「具体的な『安全』は存在するのでしょうか?」安全を追求するJALの機長が語る驚きの事実と絶対安全に向けたJALの取り組みとは?


多くの乗客や荷物を乗せ、日本や世界の空を飛び交う旅客機には高い安全性が求められます。そんな旅客機の運航を支えるのがパイロットや整備士、地上スタッフなど、航空会社で日々業務にあたっている人たちです。限りなく続く「安全」の追求を行う上で、どのような考え方が取り入れられているのか、そもそも「安全」とは何なのかについて実際にJALでパイロットなどの育成にたずさわっている人物にインタビューできる機会があったのですが、そこでは実に興味深い事実を聞くことができました。

安全への取り組み | 安全・運航情報 | JAL企業サイト
http://www.jal.com/ja/flight/safety/

今回はJAL(日本航空)が進めている安全に対する取り組みについて、主にパイロットの訓練に携わっている方にインタビューすることができました。インタビューのために訪れた羽田空港の中にあるJALの建物に入ると、JALらしい鶴をかたどったオブジェに遭遇。何とこれはもう使われなくなったエンジン内部の部品「エンジンブレード」を使って製作されたものとのこと。飛行機好きの心を一発で撃ち抜いてしまうオブジェにいきなり遭遇してしまいました。また、当日は普段は一般の人が入ることができないエリアにも足を踏み込むことができました。


今回お話を聞くことができたJALの靍谷(つるや)機長。ボーイング777型機で機長を務めるかたわら、現在は後進の育成や広報業務なども担当されている方で、今回はJALが考える「安全」とは、そしてその実現のために取り入れられているさまざまな取り組みの一端を伺うことができました。


◆「『安全』って何ですか?」
靍谷機長は、「パイロットの仕事、と聞くと一般的には『飛行機の操縦』と思われる方が多いと思うんですが、実はそれだけではないんです」と語ります。パイロットという職業から連想される仕事といえば操縦桿を握って操縦する、といったものを思い浮かべることが一般的であると言えますが、靍谷機長は、その本当の中身を「飛行機の操縦はパイロットの仕事の一部でしかなく、パイロットの仕事とは『運航中の航空機の安全管理』なのです」と説明。そして次に、安全というものの正体は一体どのようなものなのか、という禅問答のような質問を編集部員に投げかけました。

靍谷機長(以下「靍谷」):
ここで1つお尋ねしたいのですが、まず、「危険なもの」って想像がつきますか?飛行機に関わらず、身の回りのものであれば何でも結構です。

GIGAZINE(以下「G」):
そうですね、いろいろあると思うのですが……例えば刃物とか、事故だとか……場合によっては「人」が危険につながることもありますね。

靍谷:
そうですね、いろいろなものが思いつくと思うのですが、では逆に具体的な「安全」というのが何か、具体例を挙げることはできるでしょうか?

……こう尋ねられてハッと気がついたGIGAZINE編集部員。確かに「危ないもの」は簡単に頭に浮かぶのですが、いざ「安全なもの」といわれてみると驚くほど何も思いつきません。自動車や電車、普段使っている道具、電気、ガスコンロなど、たとえ「安全」とされていても、そこには何らかの割合で必ず「危険」が隣り合わせで存在しているように思えてきました。

G:
いや、何も思いつかないですね……強いていえば、「危険なものがない状態」ということになるでしょうか?

靍谷:
そうなんです、いま思われたように、実は「安全」といえる具体的なものはないのです。危険には具体的なものがあります。しかし、安全に具体的なものはなく、「ある状態にあること」を安全である、と呼んでいるのです。

これはJALが独自に言っていることではなく、国際民間航空に関する機関であるICAO(国際民間航空機関)によって決められているもので、安全とは「危険因子(ハザード)の特定およびリスク管理を継続して行うことによって、人への危害あるいは財産への損害のリスクが受容レベルまで低減され、かつ受容レベル以下に維持されている状態」と定義されています。


靍谷:
つまり、安全とは「許容できる危険度」のことなんです。何が危ないのかと言うことをきちんと決めて、それを自分たちが許容できるレベルに押さえ込んでいる状態、これが「安全」であるということになります。ということなので、みなさんに「安全とは何か?」と尋ねてみても何も具体的なものが思いつかないというのは当然です。安全というのは、ある「ステータス(情勢)」であったり、「ステージ」であったり、「状態」でしかないということであり、私たちはそれらを追求するために、日々の業務にあたっています。

