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広大な大帝国を作り上げたアレクサンドロス大王はどのように死を迎えたのか?

by Tim Gallagher

アルゲアス朝マケドニア王国の君主として紀元前4世紀に活躍したアレクサンドロス3世はアレクサンドロス大王ともいわれており、治世の多くをアジアや北アフリカへの大規模な遠征に費やし、ギリシャからインドにまたがる大帝国を建設したことで知られています。そんなアレクサンドロス大王はわずか32歳という年齢で亡くなっており、一体どのようにしてアレクサンドロス大王が死を迎えたのかを、イギリスの作家であるアンソニー・エヴァリット氏が記しています。

The Death of Alexander the Great: One of History's Great Unsolved Mysteries | Literary Hub
https://lithub.com/the-death-of-alexander-the-great-one-of-historys-great-unsolved-mysteries/

エジプト、アジア、インドと遠征を繰り返して数々の勝利を収めていたアレクサンドロス大王は紀元前323年、メソポタミア(現代のイラク付近)の古代都市であるバビロンに長期滞在しました。しかし、ここでもアレクサンドロス大王はアラビア沿岸地方への進出を狙っており、バビロンの近くに新たな港を建設させたり、軍隊を南へ向ける準備を整えたりしていたとのこと。

バビロンの北には2つの巨大な宮殿があり、1つにアレクサンドロス大王の家族らが居住しており、もう1つは儀式および統治のための場所となっていたと考えられています。また、宮殿の付近には古代ギリシア世界の七不思議の1つに数えられているバビロンの空中庭園があったとされ、階段状に設置された庭園には土が深く盛られ、樹木などが植えられていました。このことからエヴァリット氏は、バビロンの人々が優れた灌漑システムを建設することが可能な、高い治水技術を持っていたと述べています。

アレクサンドロス大王は都市に住むよりも部下と共に過ごすことを好み、軍の野営地で過ごしたり船の上で過ごしたりする時間が長かったそうです。アラビア沿岸進出のための海軍も準備が整い、アレクサンドロス大王や部下たちはこの後に行われる遠征も勝利を確信していただろうとエヴァリット氏は推測しています。

by cea +

アレクサンドロス大王は紀元前323年の5月末に、軍隊のために宴会を開催しました。アレクサンドロス大王をはじめとする当時の高貴な人々は、食事の後に大量の飲酒をしていたそうで、シロップ状でアルコール濃度が高いワインを水で希釈して飲むのが通常だったとのこと。

ところが、この日のアレクサンドロス大王は普段よりも早めに宴会を切り上げて去ったそうで、エヴァリット氏はこのころからアレクサンドロス大王の体に異変が出ていたのではないかと考えています。それでもアレクサンドロス大王は日課の入浴を行い、友人の将官であるメディウスに誘われて飲酒したそうです。

翌日のアレクサンドロス大王は熱を感じており、ほとんどの時間をベッドで過ごしました。メディウスと共にサイコロなどで遊び、やはりお酒を飲んだとのこと。この日、アレクサンドロス大王は背中に「ハチに刺されたような痛み」を感じたとエヴァリット氏は述べています。

by David Hablützel

さらにその翌日になるとアレクサンドロス大王の病状は悪化し、ベッドから離れられない状態になってしまいました。そこで、ベッドに横たわったまま軍隊に指示を出し、艦隊を指揮するネアルコスの冒険話を聞くなどして楽しんだとのこと。

やがてベッドに横たわったままボートに乗せられ、宮殿から川を下った位置にある空中庭園に運ばれるなどしましたが、やはり病状は悪化。アレクサンドロス大王の居場所がしきりに移動している点について、エヴァリット氏は側近の間に不安が広がり、パニック状態になっていたのだろうと指摘しています。


6月5日になるといよいよアレクサンドロス大王は死に瀕していることが明らかとなり、一目王に会いたいという兵士たちがベッドの前に入れ替わり立ち替わり現れて面会したそうです。この時、すでにアレクサンドロス大王は声を出すことができず、頭を上げることすら困難だったため、目礼であいさつを行ったとのこと。

結局アレクサンドロス大王は6月11日の午後に亡くなったと伝えられており、「最強の者が帝国を継承せよ」と遺言したことは有名です。この遺言についてエヴァリット氏は、後の混乱を招いたとして「王は賢明ではなかった」と述べています。

なお、アレクサンドロス大王の死については「感染症による病死」という説もあれば、「何者かに毒殺された」といった説もささやかれています。「アレクサンドロス大王はギラン・バレー症候群によって死亡した」という説もあり、未だに大きな謎が残されています。

アレキサンダー大王 ギランバレー症だった!「死亡推定日」には生きていた? | ハザードラボ
https://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/2/8/28130.html


エヴァリット氏が著したアレクサンドロス大王の一代記「Alexander the Great: His Life and His Mysterious Death」は、Amazonで購入可能となっています。

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in メモ, Posted by log1h_ik

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