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ロシアの伝統楽器「7弦ギター」の世界的中心がアメリカのアイオワ州に存在するわけ


ロシアでは古くから、独自の楽器「7弦ギター」が演奏されてきました。19世紀ごろに高い人気を誇っていた7弦ギターですが、21世紀のいま、その文化の中心はアメリカのアイオワ州に移っています。

How the Center of a Russian-Guitar Culture Ended Up in the American Midwest – Tablet Magazine
https://www.tabletmag.com/jewish-arts-and-culture/271918/seven-strings-over-iowa

「ギター」と聞けばほとんどの人が6本の弦が張られた楽器を思い浮かべるはずですが、ロシアでは低音弦に1本増えた「7弦ギター」が演奏されてきました。一般的なギターとは異なるオープンGチューニング(DGBDGBD)に調律された7弦ギターからは独特の音色が紡ぎ出されます。7弦ギターの名手、セルゲイ・オレコフによる以下の演奏からは、憂いのあるメロディーと7弦ギターの響きが感じられるはず。

Russian 7 string guitar - Sergei Orekhov - Moscow Polka - YouTube


ロシアの古い文化ともいえる7弦ギターですが、激動の時代の変化に翻弄された結果、その中心地はアメリカのアイオワ州に移っています。アイオワ州では2006年から7弦ギターの国際的フェスティバル「The International Annual Russian Guitar Festival and Seminar」(IARGUS)が12年にわたって開催されています。

Artists — IARMAC
https://www.iarmac.com/artists/


IARGUSはアイオワ在住のロシアギター演奏家、オレグ・ティモフェイエフ氏らによって開催されているイベント。ティモフェイエフ氏は、ゴルバチョフ時代のソビエト連邦で行われた改革運動ペレストロイカの一部をなす情報政策グラスノスチによってソ連を離れることを許された最初の国民の一人で、アメリカのアイオワ州に移ってきたとのこと。一家そろって音楽家だったというティモフェイエフ氏でしたが、若い頃は音楽の才能が認められず、建築家としての人生を歩むことになっていたそうです。

ユダヤ人の家系に生まれたソ連人だったティモフェイエフ氏は、当時のソ連政府に反抗する気持ちを音楽で表現していたとのこと。当時のソ連は音楽をプロパガンダの手段の一つとして用いており、特にアメリカの音楽文化に対しては厳しい態度が取られていました。クラシック音楽に関してもその余波は及んでおり、「民族楽器」として認識されていた7弦ギターおよび6弦ギターは、当時の音楽学校のカリキュラムからは除外されていたそうです。

友人たちとの演奏を楽しんでいたティモフェイエフ氏でしたが、数学の学校に進むのと並行して当時活躍していたカリスマ的ギター奏者、カミーユ・アルトゥロヴィッチ・フラウチ氏に師事。ティモフェイエフ氏はその時のことを「フラウチ先生は優れた教え手であり、その結果はすぐに表れた」と語りますが、一方で「フラウチ先生に師事するためには、彼特有の理論やカリスマ性を受け入れる必要があった。基本的に彼の人形になる必要がありました。学んだことは非常に多かったのですが、ある時点で『もうこの人には師事できない』と思うようになりました」と語っています。

By Encyclopedia of Gitarmag

ギターへの関心が薄れたティモフェイエフ氏は、当時興隆していた古い音楽「古楽」の波を受け、ギターの前身とされる楽器「リュート」を演奏するようになったとのこと。ギターの弦のうち1本だけのチューニングを変えるだけでリュートと同じように演奏できることに気がついたティモフェイエフ氏は、その後しばらくリュート奏者として活動を行うようになります。

