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なぜ民主主義は「大衆による暴君への支持」に行き着くのか?


民主主義は大衆が主権を持つという政治形態ですが、古代のアテナイの哲学者プラトンは「民主主義から暴君が生まれる」と見抜いていました。アメリカ・ロチェスター工科大学哲学科のローレンス・トルチェッロ准教授が古代の民主主義から暴君が生まれたという歴史と現代の歴史を重ね合わせて、類似点を指摘しています。

Why tyranny could be the inevitable outcome of democracy
https://theconversation.com/why-tyranny-could-be-the-inevitable-outcome-of-democracy-126158

民主主義発祥の地・古代ギリシアでは市民が政治討論をする集会であるエクレシア(民会)が定期的に開催されていました。古代ギリシアの首都だったアテナイでももちろん民会は行われており、18歳以上のアテナイ市民権を有する男子は、民会での自由な発言、投票が許されていました。

そんな民会で重要視されたのは、証拠や真実などではなく、「弁論」です。アリストテレスが論理学に関する一連の著作を発表する前は、ソフィストと呼ばれる「聴衆の感情を制御することに焦点を当てたスピーチの専門家」が民会の主役でした。当時は事実の積み重ねよりも、「他人に自分の主張を信じ込ませる」ということが重視されたわけです。


民会における事例から、トルチェッロ准教授は「権力者は、証拠や事実から民衆の意思を変えるのではなく、感情それ自体に訴えることによって民衆の集団的な意思を利用していた」と指摘します。トルチェッロ准教授が挙げた例が、アテナイの最盛期を築き上げた政治家のペリクレス。トルチェッロ准教授はギリシアの歴史家トゥキディデスの代表作「戦史」から、「尊大に振る舞うことが聴衆をよりいっそう鼓舞できるとわかっていたときには、ペリクレスはいつでも尊大に振る舞った。一方、聴衆が理由もなく自身を恐れていると思ったときには聴衆の信頼を取り戻した。民主主義の名の下にあったのは、ペリクレスによる支配だった」という文章を引用しています。

ペリクレスはアテナイの最高権力者の地位を独占し、ペルシア戦争に勝利したことで隆盛を極めました。しかし、対ペルシアのために結成されたデロス同盟の資金をアテナイのために利用したことで多数の離反者を出し、その権威は失墜。そのまま病に罹って没しました。トゥキディデスの戦史には、アテナイを盟主とするデロス同盟とスパルタを盟主とするペロポネソス同盟の間に生じたペロポネソス戦争の血なまぐさい歴史が記されています。


プラトンの著作「ソクラテスの弁明」は、ソクラテスが自身に着せられた無実の罪に対する抗弁を聞きながらも、民衆が投票によって有罪を宣告し、その結果ソクラテスが死刑になるという物語です。トルチェッロ准教授は古代の例を挙げて、「かつてのアテナイで行われていた、『事実を軽視して、感情に訴えて他人に自分の主張を信じ込ませる』というのは今日でもよくみられます。トルコ、イギリス、ハンガリー、ブラジル、アメリカなどの民主主義国家で、国家主義的な誇りを訴えて感情をあおる『反エリート運動』の扇動工作が行われています」とコメントしました。

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in メモ, Posted by darkhorse_log

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