インタビュー

美しいパリをそのまま写実的に映画に取り込んだ「ディリリとパリの時間旅行」のミッシェル・オスロ監督インタビュー


フランスのアニメ映画監督ミッシェル・オスロ氏の最新作「ディリリとパリの時間旅行」が2019年8月24日(土)から公開となります。オスロ監督はフランス映画として興行収入歴代1位の「キリクと魔女」や「夜のとばりの物語」などの作品を送り出してきた人物で、本作は初めて故郷であるフランスを舞台にして作品を制作しました。

今回、オスロ監督に作品について詳しい話を聞く機会があったので、制作やこだわられた背景などについていろいろな質問をぶつけてきました。

映画「ディリリとパリの時間旅行」オフィシャルサイト 
https://child-film.com/dilili/


GIGAZINE(以下、G):
今回「ディリリとパリの時間旅行」を制作するにあたり、「ついにパリを舞台にした映画を作る時がきた」という監督の言葉がありました。パリを舞台にした作品を作ることは、以前から考えていたのですか?

ミッシェル・オスロ監督(以下、オスロ):
全然考えてなかったんですよ。以前、高畑勲監督に「僕は日本で日本の映画しか撮れない」と言われたとき、自分もフランスでフランスの映画しか撮れないと気がついたんです。もちろんストーリーを考え始めるときは、あまり国や国籍のことは気にしていません。私は自分のことを世界市民だと思っていて、世界中どこでも私の興味の対象なんですよ。私はお菓子が大好きな子どもみたいなものなので、どんなものだって食べてもいいんだって気持ちでいるから、興味があるものは何でもつまみ食いしてしまうんです。

G:
なるほど(笑)

オスロ:
だから、作品の舞台のどの国とかどの場所とかに限定しないで、チベット、日本、南アフリカ、ペルシャ、レバノンなど、世界中のいろいろなところを舞台にして作品を作っているんです。でも、フランスだってなかなか興味深い国じゃないですか。それに、みんなからもよく言われていたんです。「やっぱりパリの映画を一本撮らなきゃ、君は」って。だから今回、とうとうパリを舞台にすることにしたんです。

G:
映画の発想はセットや衣装からはじめたとのことなのですが、ストーリーではなくて、ビジュアルのところから組み立てられたということでしょうか?

オスロ:
まず、私がいま興味を持っている問題は世界的な問題で、女性、あるいは少女を虐げる男性たちのことです。実は、戦争の死者数より、女性や少女たちが戦争以外の理由で命を落とす数のほうがよっぽど多いんです。でも、それを映画で描きたいからといって、必ずしもパリを舞台にしようという風にはつながらなかったんです。

G:
それが「ディリリとパリの時間旅行」へとつながっていったわけですよね。

オスロ:
おっしゃるように、最初はセットや衣装から入っていったんです。私はいつも映画に入る前にリサーチをするんですけれど、「ベル・エポック」と呼ばれる時代のことを調べていくうちに、「すごい時代だなあ」と気がついたんです。この時代にも女性や少女たちを虐待するような男性がいたのですが、その暗い問題に対して、文明こそが対照的な対抗手段になると考えました。パリの面白いところは、パリに住んでいる人、生粋のパリ人だけではなくて、世界各地から集まった才能ある人、天才たちが凝縮しているところなんです。

G:
予告編を見ただけでも、ギュスターヴ・エッフェルやパブロ・ピカソをはじめとした著名人が多数出てきています。

ディリリとパリの時間旅行 - YouTube


オスロ:
そう。一つの分野に限らず、例えば芸術家や科学者、あるいは文学者だったりと、多種多様なジャンルの優秀な人たちがパリに集まっていました。ベル・エポックのもう1つの面白い側面は、女性がようやく「自分の権利」を主張し始めた時代だということです。「自分の人生を生きる」ことを主張するようになったんですね。それを推進しようとする法律なんて、そのころは1つも存在しませんでした。

