動画

「近代推理小説の開祖」と称されるエドガー・アラン・ポーが残した功績とは?


モルグ街の殺人」「黒猫」「黄金虫」など、数多くの作品で知られるエドガー・アラン・ポーは、「近代推理小説の開祖」称されていますが、、詩・書評など、推理小説以外のポーの業績は一般的にあまり知られていません。そんなポーの創作姿勢やその功績について解説するムービーを、TED-Edが公開しています。

Why should you read Edgar Allan Poe? - Scott Peeples - YouTube


1809年に生まれ、1849年にこの世を去ったエドガー・アラン・ポーは19世紀を代表する作家と言われています。今なお伝えられる肖像写真には、高い額とボサボサの黒髪に不健康そうな白肌、そして暗くくぼんだ目をしたポーが写っていて、深い知性と疲労が見て取れます。


ポーが書いたゴシック・ホラーの作品は19世紀当時では革新的であり、文学史にその名を刻むこととなります。


しかし、ホラーというジャンルがポピュラーになった今もなお、ポーが偉大なアメリカ文学作家の一人として評価されているのには理由があります。


ポーが評価されている理由の一つに、彼が文芸評論において徹底した型と姿勢を示していたことがあります。


ポーは短編小説を書く上で、「椅子に座って休んでいる間に一気に読めてしまうぐらいの長さにする」「作中の全ての言葉が『1つの目的』に沿って意味を持つ」という2つのルールを重視しました。


ポーが「一気に読めるような長さ」「言葉が持つ『1つの目的』」にこだわったのは、ポーが創作において「効果の統一性」を重視していたためです。ポーは読者に与えるべき効果・印象を最初に考え、その効果を最大限発揮するべく行数や言葉の響きを決定していくという創作姿勢をとっていました。当時いい加減なものが多かった文芸批評の世界に理論と基準を持ち込んだという点で、ポーの功績は大きいといえます。


ポーは作品の中で、人が内面に持つ暗闇や自己破壊の傾向を探求しました。


1843年発表の「告げ口心臓」は、語り手であり殺人を犯す「召使い」の感覚が死んだはずの主人の心臓の音とリンクし、共鳴するという話です。


1868年に発表された「ライジーア」は「死んだ前妻が後妻の体を乗っ取って復活する」という話ですが、少なくとも薬物中毒を患う語り手が「死んだはずのライジーアが蘇った」と語っているに過ぎません。


さらに1839年発表の短編小説「ウィリアム・ウィルソン」では、語り手である主人公が自分と同じ名前で同じ見た目のドッペルゲンガーに嫉妬して刃を向けますが、結局それは鏡に映った姿を錯覚しているだけであり、自分自身であることを示唆して終わります。


こうした一連の手法は「信頼できない語り手」と呼ばれるものです。本来、作品世界を如実に語るべき語り手ですが、読者に対してウソをつくことすらあります。こうした叙述トリックによって、読者は否が応でも作品世界について積極的に考えることとなります。


そして、近代推理小説を作り上げたことももちろんポーの偉大な功績の1つといえます。


1841年に発表された「モルグ街の殺人」は、「天才的な名探偵がさまざまな証拠から犯人やトリックを論理的に暴き出す」という、現代にまで受け継がれる推理小説の基本形を作り上げた傑作。


1842年から1843年にかけて発表された「マリー・ロジェの謎」は初めて現実の殺人事件をモデルとしたといわれる推理小説です。


盗まれた手紙」はエドガー・アラン・ポー自身も認める最高傑作の推理小説といわれています。


これら3作に共通して登場するのが、名探偵のC・オーギュスト・デュパンです。「モルグ街の殺人」では徹底した現場検証で証拠を集めて推理を展開し、「マリー・ロジェの謎」では、現場に赴くことなく与えられた資料だけで謎をすべて解き明かす「安楽椅子探偵」のスタイルを見せるデュパンは、後に登場するシャーロック・ホームズやエルキュール・ポアロなど、多くの名探偵の源流ともいえる存在です。


ポーは他にも、気球で月へ向かう話や……


臨終が近い男に催眠術をかけて生と死のはざまにとどめようという話など、さまざまなジャンルの短編小説を著しています。


さらに、ポーが短編小説だけではなく、多くの詩や書評も発表していることも、ポーが偉大な作家として評価されている理由の1つです。


特に、ポーが1845年に発表した物語詩「大鴉」は「恋人を失い悲しみに暮れる若者の元に、人間の言葉を話せるカラスが現れて『Nevermore(二度とない)』と繰り返して若者の悲しみをあおる」という内容で、今なお高い評価を受けています。


ポーは自身の母と最初の妻を病気で亡くし、その悲しみから逃れるためにアルコール依存症を患っていたといわれています。


また、ポーが受けている高い評価のほとんどは彼の死後のものでした。ポーはかなりの辛口批評を雑誌に発表していたため、当時のアメリカ文壇からは嫌われてしまっていたといわれています。


1849年、ポーは再婚を目前にしてボルティモアで泥酔状態のまま意識不明になっているところを発見され、40歳という若さでこの世を去ります。ポーの人生は「悲しみ」と「苦悩」に満ちていて、それらがポーの作品にも大きな影響を与えているといえます。もし「喜び」がポーにインスピレーションを与えていたとしたら、現代の作家にもまた違った影響が与えられていたかもしれません。

・関連記事
「夫を殺害する方法」というエッセイの作者が夫を殺害した容疑で告訴される - GIGAZINE

かつて人を喜ばせる存在だったピエロは今や「恐怖の象徴」として認識されつつある - GIGAZINE

ミステリーの女王アガサ・クリスティの生涯にまつわる謎とは? - GIGAZINE

「ホームズはパブリックドメイン」という判決が下され自由な利用が認められる - GIGAZINE

70年ぶり新作「ルパン、最後の恋」の日本語訳版が明日から発売、あらすじはこんな感じ - GIGAZINE

in 動画, Posted by log1i_yk