G:
改めて目の前に見せられると、安全の定義というのはこんなふうに表現されるものなのですね。

靍谷:
そうなんです。よく「絶対安全の追求」といわれることがあり、これは確かにJALでも最も重要なものであると位置づけています。それは会社の理念や方向性、目標としては正しいのですが、その実現は本質的には不可能なものかもしれません。つまり、絶対安全というのは、追い続けていることこそが絶対安全を確立しようという取り組みにということになります。ですので、「これでもう安全だ」と思った瞬間にもうダメなんです。そのために、乗務員などの訓練をしっかりと行っていくというのが、JALの安全に対する取り組みとなっています。

◆乗務員の訓練
改めて気づかされる「安全」の本来の意味、そしてその状態をキープするためには常に安全に対する取り組みを続ける必要があるという、シンプルでありながら実に重要な点を再認識させられたところで、次は実際の訓練などについてお話しを聞きました。

靍谷:
パイロットになるまでには多くの段階があります。入社直後には入社教育や地上業務の実習を行い、2年目からの基礎過程を経て副操縦士の資格を取得し、副操縦士として実際のフライトを経験します。そしてその後に機長としての養成課程に入り、資格を取得して機長としての業務にたずさわるようになる、というのが一般的なパイロット養成課程となっています。

副操縦士の資格を得る際には、従来は自動車の免許でいう「二種免許」にあたる事業用操縦士の資格が必要でした。これはエアライン(航空会社)のパイロットには限らない汎用性があるもので、遊覧飛行や農薬散布といった業務にも使える資格です。しかし、この資格にはエアラインのパイロットとしては必要のない「パイロットが一人の状態で飛ばす技能」に関する事項が多く含まれていました。

そこで2013年から、新たにエアラインのパイロット専用の資格である准定期運送用操縦士(Multi-crew Pilot Licence:MPL)と呼ばれる資格が設けられ、JALでは2013年からMPL訓練を導入しました。

(別紙)「MPL訓練と従来方式との比較」


靍谷:
これにより、結果として訓練の期間は短縮される見込みです。とはいえ、これは決して期間の短縮やコストの削減を狙ったものではありません。実際には、導入して最初の数年は時間もコストも従来より多くかかると見込んでいます。ではなぜこの資格を選択したのか、それは、JALとしてのクオリティを目指すためにはこの方法がベストだと考えたというのが導入の理由です。

これ以外にも、パイロットが資格を維持して乗務を行うためには、以下のような訓練や審査を毎年受け続ける必要があります。

1.定期審査:年3回 シミュレータ2回+路線での審査1回
2.定期訓練:年3回 シミュレータ
3.航空身体検査:年1回 (実質的には年2回)
4.定期救難訓練:年1回
5.CRM (Crew Resource Management:チームパフォーマンスの訓練):年1回 (シミュレータ訓練に統合)

G:
これを見ていると、やはりパイロットの資格のためには厳しい訓練があって、常に勉強しないといけないことがよく分かって……なんというか、パイロットの人は大変ですね。

靍谷:
大変です。しかし、私どもでも利用者の立場に立って考えると、「このぐらいはやっておいて欲しいよね」と、やっぱり思いますよね。ある空港に着陸する時に「そういえば、この空港に着陸するのって5年ぶりなんだよね」というパイロットが操縦する飛行機にはあまり乗りたいとは思えませんので(笑)。


靍谷:
訓練の中ではシミュレータを使いますが、実はここでは離着陸の練習は行いません。というのは、パイロットである以上、その能力は持っていて当たり前という状況があるからです。実際行われている訓練は、大きく2つに分けると「重大な故障に対する状況」と「非常に天候が悪い状況」です。

重大な故障というのは、例えば片方のエンジンが止まってしまったり、機体を操るための油圧系統が故障してしまったり、または、上空を飛行中に機体に穴が開いて急減圧が発生してしまう、というような場合です。そして、非常に天候が悪い状況とは、例えば霧が発生して視界が悪くなったり、強い横風が発生している状況などです。これらの状況が発生した時に無事に飛行機を着陸させることができるか、または離陸時には離陸を中断できるか、そういったことが訓練の中で問われます。

シミュレータを使った訓練では、法律によって決められたことを全て実施するのですが、ここで「CRM」というものが重要になってきます。これは、事故の際に原因となり得る「ヒューマンエラー」を防止することを狙ったものになるのですが、そこには今後の航空業界の動向が大きく関わってきます。

