ビートルズの歌詞に登場する場所をウェブ上の地図で旅してみたムービー

1960年代から1970年代にかけて活躍し、日本にも多くのファンを持つ世界的ロックバンド・ビートルズはイギリスのリバプールで誕生しました。「ビートルズの歌詞に登場する場所を地図上で旅してみた」というムービーが、YouTubeで公開されています。
Every Place in Beatles Lyrics, Mapped | Vanity Fair
ビートルズの出身地は、イギリス・イングランド北西部のリバプール。

1966年に発表された「イエロー・サブマリン」で歌われる「In the town where I was born(僕が生まれたこの町で)」の町とはおそらくリバプールのこと。

ビートルズのメンバーであるジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの4人は、いずれもリバプール出身です。

リバプールにあるペニー・レインという通りは……

その名も「ペニー・レイン」というビートルズ14枚目のシングル曲に登場しています。

ポールがジョンの家に行く時、ペニー・レインでバスを乗り換えていたとのこと。

ペニー・レインからわずか2マイル(約3.2km)離れた場所には孤児院の跡地があるそうで……

この孤児院はジョンが子ども時代に遊んだ場所だとのこと。「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」では、孤児院の庭について歌われています。

そこから数ブロック離れた場所にあるセント・ピーターズ教会の共同墓地には……

ポールが作った楽曲「エリナー・リグビー」に登場する女性と同名の墓があり、ファンにとっての聖地となっています。

セント・ピーターズ教会からわずか半マイル(約0.8km)離れた場所には、ジョンの子ども時代の家がある模様。

「イン・マイ・ライフ」をはじめとするジョン作詞の楽曲には、子ども時代のことに言及した歌詞がいくつかあります。

ジョンが17歳の時に亡くなった母親を歌った「ジュリア」もその一つ。

ジョンの子ども時代の家から、ポールの子ども時代の家までもそれほど遠くありません。

ポールが歌う「レット・イット・ビー」は、ポールが14歳の時に亡くなった母が夢に出てきたことを歌ったものです。ジョンとポールはお互いに10代で母親を亡くしており、その経験が2人を強く結びつけたとのこと。

ビートルズの1stアルバム・「プリーズ・プリーズ・ミー」に収録された「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」では、ビートルズが初期に活動していたナイトクラブのキャヴァーン・クラブで見かけた女の子について歌われています。

ビートルズが最初にキャヴァーン・クラブで演奏した1961年の時点では、ドラムがリンゴではなくピート・ベストでした。

キャヴァーン・クラブから数ブロック東に移動すると……

リバプールに伝わる民謡の「マギー・メイ」に登場するライム・ストリートがあります。この曲は演奏時間が39秒しかなく、ビートルズの楽曲中でも2番目に短い曲となっています。

その近くにはリバプール港があり……

マージー川に沿って川岸を移動します。

「グラス・オニオン」でマージー川の川岸が歌われているとのこと。

車で1時間ほど移動した場所にあるブラックバーンは……

「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」中で歌われています。ブラックバーンに本拠地を置くサッカーチーム「Blackburn Rovers F.C.」の非公式ファンブックの名称は、ビートルズの楽曲から取られているそうです。

ブラックバーンの次はスコットランドへと飛び……

東部の都市カーコーディ。

カーコーディはかつてスコットランド国王から自治権を認められた勅許自治都市として栄えていました。おとぎの国の国王と女王の生活をスケッチした「クライ・ベイビー・クライ」にはカーコーディの名が登場しています。このトラックを収録する際、ジョージがエリック・クラプトンからギターを借りたとのこと。

カーコーディの次はロンドンへと南下し……

バッキンガム宮殿へと到着。

「ハー・マジェスティー」はバッキンガム宮殿に住む女王陛下に対して「愛しの女王陛下」と呼びかける内容となっており、世間に物議を巻き起こした一曲でもあります。

バッキンガム宮殿から2マイル弱の距離にあるロイヤル・アルバート・ホールは非常に著名な演劇上であり……

ア・デイ・イン・ザ・ライフ中にも登場します。なお、曲中でロイヤル・アルバート・ホールはあまりよく歌われていないため、ビートルズはロイヤル・アルバート・ホールでア・デイ・イン・ザ・ライフを演奏することはありませんでした。

