取材

6000万人が訪れた大阪万博の実物資料をじっくり見たり音楽演奏を聞いたり可能な「EXPO’70パビリオン」に行ってきた


1970年に大阪で開催された「日本万博博覧会」の閉会後、パビリオン跡地は万博記念公園へと整備され、付近には2015年に大型商業施設「EXPOCITY(エキスポシティ)」やガンバ大阪の新スタジアムなどが建設されて様変わりしています。万博記念公園内には2010年3月に大阪万博の記念館「EXPO’70パビリオン」がオープンしていますが、開館から5年経って一体どんな様子に変わっているのか、見に行ってきました。

EXPO'70パビリオン|EXPO'70パビリオンへようこそ!
http://www.bmkkc.or.jp/expo70pavilion/

「EXPO'70パビリオン」は万博記念公園の中にあるので、大阪モノレールの万博記念公園駅から歩いて向かいます。


後ろを振り返ると、エキスポランド跡地に建設された大型創業施設「エキスポシティ」が広がっています。


太陽の塔へ向かって歩いて行き……


チケット売り場で万博記念公園の入場券を購入します。入場料は大人250円、子ども70円。


チケットには太陽の塔が描かれています。


さっそく中央出入口から園内へ。


入口を抜けると、正面に太陽の塔。


EXPO'70パビリオンは万博記念公園の東側にあるので、太陽の塔に向かって右手へ進みます。


3分ほど歩くと、EXPO'70パビリオンに到着。大阪万博のパビリオンのひとつ「鉄鋼館」の建物をそのまま活用し、約2000平方メートルの展示スペース内に約80品目3000点の展示が行われています。


入口からさっそく入場。


1階のエントランス部分はこんな感じ。鉄鋼館の館内には「スペースシアター」という巨大なホールがあり、万博開催当時は1階部分がホワイエとして利用されていました。現在は広いスペースにさまざまな展示物が置かれています。


入り口の正面にあるのはフランスの彫刻家フランソワ・パシェ氏による「音響彫刻」。


パシェ氏はさまざまな形の音響彫刻を合計17基制作しましたが、万博閉幕後にバラバラに解体されて倉庫で眠ったままのものもありました。そこで2013年に、京都市立芸術大学の有識者により復元が行われ、見事に当時の姿を取り戻した音響彫刻がホワイエに展示されています。


以下の楽器彫刻は、指を水で濡らすことで音を奏でるというもの。


日本館の1号館で江戸時代の庶民文化の象徴として展示され、自動装置によって所作を演じていた文楽人形。


国内企業のパビリオンの模型も展示されていました。日立パビリオンは、UFOのような近未来的なデザインで、館内を見終わった後に4階から地上へ向かって長いエスカレーターを降りていくという構造でした。


資料閲覧コーナーでは、大阪万博の貴重な資料を自由に見ることができます。


コレは会場施設図案集。


万博開催前の会場の航空写真や……


パビリオンや駐車場などの配置図をはじめとして、大阪万博の設計図がすべて詰まっています。


本棚にも資料がびっしり。


万博開催中の来場者数やできごとが毎日細かく書かれている記録集。


公式記録写真集には、当時の様子を鮮明に収めた写真が載っています。


PCではパビリオンの3Dイメージを閲覧できたり……


記録集に載っている万博期間中の出来事や当日の天気、来賓などを1日ずつ詳しく見たりできます。


また、大阪万博にまつわるグッズを取り扱うショップもあります。


大阪万博当時の貴重なグッズも少数ながら販売されています。


太陽の塔が、塔→ロボ→超兵器発動形態に三段変形する超合金 太陽の塔のロボ


ロボモードになるとこんな感じです。


ペーパークラフトの太陽の塔もありました。


太陽の塔は表裏に模様が描かれていますが、塗装ではなくタイルが貼り付けられており、平成4年の「太陽の塔」改修の際に取り外されたタイルのカケラが数量限定で販売されています。



