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メモ

長年にわたり泳ぎ方を忘れていたヨーロッパの人々はどのようにして再び泳ぎだしたのか?

by Carlos Rohm

「水の中で泳ぐ」ということは、海や川のある場所で生きている人間なら自然に身につく能力であるように思うかもしれませんが、ヨーロッパでは1000年以上にわたって人々が「泳ぎ方」を忘れていました。そんなヨーロッパ人がどのようにして泳ぎ方を再び学んでいったのか、さまざまな事物の歴史について掲載しているWEBジャーナルのHistory Todayがまとめています。

How Europe Learnt to Swim | History Today
https://www.historytoday.com/eric-chaline/how-europe-learnt-swim

古くはヨーロッパの人々も水泳をしていたと考えられていますが、中世になると漁業などの仕事に従事していない多くのヨーロッパ人は、泳ぎ方を「忘れてしまった」とのこと。泳ぐこと自体が忘れ去られたというわけではないのですが、人々の泳ぐ能力は次第に低下していき、海は「人魚や怪物の住む地上とは別の世界」として捉えられるようになりました。

5世紀に活躍したローマの作家であるウェゲティウスは、当時のローマ帝国軍人の中に泳げない人がいたことを記しており、当時のヨーロッパ人は泳ぎ方を忘れつつあったことがわかります。ローマ帝国では浅くて泳ぐ必要がない公衆浴場が普及し、紀元前33年には帝国内に170個あった公衆浴場は、4世紀になると公衆浴場の数は856個にまで増加したとのこと。

加えて、交通インフラの整備によって水路の重要性が低下すると同時に、農業の発達が水産資源の重要性を低下させました。これにより、ますますローマの人々は水泳と疎遠になってしまったそうです。一方で、西ローマ帝国の崩壊を促したといわれるゲルマン人は泳ぐことができ、ローマ人はその水泳技術に感銘を受けたそうです。ところが、ゲルマン人も次第にローマ化していき、諸都市が整備されるに従って泳がなくなってしまいました。


水泳の文化が衰退した影響は、宗教にも反映されています。キリスト教により異教徒への圧力が強まると、水にまつわる神は悪魔とされて忘れ去られていき、人間と水、ひいては水泳との肯定的なつながりが絶たれてしまったとのこと。人間と水を肯定的につなぐ最後のものが、人間と魚とのハイブリッドである人魚でしたが、人魚は時として人間と結婚し、時として人間を誘拐する曖昧なものとして描かれました。

中世以降の西ヨーロッパでは入浴の習慣も少なくなり、壮麗を誇った17世紀のヴェルサイユ宮殿ですら入浴習慣が欠如し、トイレも整備されていなかったことから、当時のヨーロッパでは至る所に悪臭が漂っていたと考えられます。西ヨーロッパの裕福な人々が唯一入浴するのが、病気の治療をするために内陸の温泉へ足を運ぶ時でした。ところが、温泉に入る時も人々は裸にならず、リネンの服に身を包んでいたとのこと。

1530年代のドイツでは溺死する人への対策として、「泳ぎ方を教える」のではなく「泳ぐことを完全に禁止する」という方法を取りました。インゴルシュタットにある大学では、ドナウ川で溺死した遺体に対して、埋葬前にムチで打つという刑罰を実行していたそうです。同様の「水泳禁止令」はイギリスのケンブリッジでも1571年に施行され、泳いだ人物に対するムチ打ちや罰金などの罰則が定められました。

by Jussie D.Brito

このような厳しい状況にもかかわらず、イギリスの学生や教育者の間では「水泳をしよう」という動きが起こっていたとのこと。トーマス・エリオットリチャード・マルキャスターといった教育者らは水泳がいい運動になり、泳ぎ方を教えることで命を救うことができるとして泳ぐことを推奨しました。中でもエバラード・ディグビーは、19世紀まで水泳の教本として大きな影響を残した「De Arte Natandi(The Art of Swimming)」という水泳教本を出版した人物として知られています。

本の中でディグビーは「泳ぎを身につけることで健康状態を改善し、溺れないようにすることで長生きできる」と説き、水泳の効果を伝えました。ディグビーはまた、ローマの軍人であるユリウス・カエサルも水泳をし、泳ぐことができたおかげで敵の襲撃を免れることもあったと述べています。本は実践的な水泳技術についても述べ、イラスト付きの英語で泳ぎ方を説明した初めての書物でした。


続いてイングランドでは「海水浴は病気の治療にいい」という健康法が流行し、イギリスの名門校であるハーロー校イートン・カレッジでも学生の溺死を防ぐため、泳ぎ方を教えるようになりました。1810年から1811年にかけて、ハーロー校でイギリス初となる水泳目的の人工プールが作られたとのこと。

ドイツでもヨハン・クリストフ・グーツ・ムーツという教育者が「Kleines Lehrbuch der Schwimmkunst zum Selbstunterricht(水泳の小教科書)」という本を1798年に出版し、当時西ヨーロッパでほとんど行われていなかった水泳について、「冷たい浴場(プール)は体育に必要なものであり、公立学校にはプールを設置するべきだ」と述べています。また、ムーツは西ヨーロッパの水泳教育者として初めて、太ももの半分くらいの長さのパンツを履いて泳ぐことを推奨し、「水着」という概念をもたらしました。

このようにして次第に水泳はヨーロッパの人々に浸透していき、やがて賭けの対象や賞金を争うレースとしての水泳が行われたり、軍隊の訓練に水泳が組み込まれたりするようになりました。21世紀では数十億人が健康や娯楽の一環として、水泳をするようになっています。「今後、地球温暖化が進んで地表を占める水の面積が増えるようなことになれば、さらに人々にとって水泳が身近なものになるでしょう」と、History Todayはまとめました。

by ewan traveler

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