしまうことを防ぐため、ソビエト連邦はフタをするようにセメントを流し込み、ガス田を完全に埋めてしまうという処置を施しました。

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in 動画, Posted by log1i_yk

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