G:
そうですよね……。

オスロ:
こうした風潮があって、この時代に初めて女性の大学生が誕生しました。女性のタクシー運転手や大学教授、女医や女性弁護士が誕生したのもこの時代です。偉大な女性科学者であるマリ・キュリーもこの時代に誕生しました。私はクリエイターとして、あまり人に危害を訴えたり、人を不快な思いにはさせたりはしたくないと思っています。暗い話を前に押し出すだけでは観客たちが滅入ってしまうので、そうではなくて、対位法のような形で、素晴らしい才能を持った女性たちが活躍し始めた時代であることを「ディリリとパリの時間旅行」で明示したんです。こういう話を描けて良かったと思っています。

G:
なるほど。

オスロ:
フランスという国は閉鎖的な国ではなく、世界中から外国の人たちを受け入れるとてもオープンな国です。パリに外国人がおのずと集まってくるんですね。もちろん日本人も来ていましたが、ベル・エポックの時代にはあまり有名な日本人はいませんでした。のちに人気画家となった藤田嗣治もベル・エポックの時代にいた日本人ですけど、若いころはフランス人みたいな格好をしていて「日本人のアイデンティティ」は感じられませんでしたね(笑) ただ、有名な日本人はあまりいなくても「ジャポニスム」は隆盛を極めていました。実は、この作品でも「ジャポニスム」として、有名な浮世絵を取り入れています。

G:
見逃してしまいました……どのあたりですか?

オスロ:
1つは歌川広重の「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」、もう1つは葛飾北斎です。こっそりと入れてあるので、ぜひ見つけてください(笑)

G:
背景からも目が離せないですね。ちょうどその背景のことについてうかがいたいと思うのですが、本作の背景は写真を加工して利用されているとのこと。その理由を監督は「パリが素晴らしいから、グラフィックパレットで再現するなんて考えられない」と語っておられますが、写真を加工して背景に使うということは、どのように決めたのですか?

オスロ:
たとえば、下手な詩人がパリの詩を書いたとします。その詩がパリに対して現実より悪いイメージを抱かせるようなものではダメですよね。私はそんな下手な詩人にはなりたくないんです。もちろん私自身は作品を通して現実を語ろうとしていて、その中には女性や少女たちを虐待する忌まわしい現実もあります。でもそういう暗い側面だけでなく、いい側面、現実にあった文明的な側面を描いて、見ていて気分が良くなるようにという意図があります。パリについては「目の前に素晴らしい現実があるんだから、その現実を加工せず、写真としてそのまま使おう」というわけです。

G:
なるほどなるほど。現実が何よりも美しいから。

オスロ:
そういうことです。美しい現実があるから、それを写真に撮り、写実的に映画の中に入れる。もしグラフィックとして絵に描いたら、現実に比べて精度が落ちてしまいますから。本作に登場している有名人たちも、みんな実在の人物たちで写真が残っているので、それにインスパイアされて私がデッサンを描き、キャラクターにしています。世界の映画史上、ここまでセレブがたくさん出てくる映画はそうそうないでしょうね(笑)

G:
(笑) 「明るい側面」という点では、主人公であるディリリはちょっとしたしぐさもかわいらしくて、それも作品の明るさにつながっていると感じました。

オスロ:
ありがとうございます

G:
以前、監督はインタビューで「子どもを描くときに気をつけていることは、特にないよ」と語っていました。本作では、エンドロールで「この映画の制作スタッフはみな自分の娘たちを思い浮かべました」というメッセージが表示されましたが、なにか、身近な女の子たちから取り入れたものはあったりしましたか?

オスロ:
原画は私が描いているけど、しぐさを動画として描き出すのはアニメーターの仕事なので、女の子たちのかわいさにつながるものがあったとすれば、それはアニメーターのおかげです。フランスのアニメ業界には素晴らしいアニメーターがいて、専門の学校もあるんです。とりわけ女性のアニメーターたちがいますから、その女性たちが作ったアニメーションだからこそ、できたしぐさもあるでしょうね。今回一緒に仕事をしたアニメーターたちは、私自身が「ここまでしてくれ」って言わなくても、私が頼んだ以上の仕事をしてくれたので、このような作品ができあがったんです。たとえば、ディリリが船の写真と船の絵を「私これ大事にするの」と言うシーンで見せる、なんとも愛らしいしぐさは女性アニメーターが作り出した動きなんです。ちょっと頭を傾けて、伏し目がちに「大事にするの」というのは、まさに女性アニメーターのアイデアです。しかも、それを手描きではなく、キーボードとPCのスクリーンでやってのけるというところに、自分としては驚きを感じました。