◆拡大する航空業界の安全性を高めるために
今後の増加が確実視されている航空業界において、事故の発生件数を下げるためにあらゆる方策をとることこそが、「安全」を実現するための必要な行動になります。次はそんな考え方の中身について伺いました。

靍谷:
CRMはCrew Resource Management(クルー資源のマネジメント)の頭文字を取ったもので、JALではこれを国際的な基準に準拠した上で「安全で質の高い運航を達成するために、全ての利用可能な人的リソース、ハードウエアー、および情報を効果的に活用すること」と定義づけています。ここでいう「人的リソース」には、航空機乗組員、客室乗務員、運航管理者、整備士、航空管制官などが含まれます。

この文章を見ると「なんだ、当たり前じゃないか」と思われるかもしれないのですが(笑)、実はこれは当たり前のことです。JALでは、「当たり前のことを当たり前に記述して、きっちりと守る」ということが、私たちのアプローチのベースになっています。そしてこれは「合理的」でかつ客観的に「見える化」されていなければなりません。なぜこれを行っているのかというと、そこには今後の航空業界が進むであろう状況があるためです。

ライト兄弟によって飛行機が発明されて以来、飛行機の安全性は格段に向上してきました。最初は飛行機そのものの作りが良くなかったので、これを改良しました。それでも飛行機の事故は起こりました。それは設備が整備されていなかったことが原因だったので、滑走路を平らにし、きちんと舗装しました。そして管制塔が作られ、無線でやりとりを行うことができるようになりました。設備が整い始めたところで、今度は無線の性能を向上しました。さらに、無線設備を充実させることで、視界が良くなくても電波を使って安全に飛行できるようになりました。


靍谷:
そして大きかったのが、飛行の状態を疑似的に再現できるシミュレータの登場でした。これにより、訓練の内容が良くなり、技能を向上させることが可能になりました。このように、安全に対する取り組みを全体で進めてきたことで飛行機の安全性は大きく向上してきたのですが、どうしても事故はゼロにはなりませんでした。

しかしその一方で、実際に人を乗せて飛ぶ旅客機の出発便数は年を追うごとに増加の一途をたどっています。そのため、事故発生率は下がっているにも関わらず、年間の事故発生件数というのは、わずかながらではありますが、全体的には増加傾向にあります。

そして、今後はさらに旅客機の数は増加すると見られています。2004年時点では全世界で約1万8000機だった旅客機は、2021年には1.7倍の約3万2500機にまで増加すると予測されています。こうなると、現状のままでは事故件数が増加してしまうのは明白です。しかし、私たちはこの事故件数を限りなくゼロにしていきたい。しかし、機械面での改善だけでは限界が見えている。そこで注目したのが、人間による「ヒューマンエラー」などの原因である「ヒューマン・ファクターズ」というところなのです。


◆ヒューマンエラーを世に知らしめた「テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故」
ここで靍谷機長がヒューマンエラーの一例として挙げたのが、1977年に発生した「テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故」でした。これは、運航に関わっていたパイロットや管制官らの誤認および気象の悪条件がもとで、2機の大型旅客機(ボーイング747型機)が滑走路上で衝突して583人が死亡するという、文字どおり過去最悪の飛行機事故として広く知られています。この事故は、航空機の安全を語るうえで避けては通れないと全世界的に強く認識されているそうです。

テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故 - Wikipedia


この事故は、とても不幸なことが重なったために発生したものでした。事故が発生したテネリフェ空港(ロス・ロデオス空港)はリゾート地で有名なカナリア諸島にある空港の1つなのですが、実は普段はジャンボ機が着陸するようなメイン級の空港ではありませんでした。ところが、メインの空港が爆弾テロ騒ぎで閉鎖されてしまったため、多くの乗客を乗せた旅客機が次々にテネリフェへとダイバート(代替着陸)してくるという状況でした。

その後、メインの空港が再開されたという知らせを受け、テネリフェにダイバートしていた旅客機は次々にもとの空港に向けて飛び立っていったのですが、このテネリフェでは霧が発生してしまいました。しかも、テネリフェの管制官はこのような状況にまったく慣れていなかった。そして、離陸に向けて移動中だった一方のジャンボ機がまだ滑走路にいる状態にも関わらず、もう一方のジャンボ機の機長は許可を受けたと誤認して離陸を開始してしまい、両機は滑走路上でほぼ正面衝突してしまったという事故です。

