ナチスと戦い法に背いてズボンを履いた伝説的女優マレーネ・ディートリヒの物語


ドイツ出身の女優・マレーネ・ディートリヒは、ナチス党首アドルフ・ヒトラーのお気に入りだったものの、ナチスを嫌いアメリカの市民権を取得したためにドイツでは出演映画の上映が禁止されていました。LGBTQのアイコンとして捉えられることも多いディートリヒの写真展がLGBTQ文化をたたえるイベント「プライド・パレード」の時期と合わせての時期と合わせてナショナル・ポートレート・ギャラリーで行われ、CNNがその写真とともに伝説的女優の人生を振り返っています。

Marlene Dietrich's fearless legacy celebrated in Washington exhibition - CNN.com
http://edition.cnn.com/2017/06/19/arts/marlene-dietrich-dressed-for-the-image/index.html

National Portrait Gallery Looks At Marlene Dietrich, Icon Of Androgynous Glamour: DCist
http://dcist.com/2017/06/marlene_dietrich.php

マレーネ・ディートリヒは1901年にベルリンで生まれ、アメリカに渡って1930年代にハリウッド女優として「嘆きの天使」「上海特急」「モロッコ」という多くの映画に出演しました。映画女優として成功したディートリヒですが、一方で、セクシュアリティやファッションの世界でも数多くの型破りな行動をしてきたことで知られています。


例えば、ディートリヒがデビューを飾り、アカデミー賞にノミネートされた映画「モロッコ」は、歌手である女性が外人部隊に属する男性と恋に落ちるという内容だったのですが、歌手に扮するディートリヒは、作中でタキシードを着用し、シルクハットをかぶり、指には葉巻を挟むという格好で歌を歌い、女性にキスする演技を行いました。このような表現は2017年現在の映画でこそ何てことないシーンですが、保守的なファッションに身を包む女性が一般的だった1930年代において、映画の中でのディートリヒの振る舞いは衝撃的なものだったとのこと。男性のような服装をする女性が存在しない時代に、ディートリヒのタキシード姿は前代未聞の事件だったのです。


当時の女性のファッションがどのようなものだったのかは以下の記事を読むとわかります。

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また、1933年、ディートリヒは大西洋を汽船で横断し、アメリカからフランス・パリへと向かいました。この時ディートリヒは白いパンツスーツに身を包んでいたのですが、実は2013年まで、女性がズボンを着用するということはパリでは条例違反にあたりました。そのためパリに入る際に警察官から「男性用の衣服を着続けると逮捕することになる」と警告されたディートリヒでしたが、彼女はパリ滞在中、スーツや男性用のコート、ベルト、サングラスを着用することをやめなかったとのこと。ナショナル・ポートレート・ギャラリーのKate Lemay氏は、「ディートリヒは自分のイメージを創り上げ、そのイメージ通りに振る舞いました。それゆえに、自分で創り上げたパブリックイメージを維持できなくなった時、彼女は姿を消したのです」と語っています。実際にディートリヒは1960年のインタビューで「私はイメージのために着飾っているのであって、自分やパブリック、ファッション、男性のために着飾っているのではありません」と語っています。


ディートリヒの魅力は見た目の美しさだけではなく、如才なさや不屈さに支えられたものでした。そして彼女は映画の中での境界線を押し上げただけではなく、LGBTQコミュニティの中でも性別を超えた存在のシンボルとなったとのこと。1955年にタブロイド紙がディートリヒがバイセクシュアルであると報じた際には、彼女は訴えを起こしたり騒いだりせず、「アメリカではセックスというものが妄想や強迫観念として存在しますが、世界の他の場所では事実なのです」とコメントしています。

その後、ディートリヒのイメージは、ハリウッド映画だけではなく政治的な関わりの中でも作られていきます。当時のドイツはナチスによる第三帝国の統治下にありましたが、ヴァイマル共和政で育ち個人主義と寛大さに重きを置いていたディートリヒは、ヒトラーの台頭によって母国が浸食されていく様子に我慢できなかったとのこと。そのため1937年にアドルフ・ヒトラーが自身が制作するプロパガンダ映画に出演するよう要請した際には、当時アメリカで暮らしていたディートリヒはこれを拒否。2年後にはアメリカ国籍を得るためにドイツの市民権すら放棄し、第二次世界大戦中はCIAの前身である情報調査局のために反ナチス・ドイツをテーマにしたアルバムを収録しました。ヨーロッパで連合軍兵士を慰問することもあったそうです。

以下は1945年にニューヨークで撮影された、ディートリヒが第二次大戦から帰ってきた兵士とキスをしている様子を捉えたもの。


このようなディートリヒの振る舞いに対して、母国ドイツでは賛否両論で、1960年にディートリッヒがドイツに降り立った時にはスタンディングオベーションが起こると同時に「元いた場所に帰れ」というプラカードが掲げられるような事態となりました。しかし、死去してから10年たった2002年に、ディートリヒはドイツの名誉市民となり、現在ではベルリン中心のポツダム広場に隣接した広場が「マレーネ・ディートリヒ広場」と呼ばれています。Lemay氏は「今日、アメリカ人は特に、自分の価値や、何を支持されているのかを尋ねられます」と語っており、今とは全く異なる時代に生きながらも自分を貫いたディードリヒだからこそ、今を生きる人々に共鳴されるのだとしてます。

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in アート, Posted by logq_fa