G:
ディリリについてはデジタル作画でかわいらしい動きが生み出されたとのこと。監督はとてもキャリアが長くて、切り絵アニメから手描きを経て、こうしてデジタル作画の作品まで手がけておられますが、慣れていくのは大変ではありませんか?

オスロ:
いえいえ、全然難しくなかったです。私自身はアニメーターみたいにPCの操作はできませんが、アニメーターたちとはおなじ言語を共有していますから。ただ、技術的な面でいい面もあるけれど欠点もあって、その欠点にはがっかりさせられますね……。

G:
その欠点というのは、観客にもわかってしまうものですか?

オスロ:
いえ、技術を扱う人間側の欠点のことなので、観客の皆さんが気付くものではありません。そして、他人の欠点ではなく、私自身の欠点でもあるんです。たとえば、切り絵をカメラで撮影する場合、少しでもうまくいかなかったら0からはじめなければいけない。そういった、最初からは完璧にできない人間の、機材を操るときの技能の不足ということです。切り絵というのは、とてもシンプルに表すこともできますけど、少し複雑にすることで、切り絵を360度回転させるという高度なテクニックもあります。3D映画だと立体感が出て、しかも3Dのソフトで自在に作ることができる。でも、面白さでいえば前者のほうが楽しかったなぁと。

G:
(笑)

オスロ:
切り絵にしてもデッサンにしても「自分の手でやる」という意味でアーティストの作業だと思うんです。でも、PCで作業をしていると、アーティストではなくて官僚みたいに見えてしまうんです(笑) それと、3D自体は高くつくんですよね。次回の作品では、もう一回切り絵に立ち戻ろうと思っています。ただ、今までの完全手作業というのではなく、デジタルを取り入れた切り絵を考えています。

G:
もう次も考えておられるんですね。3Dアニメだと高くなるというのは、作業工程が多くなるからですか?

オスロ:
単純に、人件費がかかるからです。3Dのアニメでは全工程を熟知したオールマイティーな人はいなくて、「あれはこの人、これはこの人」という分業制なので、それぞれの作業ごとに専門家が必要になるんです。たとえば、長い髪が風にそよぐとか、あるいは女性のマフラーやショールが風になびくとか、昔は手で描けばすむことだったのですが、3Dアニメーションで「ショールを風になびかせる」というシーンを描こうと思ったら、ショールの布の伸縮性や、ショールが体に当たったときの摩擦なども数値化して入力していき、画面上でうまくなびいているように見せるんです。でも、この数字はわずか数パーセントでも間違えてしまうと、ショールではなく、まるでプラスチックが動いているみたいになってしまう。

G:
手描きとはまた違う問題にぶつかるわけですね。

オスロ:
なかなか、数値をいじるだけでは思い描いているところに到達できないもので、そういうときは、もう1回最初に立ち返って、手描きにするという方針を採りました。たとえば、コンコルド広場にある噴水の水の落ち方は、3Dよりも手描きの方がよほど簡単でした。他にも、エマ・カルヴェが出てくる地下の湖のシーンでの水しぶきのような細かい水の動きも、手描きでした。その方が、ずっと早いんです。

G:
ええー、むしろその部分こそ手描きだと大変かと思ったら……。お話やキャラクターのお芝居はもちろんですが、背景や水しぶきまで目の離せない作品ですね。本日はどうもありがとうございました。

ミッシェル・オスロ監督による最新作「ディリリとパリの時間旅行」は2019年8月24日(土)から、恵比寿ガーデンシネマヒューマントラストシネマ有楽町などで公開です。

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in インタビュー,   動画,   映画,   アニメ, Posted by logc_nt

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