By Anynobody~commonswiki

靍谷:
この事故は機長の思い込みが直接原因ではあったわけですが、なぜこれを防ぐことができなかったのかということについて注目されるようになり、ヒューマンエラーやヒューマンファクターズに関心が集まりました。さらに時を同じくして事故率を下げる取り組みが必要になったことから、CRMに対する注目が集まり、JALでもそのような取り組みを一生懸命行っているところです。

G:
ということは、CRMは近年に始まったものではなく、以前からも進められてきたものということなんですね。

靍谷:
そうです。この考え方自体は1970年代後半に注目されだしたものです。JALでは、1980年代半ばに日本の航空会社では他に先駆けてCRM訓練を導入しました。その後もいろいろな変遷を経て、その都度内容をアップデートしながら取り組みを続けています。

この件に関しては、各国でさまざまな取り組みが行われています。その中で興味深いのが、特に対人関係のコミュニケーションや、認知に関する色んな分野の研究が進むと、この問題が実は操縦操作などのさまざまな面に綿密に関係していることがわかったということです。この気づきにより、訓練全般を見直すレベルでのアプローチが必要になった、ということがここ20年ぐらいの出来事です。

G:
それだけ複雑なものを体系化して教育に組み込むというのは非常に大変な作業になると思うのですが、その中身は各航空会社が検討しているのでしょうか?

靍谷:
この件に関しては色んな国や機関がトライ&エラーを繰り返して改善を進めています。興味深いのは、「コレだ」という決定打というものがないんですね。ヨーロッパでまず政府や航空会社による取り組みが行われ、それをもとにアメリカでも研究が進む、という形で、常に最先端の部分をみんなで切磋琢磨して作っているというのが今の姿です。そして、今はそれがうまい方向に作用しているといえます。

◆コンピテンシーに基づく考え方、そして「ノン・テクニカル・スキル」の概念
靍谷:
その取り組みの中で結実したものとしては、アメリカでは1990年代初頭から始まってすでに20年あまりの歴史がある、「コンピテンシーに基づく考え方」というもので、これはヨーロッパでも2000年ごろから取り入れられているものです。

これは、今までは積み上げ式で免許を取っていった到達点に「エアラインのパイロット」というものがあったのとは逆に、「パイロットはこういった能力を持っているはずだ」という到達点に向かって、全ての能力を獲得していこうという考え方です。これは、先ほどお話しした「MPL (准定期運送用操縦士)」とまったく同じ考え方のものです。

従来は、パイロットの経験であったり、実績の中からなんとなくの「パイロット像」ができあがっていたのですが、コンピテンシーに基づく考え方ではまず「JALのパイロットはこうあるべき」というものに向かって、全ての能力を獲得していく、そういう形にシフトして行ったということになります。

G:
具体的には、どのような形で訓練は行われているのでしょうか?

靍谷:
実は、訓練そのものは法律によって細かく規定されている部分があって、実施すべき内容が決められています。JALでは、ある課目の訓練に対し、「JALとしてこのパイロットには、ここまでできてほしい」という要求を同時に設定し、それを確認するという作業を行います。なので、訓練の科目そのものを変えることはできませんが、考え方や、その人に求めるものを大きくシフトさせています。

具体的な方法としては、JALのパイロットに求める仕事というものを最初から最後まで全て記述してしまいます。これは項目が1000項目以上にものぼるものになっています。

G:
パイロットの仕事の内容というのは、そんなに多いんですね!

靍谷:
そうです。そして、1つずつの項目に対して、どういう条件で、どういうレベルでクリアできないといけないかを決めます。そして、これを全てデータベース化して、その人がちゃんとレベルを維持しているかということを確認する仕組みを取り入れています。これが「コンピテンシーに基づく考え方」で、欧米ではすでに制度化されています。日本では制度としては求められていないのですが、JALではその考え方を取り入れて、従来型の訓練に能力の管理を組み込むという取り組みを行っています。

細かくなるのですが、この「コンピテンシー」の項目はICAOの規定で「Knowledge (知識)」「Skills (技能)」「Attitude (態度・姿勢)」と定められています。このうち、Attitudeはもともとパイロット自身が持っている必要がありますし、Knowledgeについては学習で獲得するものですが、Skillsについては獲得した上で、「維持」と「向上」が必要になってきます。

