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90年代にすい星のごとく現れGPUトップ企業に上り詰めるも爆速で消えていった「3dfx Interactive」


PC向けグラフィックボード用のチップメーカーは、いまやNVIDIAとAMD(旧ATI)の2大メーカーに絞られています。しかし、1990年代中盤に産声を上げたスタートアップ「3dfx Interactive」は、他を圧倒する3D描画能力を武器に、並み居る強豪を抑えてトップシェアを奪うことにかつて成功しました。突如として市場に現れ輝きを放った3dfx Interactiveは、たった一つの戦略ミスによって、あっさりと市場から消えてしまいました。

3Dfx History: The GPU’s Great Turning Point?
https://tedium.co/2018/02/14/3dfx-history-failure/

コンピューターグラフィックスを開発するSilicon Graphics International(SGI)は、1990年代に映画産業で利用されるCG製作のデファクトスタンダートとなるなど、当時、世界最高のグラフィック開発技術を持っていました。SGIは任天堂のゲーム機ニンテンドー64に3D技術を提供していたことでも知られています。

当時SGIに勤めていたスコット・セラーズは、id SoftwareのDOOMの成功などもありPCゲーム市場に大きな潜在力を感じていました。しかし、任天堂に対して10万ドル(約1000万円)の開発キットを販売していたSGIは大企業を相手にビジネスを行っており、コンシューマー向けのグラフィック製品を販売することはなかったため、セラーズはSGIの同僚だったロス・スミスやグレイ・タローリらとともに独立することを決意しました。

当時、SGIの前身であるPellucidはPCゲーム市場に狙いを定めており、そのPellucidはMedia Visionによって買収されていました。Media Visionの方向性はセラーズたちの狙いと一致していたこともあり、最初はMedia Visionへの合流が模索されたとのこと。「しかし、たった一つだけ小さな問題がありました。それは、Media Visionが詐欺師たちによって経営されていたということです」とセラーズは当時のことを述懐しています。

結局、財務上の不正行為がMedia Visionで発覚したことからセラーズたちの合流は取り止められ、ベンチャーキャピタリストのゴードン・キャンベルの出資を受けて3人は3dfx Interactive(3dfx)をスタートアップとして立ち上げることになりました。

3dfxは、まずアーケードゲームに取り組みました。1995年に開発した3Dアクセラレータチップ「Voodoo」の技術は、アーケードゲームの「Home Run Derby」という形で日の目を浴びることになりました。Home Run Derbyは、プレイヤーが野球のバットを持ってディスプレイ前のバッターボックスに立ち、ディスプレイで3Dとして向かってくるボールを打つというゲーム。スイング軌道は赤外線センサーで測定され、スイングのタイミングなどから打ったボールがホームランになるかどうかを判断していたそうです。


1996年のElectronic Entertainment Expoで発表されたHome Run Derbyは大きな反響を呼び、Home Run Derbyのグラフィックを実現するVoodooは注目を集め、設立間もない3dfx Interactiveの高い技術力を見せつけることになりました。

その後、セラーズの目論見通り、Voodooは軸足をPCに移し、PCゲームのグラフィックスを席巻することになりますが、3dfxが圧倒的な支持を得た理由は大きく4つあると考えられているとのこと。

第1の理由は、3dfxがVoodooチップ発売と同時に、独自のAPI「Glide」をリリースしたこと。当時、ゲーム開発を行う場合、Microsoftが発行するAPIを使用するのが普通であり、グラフィックスチップに最適化されたAPIなどなかったとのこと。Voodooチップ+Glide APIという強力なタッグによって、開発者は汎用APIとは次元の違う高品質な描画が可能になりました。この状況についてスミスは、「それはグラフィックス企業がやることとしては非常に過激なことでした」と振り返っています。圧倒的な高画質によって、3dfxはほぼすべての大作ゲームの支持を取り付けることに成功しました。

第2の理由はキラーコンテンツである「Quake」で成功したことです。3dfxはid Softwareのジョン・カーマックに、Voodoo+Glideによってゲームのレンダリング速度を高められることを説明するやいなや、カーマックは目を奪われたとのこと。高い性能を見せつけられたカーマックはソフトウェアレンダリングを追求し、これがQuakeの大ヒットにも大きく寄与しました。Quakeチームとの協力が3dfxの大きな成功につながったというわけです。

画面左が一般的なVGAでQuakeを動かしたもの、右が3dfxでのもの。一目でわかるレベルで画質が違います。


第3の理由は、3dfxが初めから3Dのみに注力していたこと。システムに2Dグラフィック機能を追加することでパフォーマンスが低下するのを避けるために3Dグラフィックスにのみ集中した結果、その後、3D機能を強化しようとした競合他社よりも優れた3Dグラフィック性能を実現できました。そして、第4の理由は、圧倒的な描画能力が買われた結果、Creative LabsとDiamond Multimediaという大企業とすぐに提携できたこと。「Diamond's Monster3D」という時代を象徴するグラフィックボードにグラフィックチップを提供したことは、3dfxのブランド認知度を大きく高めることにつながりました。


3dfxにはセガとの間で、ゲーム機ドリームキャストのハードウェアを共同開発するための提携交渉を行っていました。3dfxにとって大きなビジネスチャンスでしたが提携は実現せず、結局、1997年7月にセガはNECと提携してPowerVRを採用することになりました。これが、3dfxにとって初めて直面したビジネス上の打撃だったそうです。さらにその後、3dfxは二度目の打撃によって、ビジネスの終焉を迎えてしまします。

1998年に3dfxは、当時のグラフィックボードの主要メーカーだったSTB Systemsを買収すると発表しました。STB Systemsを吸収した3dfxは、それまで他のグラフィックボードメーカーに対して行っていたチップセットの販売をやめ、自らで独自のグラフィックボード「Voodoo 3」を製造・販売するという戦略へと変更。これは、チップ単体の売買ではなく最終製品のグラフィックボードの製造まで手掛けることで、より大きな利益を得るのを狙った大きな賭けでした。


3dfxの方針転換は、それまで協力関係にあったCreative LabsやDiamond Multimediaとの対立を意味しました。その結果、Creative LabsやDiamond MultimediaなどはNVIDIAなどのチップに切り替えたことで、チップを提供するライバルとの競争が激化。Voodoo 3の製造販売が遅れさらに次世代製品の開発でも後れをとった3dfxは、リードしていた3D描画能力でNVIDIAやATIなどのライバルたちに追いつかれ追い越されてゆき、ついに2000年12月、NVIDIAに所有する知的財産権を売り渡して解散しました。

90年代半ばにすい星のごとく現れるやいなや、PCゲーム市場で圧倒的なシェアを奪った3dfxは、チップベンダーからグラフィックボードメーカーになるという最初で最後の大きな賭けに敗れ、やはりすい星のごとく消えていきました。

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