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希代のアクションスターであるジャッキー・チェンを形作ったものは何なのか?


世界的俳優のジャッキー・チェンは、ブルース・リーの後継者と評されるほどのアクション映画界のトップスターであり、チャールズ・チャップリンバスター・キートンと並ぶほどの喜劇役者です。映画界に「カンフーアクション」という一大ジャンルを築いた立役者であるジャッキー・チェンがどのようにして今の地位にまで登り詰めたのかをThe New Republicが解説しています。

The Painful Price of Becoming Jackie Chan | The New Republic
https://newrepublic.com/article/152848/painful-price-becoming-jackie-chan


ジャッキー・チェンは1954年に生まれ、「陳港生(チャン・ゴンサン)」と名付けられました。チェンの両親は国共内戦を避けて香港に移住した移民労働者で、ヴィクトリア・ピークにあるフランス領事館で働いていました。第二次世界大戦の終戦直後で中国人の多くが貧困にあえいでいたこともあり、ヴィクトリア・ピークという高級住宅地に生まれたとはいえ、チェンの幼少期は決して裕福なものではなかったそうです。

7歳の時、チェンの両親はチェンを京劇や武術を学ぶ中国戯劇学院に入学させました。チェンは中国戯劇学院で10年間、朝の5時から夜の23時まで、昼食と夕食で休憩を取る以外は一日中トレーニングを繰り返す日々を送りました。寮制ということもあり、文字通り同級生と寝食を共にし、言うことを聞かなければ杖で体を打たれ、病気になっても我慢して武術の稽古を強制されるという、今ではあり得ないほど厳しい生活を送っていたようです。彼らは京劇と中国武術の練習しか習わなかったため、読み・書き・算術の基本すら教育を受けておらず、チェンがアクション映画の大スターとなった時、初めて作ったクレジットカードの領収書に自分の名前をサインできなかったといわれています。

by Tom Thai

チェンはこの中国戯劇学院で「七小福」と呼ばれるエリートグループに選ばれます。同じ「七小福」には、後に数多くの映画で共演するサモ・ハンユン・ピョウらも選抜されていました。以下のムービーは、2017年に58年ぶりとなる再会を果たした七小福メンバーの様子を報じるニュースです。

「七小福」58年後再聚首 元彪元華灑淚|三立新聞台 - YouTube


1960年代後半は文化大革命が行われたこともあり、中国社会全体が混乱状態に陥っていました。その裏で、当時イギリス領だったこともあって中国本土の騒乱から距離を置いていた香港経済は急成長を遂げます。香港の映画会社ショウ・ブラザーズは、日本を含めた海外からスタッフを招いたり、俳優育成の環境を整えたり、後の香港映画ブームの礎を築きました。そんな激動する香港社会の中で、中国戯劇学院のエリートグループだったジャッキー・チェンはエキストラやスタントマンとして映画業界の中で生きていくことを決意します。


中国戯劇学院が閉鎖されてしまった後はチェンは京劇や歌手、ダンス、アクロバットが必要な時にはいつでも飛んでいって仕事をこなしたとのこと。当時はまだ契約がいい加減だったため、ギャラの90%を事務所に持って行かれるといったこともよくあり、どれだけ働いてもチェンは貧乏だったそうです。チェンは10代の10年間を「10年の闇」と表現していますが、一方で「私が『チャン・ゴンサン』ではなく『ジャッキー・チェン』になったのはこの10年間でした」とも語っています。

スタントマンとして働くチェンの仕事は非常に過酷なものだったといわれています。チェンは回顧録の中で、鼻、顎、足首、頭蓋骨を骨折したことを誇らしげに述べていて、「シャワーを浴びている時も時々足が脱臼します」と著しています。チェンは下積み時代だけではなく、その後押しも押されもしないアクション映画のスターになっても自らの体を張ってスタントをこなしていました。

by Akeno Omokoto

例えば、1983年に公開された映画「プロジェクトA」では、高さ25mの時計台から地面に落下するシーンを3回撮影し、そのうちの1回では頭から真っ逆さまに落下して胸椎を骨折する重傷を負っています。また、1986年に公開された「サンダーアーム/龍兄虎弟」では頭蓋骨を骨折する大けがを負い、チェンはこの後遺症によって左耳の聴力をほとんど失っています。

しかし、前例がないほど体を張ったアクションと幼少期にたたき込まれた中国武術の素養によって、ジャッキー・チェンはアクション映画のトップスターの座に上り詰めます。さらに、香港だけではなくハリウッドの世界でも「格闘アクション=カンフー」という図式ができあがり、1998年にはついに映画「ラッシュアワー」で自他ともに認めるハリウッドスターとなりました。


1985年に公開された「ポリス・ストーリー/香港国際警察」では、チェンは百貨店の吹き抜けに設置された電飾付きポールに飛びつき、上から下まで火花の散る中を滑り降りるシーンを演じています。このスタントシーンで流すチェンの血は本物で、だからこそ勇敢で大胆なスタントに観客は息を飲んで夢中になるのだとThe New Republicは評価しています。

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