Skillsはさらに「Technical (技術)」「Procedural (手順)」「non-Technical (ノンテクニカル)」の3つに分けられています。しかしこのうち、「ノンテクニカル」は当初、ほかの2つとは別個のものだと捉えられ、Skillsの項目とは同列と考えられていなかったのです。


靍谷:
先ほどお話ししたテネリフェ空港ジャンボ機衝突事故のあと、航空各社はさまざまな取り組みを考え始めました。その中には、「心理ゲーム」のようなものを行っていたものもありました。しかし、だんだんとその中身を実際の仕事の中でどうやって行くのかを追い詰めていくと、ノンテクニカルな内容もSkillsに含まれ、「パイロットの能力に不可欠なものである」と捉えられるようになってきたのです。

これを受けて、ノンテクニカルなスキルも他のスキルと同じように細かな項目を定め、チェックリストを作成して評価を行う仕組みを作りました。ここが非常に大きなポイントでした。ノンテクニカルな部分を評価するということは実は非常に難しくて、JALのみならずほかの航空会社、そして世界中にあるほかの企業でも、このように従業員のノンテクニカルな部分を評価するというのは苦労している部分だと思います。

G:
目には見えない部分なので、評価が難しい。

靍谷:
それでもなお、求められる能力がある上において、それを評価することにチャレンジするというのはやはり必要になると思います。もちろん、その評価においては一般の従業員から理解を得られるように説明を行いますし、透明性を持たせるようにアプローチをしていきます。

これらの評価は、全てデータベースで管理されています。評価を行う際には、ある項目に対してどのような能力が求められるのかを表示させ、例えば「この科目の、この部分においてあなたには向上の余地があります。そのため、我々が求める能力のこの部分をもう少しトレーニングしたほうが良い」ということが確認できるようになっています。そして必要があれば再び訓練を行い、達成が認められた場合にはそれがデータベースに反映されます。

さらに、それらの情報は全てがデータベース上にありますので、運航乗務員が持っている専用のiPadで、VPN経由でいつでもリアルタイムに参照することが可能です。

G:
全てがオンラインでつながっているということですね

靍谷:
ノンテクニカルなスキルの評価は非常に難しいです。ともすれば、個人の考え方にまで入り込んでしまうようになってしまい、教官から「お前のその考え方のままだと、一生機長にはさせないぞ」といった評価を下されることになってしまいかねないのですが、そういうのはダメです。絶対にダメです。この評価においては、「観察可能な行為」に基づいて評価することが必要です。そうでなければ、客観的な評価はできません。

そこでどういうことをするかというと、「こういう行動を取りましょう」ということ、あるべきことをを定めた「行動指標」という一覧表を作ってしまいます。これは世界的に同じようなことをしています。

その中では、ある状況において「こういう行動を取るべきだ」という実際の行動例までが明記されています。教官はこれにもとづいて指導を行うことが可能になっていて、以前だと「お前、それじゃダメじゃないか、もっとちゃんとしろ」とあいまいな指導になってしまっていたものが、今ではこの指標にもとづいて「この場面ではこうすることが求められている。しかしあなたはできていない。こういうふうに行動しなさい」ということを、具体的に指導できるようになっているというのが大きな特長です。

この指標は、普段の定期訓練、技能審査、日常のフライトなどにおいて、評価の共通言語として用いられています。

G:
非常に細かく項目が設けられているということで、まるで「これが全てクリアできたらパイロットになれますよ」という風にも感じられてしまうのですが、そういうわけではないのですよね?

靍谷:
非常に機械的な評価と感じられるかもしれませんが、そうではありません。例えば、あらゆる項目を指標に従って行動できる、というケースがあったとしても、全体的に見た時に、指標に沿って行動しているとは認められないようなこともあります。そういったことを判定するのが、人間である教官の役目だと思っています。いまはシミュレータが進歩しているので、パイロットひとりひとりの行動がデータで取れるようになっています。では、そのデータをもとに評価を行えば良いか、というとそうではなくて、やはり総合的に見てその人がJALクオリティを体現できているか、というところを教官や先輩が見る、そういうことの大切さを重視しています。

ですから、機長になるための訓練「機長養成」において行われている内容というのは、非常に厳しいものです。本当に細かな部分にいたるまでの総合的な能力が見られるものになっており、誰もが苦労しているところです。しかしそれがあるからこそ、JALクオリティというものが脈々と受け継がれていくのだな、という風に考えています。