ロイヤル・アルバート・ホールの東には英国議会が議事堂として使用するウェストミンスター宮殿がありますが、ア・デイ・イン・ザ・ライフの歌詞は交通事故で亡くなった貴族院議員の息子について歌っています。

ウェストミンスター宮殿からテムズ川沿いに移動するとサヴォイ・ホテルがあります。

「サヴォイ・トラッフル」という楽曲には「サヴォイ・トラッフル」というお菓子が登場していますが、サヴォイ・ホテルのチョコレートに言及しているのかもしれないとのこと。

サヴォイ・ホテルの東にはビショップスゲートと呼ばれる区画があり……

「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」中で登場します。

ビショップスゲートから北西方向に移動すると、ビートルズが録音を行ったアビー・ロード・スタジオがあります。

ビートルズのアルバム「アビイ・ロード」はアビー・ロード・スタジオのすぐそばでジャケット写真が撮影されました。

続いてロンドンからさらに南、サウサンプトンへ向かいます。

サウサンプトンはジョンが「ジョンとヨーコのバラード」で歌った、2人のハネムーンの出発地点です。

ここから2人はボートにのってオランダのホラントかフランスへと向かおうとしたとありますが、実際にはフランスへの航路はないとのこと。実際にサウサンプトンから行けるのはイングランドの島であるワイト島であり……

この島も「ホエン・アイム・シックスティー・フォー」で歌われています。

続いてパリへ行きます。

ジョンとヨーコのバラードに登場するパリで、2人は実際に買い物をしたり歩いたりしたようです。

パリの名所であるエッフェル塔は……

「アイ・アム・ザ・ウォルラス」に登場します。

続いてオランダ・アムステルダムへ向かいます。

アムステルダムのヒルトン・ホテル702号室で、ジョンとヨーコは「ベッド・イン」と呼ばれるベッドに入ったまま記者と平和について語り合うといった活動を行いました。

今度はオーストリアのウィーンへと飛びます。

2人はウィーンでの記者会見で、バッグにすっぽりと収まるバギズムを展開。この出来事はもちろんジョンとヨーコのバラードで歌われています。

イベリア半島の南東端に突き出したイギリスの海外領土・ジブラルタルでは……

ジョンとヨーコが挙式しました。

一気に東へと飛んでウクライナは……

「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」に登場。

ロシアのモスクワも……

バック・イン・ザ・U.S.S.R.中に登場します。この曲は陽気な曲調でありながらも、多分に政治的な意味が込められた曲となっています。

南コーカサスにあるジョージアも……

ビートルズの曲に登場しているようです。

インドのリシケーシュはビートルズのメンバーが瞑想を学んだ場所であり……

バック・イン・ザ・U.S.S.R.はその中で誕生した曲です。

また、リシケーシュ滞在中のできごとを歌った曲として、「ディア・プルーデンス」があります。

「セクシー・セディー」はアメリカで超越瞑想を布教していたマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーへの幻滅や怒りを表した一曲。

続いてぐるっと地球を回り大西洋へ。「ハニー・パイ」に大西洋が登場します。

そしてアメリカ大陸へと上陸。

ビートルズはカバーしたR&Bナンバーの「カンサス・シティ」を、カンザスの市営スタジアムで演奏したとのこと。

サウスダコタ州のブラックヒルズ国有林は……

「ロッキー・ラクーン」で歌われています。


「ゲット・バック」中に登場。

そしてアメリカ西海岸・ロサンゼルスへ到達。

「ブルー・ジェイ・ウェイ」でロサンゼルスが登場します。

実にさまざまな場所がビートルズの楽曲中に登場していることがわかるムービーとなっていました。
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