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「罪と罰」のドストエフスキーはギャンブル依存症だった、どのようにして依存症から抜け出したのか?


フョードル・ドストエフスキーは19世紀後半のロシア文学を代表する文豪で、「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」などで世界的に知られています。また、ドストエフスキーは酷いギャンブル依存症でも知られており、出版社に借金を肩代わりしてもらう代わりに過酷な契約も結んだこともありますが、晩年にはギャンブル依存症を克服しています。どのようにギャンブルへの依存から抜け出したのかについて、教育芸術学の専門家であるスティーブン・ドブソン氏が解説しています。

How Dostoevsky overcame his gambling addiction
https://theconversation.com/how-dostoevsky-overcame-his-gambling-addiction-220655


ドストエフスキーは1841年から1880年まで活躍し、ロシア文学の黄金時代において最も偉大で影響力のあった小説家の一人とみなされています。中でも、1866年に発表された「罪と罰」は、世界的に知られた名作でドストエフスキーの代表作としても名高い作品です。一方で、同年に発表された「賭博者」は「罪と罰」ほどの知名度はありませんが、「罪と罰」の執筆に強い影響を与えたほか、ドストエフスキーの人生と深く結びついています。


「賭博者」は、ルーレット賭博に熱狂して、それにより身を滅ぼしていく人々を描いています。このストーリーは、当時恋仲にあった小説家のポリーナ・スースロワの浮気性に腹を立てたドストエフスキーが旅行へ行くたびにその先でルーレットに明け暮れた体験が元になったといわれています。実際に、「賭博者」にはスースロワと同じ「ポリーナ」という人物が登場しています。

「賭博者」の執筆時には、ドストエフスキーは出版社のステロフスキーとギャンブルじみた異様な契約を結んでいました。当時ギャンブルによって多額の借金を負っていたドストエフスキーは、債権者に邪魔されて執筆が滞らないように、ステロフスキーから3000ルーブル(当時の価値で300万円程度)を受け取っています。そして、2ヶ月後の1866年11月1日までに160ページ以上の作品を納品できなかった場合、「ステロフスキーは今後9年間、ドストエフスキーのこれまでの著作と今後の作品における権利と印税収入100%を得る」という契約を結んでいました。身内の不幸やスースロワとの関係悪化もあって執筆が遅れたドストエフスキーは、「罪と罰」の連載と並行して「賭博者」を書き上げるため、速記者に口述する形で高速で仕上げ、期日ぎりぎりの10月31日に原稿を納品しました。

ドブソン氏によると、ドストエフスキーは1863年のヨーロッパ旅行中にルーレットへの魅力に取りつかれ、すぐに損失を抱えてそれを取り戻すためにルーレットを繰り返したそうです。「賭博者」の中には、「ハンドルを一回転すれば、すべてが変わります。今の私の手元には、ゼロ。でも明日、私は死からよみがえって再び生き始めるかもしれません!」という一節があります。「賭博者」の主人公であるアレクセイ・イワノビッチは裕福な家の家庭教師という立場からルーレットにのめりこみ、性格も一変しながら破滅の道へ落下していきますが、ドブソン氏はこうした描写について「ドストエフスキーはギャンブル依存症だった自身の経験を生かして執筆したのです」と解説しました。ドブソン氏はフロイトのドストエフスキー解釈を引用しながら、「賭博者」の特徴を「際限のないエゴイズム」と表現しています。


ギャンブル依存症は1980年にアメリカ精神医学会に「衝動制御障害」の一種として、窃盗癖や放火癖と同じカテゴリに含まれました。以降は治療法の研究・開発が進んでおり、2013年には薬物関連障害および中毒性障害と同じカテゴリに再分類され、ギャンブル衝動を制御するためのドーパミンなどの薬物治療の研究も進んでいます。しかし、ドストエフスキーの時代にはギャンブル依存症の治療は確立していないにもかかわらず、ドストエフスキーはギャンブルからさっぱり足を洗っています。ドブソン氏はこれを「あるふとした瞬間や偶然の出来事がすべてを変える可能性があるという貴重な例を、ドストエフスキーは示しています」と述べています。

「賭博者」を書き上げてから8日後、ドストエフスキーは速記者のアンナ・グリゴリエヴナ・スニトキンに結婚を申し込み、2人はすぐに何年も海外に行きました。この時期、ドストエフスキーは依然としてギャンブルに熱中し、所持金をすべて失っただけではなく、ギャンブルをするために持ち物を質に入れることもよくありました。ドストエフスキーのギャンブル依存はそこから数年続きましたが、ある日突然ぴたっとやめてしまったそうです。その理由は1871年にドストエフスキーがスニトキンへ送った手紙の中にしたためられており、「所持金を失って賭場から逃げ出した後、教会だと思った場所に辿り着くと、ロシアの教会ではなくユダヤ教のシナゴーグでした。そこで冷水を浴びたような気分になり、家に逃げ帰って手紙を書いています。私は今、10年間苦しんだ忌まわしい衝動から解放されたということを自覚しています」とあります。


ドブソン氏によると、実際にこの日からドストエフスキーはギャンブルに対する興味を完全に失ったそうです。ドブソン氏はその理由について、ロシア正教会の親しみや安心感を求めたドストエフスキーが間違ってユダヤのシナゴーグに到着した結果、不安で奇妙な精神状態に陥り、これまでの経験や考え方が崩れた可能性を指摘しています。

また、ドブソン氏はドストエフスキーのギャンブル依存症について、もうひとつの可能性を挙げています。ドストエフスキーは持病のてんかんや、1868年ごろからは気管支疾患を患っており、それが創作に強い影響を与えていることでも知られています。ドストエフスキーがギャンブル依存症から突然逃れることができたのは、ギャンブルの興奮やギャンブルを継続するエネルギーに、ドストエフスキーの身体が耐えられなかったことにあるかもしれないとドブソン氏は語っています。

ギャンブル依存症から回復した人たちは、リハビリにおいて偶然や突然の啓示が果たす役割を強調することがよくあります。ドストエフスキーの例は、専門知識や研究が進んだ現代においては直観に反している部分もありますが、興味深い例として捉えることもできます。

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in メモ, Posted by log1e_dh

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