G:
それにしても非常に細かいところまでが規定されているものなのですね。

靍谷:
このように細かく規定はされていますが、これは単に「ツール」でしかありません。つまり、「この項目をクリアしたらどんな人でもパイロットになれる」というわけではなく、これらはあくまで必要条件です。JALで操縦士になって「JALクオリティ」を体現する人はこれらを総合的に仕えていく、そしてそれを人間が見る、そういう訓練を行っています。

G:
全てはJALクオリティの実現のため、というわけですか。

靍谷:
そうです。免許を取るラインとは別の、私たちが期待するラインというものを持っていまして、先ほど申し上げたデータベースの要求項目に盛り込まれており、それらを総合的にクリアすることが求められる、ということです。

テクニカルはあって当然で、プロシージャー (手順)もノンテクニカルも包括して持っている必要、さらにAttitude(姿勢)を持って、Knowledge(知識)も最新のものを身に付けている、そういう総合的なコンピテンシーを持っていることを目指しており、さらにはそれを確認するところまでを行っています。

G:
いわゆる「PDCAサイクル」ですね。

靍谷:
そうです、先ほどお話しした、欧米から導入したデータベースを使った評価システムですが、その大前提になっているものがまさにそのPDCAで、特に航空の分野ではIDS (Instructional System Design)と呼ばれるものです。これはつまり、「たゆまぬ改善過程」です。こういったシステムで訓練を行っていると、改善可能な余地が見つかったり、不具合が発見されることもあります。以前だとそこで「ちゃんとやらないとダメじゃないか」で終わってしまったんですが、このシステムでは常に改善を加えることで、評価と改善のサイクルが実現されています。

G:
お話を伺っていると、パイロットの養成だけではなく、それ以外の一般企業などでも役に立ちそうな内容ですね。実際に業務の中で役に立ったことなどはあるのでしょうか?

靍谷:
考え方としては、パイロットだからという限定されたものではありません。パイロットの分野にこの考え方が多く取り入れられているのは、この仕事は標準化しやすいものである、という面はあるかもしれません。しかし、このお話をする時には必ず「他職種でも取り入れることは可能です」とお伝えしています。事実、アメリカではこの方式をパイロットだけでなく、客室乗務員であったり、飛行機の運航を監視している「ディスパッチャー」と呼ばれる職種の人にも採用されています。

具体的なメリットに関してですが、これはいろいろなところで効果が現れることになると思います。しかし、少なくとも今言えるのは、昔気質の機長スタイル「グレート・キャプテン」と呼ばれるタイプの、強い権威を持って統率するチームワークは存在しなくなっていると思います。

同じようなことを「星野リゾート」の星野社長がおっしゃってるのですが、星野リゾートという会社の中でも一定の役職や組織が存在していますが、星野社長がよく言われているのは「組織は機能であって、能力としての人はフラットな状態である」ということと、「人材はフラットで機能がそれぞれの人材に与えられている組織こそが組織として機能する」ということで、私たちも同じ考え方を持っています。パイロットという見方でいうと、PIC(パイロット・イン・コマンド:いわゆる「機長」)とコーパイ(いわゆる副操縦士)はそれぞれがプロとしてその立場に求められる能力は十分に満たしている、それにより組織がひとつの機能として仕事をしている、ということになるのだと思います。

とはいえ、以前の「グレート・キャプテン」が安全性で劣っていたかと問われると、そうではないんです。当時はまだまだ交通量も少なく、そういった体質を許容できるだけの余裕が業界にはありました。しかし、交通量が増え、システムも複雑化が進む中で、かつてのそのようなスタイルが現状にそぐわなくなってきた、と言うことなのだと思います。


G:
非常に印象的なのは、全ての人が正当に評価されるというのは、チームの一員として働く上で、健康的な精神状態で仕事できるんだろうなと感じました。そういったことが積み重なることで、会社としてのサービス向上につながっていくんだろうな、という気がしています。

靍谷:
そう感じていただけると非常にうれしく思います(笑)。例えば人間ドックに入って検査を受けて、結果を聞かされた時に「そんなわけないでしょ!?」と思う人ってほとんどいないと思うんですね。それは、客観的なデータをもとに判断が下されているからであるのですが、それに近いものと思っていただけると良いのかもしれません。自分が納得して「そうだよね~」と思えない限り、その人の向上は見込めないのではないかと思います。

G:
それ以外にも、ノンテクニカルな能力が日々の業務で役に立つような例はあるのでしょうか?