しかし当時の政治体制はリュートの演奏活動にすら制限を加えてきたとのこと。リュートのために作曲された作品にはロシア出身の作曲家のものが皆無であり、スラブ系の文化が色濃く含まれるために、体制側が音楽界などで演奏することを認めない時代が続いたといいます。当時の体制下では、ロック音楽が「西洋の退廃的文化を持ち込むもの」として禁止されたのに対し、古楽演奏者は「教会音楽を持ち込むもの」、そして体制によって「反ソ連的とみなされたルネサンス期やバロック時代の音楽を奏でる楽器を演奏すること」という2つの点で目をつけられる時代が続いたとティモフェイエフ氏は振り返ります。


そんなティモフェイエフ氏がアメリカに目を向けるのは、ある種の必然だったのかもしれません。アイオワ州とロシアを結び付ける接点を見つけることは容易なことではありませんが、ティモフェイエフ氏はその理由について「アメリカのオープン性」を挙げています。ティモフェイエフ氏は、「ロシアの伝統的な音楽は、『母なるロシア』から完全に忘れ去られようとしていました。その意味で、アイオワという街は最良の行き先でした。アメリカ人は非常にオープンで、アイオワの住人は良い音楽を楽しむ耳を持っています。もしロシアでギターフェスティバルを開催したら、国際派を掲げるギタリストが『7弦ギターよりも6弦ギターの方が優れている』と難癖をつけてくるでしょう。ここアイオワでは、そんなことは起こりません」と語り、アメリカこそが7弦ギターの行き着く先であったことを述べています。

興味深いことに、ソ連で6弦ギターの優位性を語ったのは、歴史的ギター奏者のアンドレス・セゴビアだったとのこと。セゴビアは「田舎の楽器」と見なされてきたギターをピアノやバイオリンと同等のクラスに引き上げた功績の持ち主ですが、ソ連の7弦ギターに対しては厳しい見方を示していたそうです。1926年、ソ連に7カ月滞在したセゴビアは自身の出身地であるスペインのギターの優位性を強調し、「アンチ7弦ギター」の主張を続けていたという記録が残されています

By Nationaal Archief

ソ連の音楽事情にうんざりしていたティモフェイエフ氏は、国外で音楽を続ける未知を模索したとのこと。そんな時、アメリカからやって来た音楽学者のスヴェン・ハンセル氏がティモフェイエフ氏の元を訪れ、演奏に込められた「深いロシア魂」に感銘を受けたことから、アイオワ大学にティモフェイエフ氏を招へいするオファーを行いました。

魅力的なオファーを受けて1989年にアメリカに渡ったティモフェイエフ氏でしたが、実際にはエアコンもない部屋をあてがわれ、ハンセル氏の助手としてビザの延長を受けたものの、その数カ月後に助手の職を解かれるなどの対応を受けたとのこと。その後、ティモフェイエフ氏は後に妻となるサビーン・ゲルツ氏と知り合い、奨学金を受けて進んだ南カリフォルニア大学では古楽の修士号を1993年に取得。1995年には永住資格グリーンカードを取得し、1999年にはデューク大学で博士号を取得するに至ります。

アメリカでの研究生活を享受していたティモフェイエフ氏でしたが、あたかもそれに反比例するようにロシアとその音楽についての関心が強まるようになったとのこと。グリーンカードを取得したのち、ティモフェイエフ氏は論文のテーマを見つけるために10年ぶりにモスクワに帰国。ロシアの学術界ではヒエラルキーの低い位置にある7弦ギターを研究することについてロシア人の友人などからは「キャリアのことを考えると良くない」反対を受けたティモフェイエフ氏でしたが、最終的には7弦ギターをテーマにすることを決定したそうです。

そうしてアイオワ州に戻ったティモフェイエフ氏は、大学に対してロシア研究のコースを設立することを提案し、学外でも音楽家としての活動を続けるに至ります。妻のゲルツ氏が非営利団体「The International Academy for Russian Music, Arts, and Culture」(IARMAC)の設立を提案し、2006年には前出の7弦ギターフェスティバル「IARGUS」が始まり、現在に至っています。

IARMAC
https://www.iarmac.com/

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