任天堂のいわっちこと岩田聡の偉業をアニメーションで振り返るGDCムービーで号泣する人続出

任天堂はこれまで数々の大ヒットゲームコンソールやゲームタイトルを世に送り出してきましたが、任天堂の発展に著しく貢献した人物が岩田 聡です。スゴ腕プログラマーとして活動していた岩田氏が2002年に任天堂の代表取締役社長に大抜擢され、世界中の人々へ優れたアイデアを送り出してきた偉業を振り返るアニメーションムービーを、世界最大のゲーム開発者会議「GDC 2016」が制作し、YouTubeのコメント欄は世界中のファンから「1秒で泣いた」「玉ねぎ切ってるだけなんだから……」「ステキな涙が流れた。最後まで私たちの真のゲーマーでいてくれてありがとう」など、感動を受けたユーザーからの涙のコメントであふれかえっています。
Satoru Iwata Game Developers Choice Awards Tribute - YouTube
カタカタとキーボードを打っているのは、若かりし頃の岩田聡氏。

キーボードを打ちながらひらめいた「バルーンファイト」のアイデアを、シャボン玉にのせて世に放ちます。

バルーンファイトは以下のようなゲームで、バーチャルコンソールとしてWii U版やニンテンドー3DS版が公開されています。
バルーンファイト プレイ映像 - YouTube
岩田氏が持つゲームの才能を見込んだ山内 溥氏が、HAL研究所の代表取締役として指名。

1人のプログラマーから、部下を管理する立場に一転したわけですが、社長としての経営手腕を発揮。

HAL研究所以降、最終的には任天堂の代表取締役社長にまで就任した岩田氏ですが、自身がプログラマーとして活動する機会がなくなっていきました。それでもゲームに対するアイデアは尽きることはなく、「ゲーム人口の拡大」を目指して老若男女誰でもプレイできるゲームコンソール「ニンテンドーDS」が世に届けられました。

テニスラケットを振っているのはスーパーマリオやゼルダの伝説シリーズの産みの親である宮本茂氏。

コントローラーをテニスラケットに見立てたゲームを開発している様子。

そのアイデアは岩田氏がテレビを見ていた時……

「テレビのリモコンのように家族全員が普通に手に取って操作して欲しい」という発想から得られたもの。そのため、「Wiiコントローラー」ではなく「Wiiリモコン」という名称になっているとのこと。

このように、岩田氏のアイデアがゲームの歴史を形作る製品となり、今も世界中に存在しています。

そんな岩田氏もシャボン玉をつかんで……

空へ浮かび上がっていきました。

ニンテンドーDSを手にする人たちが空を見上げています。

国境や世代を超えてプレイできる画期的なゲームの数々が生まれました。

そんな世界中の任天堂ユーザーが見上げる先には……

空へ旅立っていく岩田氏の姿……。

「...in my heart, I am a gamer.」という一文は、生前の岩田氏がサンフランシスコのゲーム開発者国際会議のスピーチで「私の名刺には社長と書いてありますが、頭の中はゲーム開発者です。でも、心の底ではゲーマーなんです」と述べた言葉。

岩田聡(1959年~2015年)。胆管腫瘍がもとで2015年7月13日に帰らぬ人となりました。

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