靍谷:
言語によるコミュニケーションというのも、ノンテクニカルな能力の1つです。これは「必要な情報をいかに相手に的確に伝えるか」ということになります。日本語は欧米の言語と比べて、「主語が省略されることが多い」「文の最後まで聞かないと結論が理解できにくい」といった構造的な特性があるため、業務の中では日本語が持つ「あいまい性」を認識した上で、きちんと情報を伝える訓練が必要になります。

その中でも端的なものが「ナンバリング」と呼ばれるテクニックです。これは、「今から私が話そうとしていることは大きく3つあります」というふうに、最初に相手に伝えてしまうというものです。これは慣れないうちは簡単ではありませんが、使えるようになると大きな効果を発揮します。

G:
それは、実際のフライト時にも役に立つものなのですか?

靍谷:
役に立ちます。飛行中は、無線を通して管制官や会社と話をしなければいけません。あるいは、みなさんが普段使っている携帯電話のメールなどよりも性能の悪いテキスト情報でやりとりをすることもあります。さらに、今では客室乗務員(CA)とのやりとりは、基本的に全てインターホン越しです。このようにお互いの顔が見えない場合で、効率よく正確に情報を伝えるためには、テクニックが非常に重要になってきます。管制官とのやりとりはある程度標準化されているので大きな問題にはなりません。問題となるのは、緊急事態が発生したような時です。時間がないので、短い会話で情報を伝達する必要があります。

面白いのは、例えば「これから降下を開始するが、着陸までにはこのような揺れが予想される」という内容を会社に伝えるときと、客室乗務員に伝えるときとでは順番が変わることがあります。これは、業務をしながら会話をする客室乗務員の状況によるものなのですが、そのような状況では人間の特性として「最後に聞いたものが最も印象に残る」というものがあります。そのため、伝えることが3つある場合は、一番重要なことを一番最後に持ってきます。普通の会話では、基本的に一番重要なことはまず最初に伝えますが、状況によってテクニックが正反対になるというわけです。

G:
なるほど、面白いですね。

靍谷:
また、あってはならないことですが、緊急事態が発生した場合に備えた情報伝達の訓練も行われています。客室乗務員はどのように話せばパイロットに正確に情報が伝わるのかを訓練し、私たちパイロットはどのようにすれば必要な情報をうまく引き出すことができるのか、そういったことを普段から訓練しています。

G:
「機長!大変です!」ではダメということですね(笑)

靍谷:
大丈夫です。そのような報告をする客室乗務員は弊社にはいないと思いますので(笑)。仮にそのような報告になった場合には、私は「なにぃっ!?」という驚きの反応を示してから、情報を引き出すテクニックを使うことになると思います。

ただ、そのような状況が起こることは極めてまれなものですので、できればそのような訓練が役に立たずに済むことを願います(笑)
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こんな感じでインタビューは終了。その後には、施設内の業務の一部を見学することができました。この部屋は、出社(ショウアップ)を済ませたパイロットがその日のフライトを確認する場所。数多く置かれたテーブルの上にはモニターが置かれ、フライト前に必要な情報や、運航管理者(ディスパッチャー)が作成したフライトプランの確認を行います。


天候の様子を確認するPIC(いわゆる機長)とコーパイ(いわゆる副機長)。中央でマウスを操作しているのが、両肩に機長襟章を付けている靍谷機長。


画面では気象レーダーが捉えた雲の様子などを確認できるほか、フライト時に予測される気流の状態や、前を飛ぶ飛行機から届いた実際の揺れの状況を把握することが可能。


また、このような航空路を記載した地図「航空図」を使って確認することもあるとのこと。


航空図には、目には見えない飛行機が通る路線が細かに記されていました。


今回のインタビューでは、姿形のない「安全」を追求するという、まさに正体の見えない相手との取り組みを詳細に聞くことができました。興味深いのは、これが航空会社だけにあてはまる内容ではなく、何らかのレベルでどのような業種においても汎用性のある内容であるという点といえそう。誰にでも同じような考えを取り入れて業務を改善することは可能と言えますが、実際にJALで取り入れられている規模やシステマチックな実態に驚かされる内容となっていました。

また、非常に淀みなく話される靍谷機長の説明が非常にわかりやすかったのも印象的。これもきっと、インタビューの中で話されていた「伝える技術」の訓練をされている効果なんだろう、と思いながら羽田空港を後にしたのでした。

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