大阪万博に参加した国々の国旗も飾られていました。


2階の展示スペースは有料なので、入場するには大人200円の入場券を購入します。なお、中学生以下は入場無料。


入場券を購入したら受付を通って、階段を上がって2階へ進みます。


なお、1階の階段の踊り場には大阪万博のパビリオンに設置されていた記念スタンプが置いてあり、自由にスタンプを押すことができます。


台紙に全8種類のスタンプを押してみました。


階段を上がると、横長の巨大な模型が置いてあります。


これは大阪万博会場の中央部分にあたる、幅150m・長さ1000mの「シンボルゾーン」の模型。


現在は撤去されていますが、開催当時は太陽の塔の周りに大屋根が設置されていて、屋根の下が「お祭り広場」となっていました。


窓際に設置されたディスプレイでは、世界中で開催された歴代の万博を振り返るムービーが再生されていました。


順路に沿って右手に進みます。


壁沿いに、当時のポスターや……


ロゴの見本集の展示。


桜の花をかたどったシンボルマークは、円の大きさや切れ込みの角度などが実に細かく決められていたことが分かります。


当時の様子を残した写真には、太陽の塔をプロデュースした岡本太郎氏の姿も写っていました。


こちらは各パビリオンの設計図。


通路を進んでいくと、建築家の前川國男氏がプロデュースと設計を手がけた「スペースシアター」に入ることができるようになっていました。


ただし客席に入ることはできず、ガラス越しにシアターの様子を見ることができるのみ。天井からつり下げられている円形の機械はスピーカーで、「建物自体が楽器」というコンセプトのもと、空中や壁に合計1000個以上のスピーカーが設置されています。


中央の円形舞台に向かって客席がすり鉢状に配置してあります。スペースシアターは、万博閉会と同時に閉鎖し、2010年まで未公開のまま保存されていました。


建設から45年が経過し、天井や壁が少し痛んでいました。


シアターの模型はこんな感じ。


数分おきに当時の演目を再現した演奏が行われていて、不思議な音色の曲に合わせてホール全体に照明が光り輝きます。客席の足元もギラギラ光りまくっており、当時の演目を再現するため現在ではLED電球を使用しているそうです。


音と光が融合した演奏の様子は、以下のムービーで確認可能です。

大阪万博の記念館「EXPO'70パビリオン」のスペースシアターで万博当時の音楽を聞いてみた - YouTube


スペースシアターを出て順路沿いに進んでいきます。以下の展示は大阪万博にまつわる数値を並べたもの。日本の人口が(PDFファイル)1億人を突破したばかりの1970年当時に6000万人以上の入場者数を誇ったということは、単純計算で国民の半数が大阪万博を訪れたことになり、改めて大阪万博の規模の大きさに驚かされます。


隣には、壁から天井一面にわたって大阪万博の会場マップがプリントしてあります。


当時の人々の服装を展示したパネル。


迷子用のワッペンは、親と子どもが半券ずつを持っておき、迷子の際にナンバーをコンピューターで探し出すことで素早く迷子を発見できる工夫がなされていました。


また、子ども用の半券には絵柄が入っていて、左右に動かすとチョウがぱたぱたと飛んでいるように見えるというお遊びつき。チョウ以外にも鳥やチューリップ、星、ロケットなどさまざまな模様が存在しました。


この絵柄は、凸版印刷が実用新案をとった「ステレオ印刷」という技術で、迷子ワッペン以外にも大阪万博のさまざまな印刷物に採用されていたそうです。

迷子ワッペンミノルタカメラが提供した迷子探しシステム。入場口付近に設置されたワッペンスタンドで迷子ワッペンをもらい、親子に切り分け持つ→迷子になったらナンバーによってコンピューターで探し出すというシステムです。なお、子供用には安全ピンが...

Posted by 万博ミュージアム on 2014年6月7日


会場内の移動手段には、動く歩道、レインボー・ロープウェー、電気自動車、モノレールなどが用意されていました。


展望台・中継基地として利用された「エキスポタワー」の頂上で、航空標識灯として使用されていてキセノン投光器の実物。


壁一面にずらりと並んだパビリオンパンフレット。


日本館やギリシャ館、ブルマ館、フランス館、アラブ連合共和国など、それぞれのパビリオンの個性を生かしたパンフレットです。


虹の塔と韓国のパビリオンパンフレットは、実際に手にとってじっくり見ることが可能です。


奥へ進むと、パビリオンの外観写真が壁一面に並んでいます。


ここでは、各パビリオンの詳しい写真も見ることができます。「宇宙開発展」を行っていたアメリカ館では「月の石」の展示や、アポロ8号の司令船の実物展示を一目見ようと多くの人が詰めかけました。


ソ連館でも、人類初の有人宇宙飛行に成功したガガーリンの写真や、ボストーク1号の展示などが行われていました。


写真だけでなく、当時のパビリオンの外観の様子を収めたムービーも流れていました。


各パビリオンのホステス(案内役)の制服展示。


赤と白のコントラストが目を引くワンピースは、「エキスポフラワー」と呼ばれる案内係の女性たちが着ていた衣装。会場内172カ所の入り口の改札係と、動く歩道の案内を担当していました。


警備員の服装は落ち着いた青色とグレーが印象的。開園時の長蛇の列を「バッファロー作戦」と名付けられた行列警備で整理したり、終電に乗れず会場に野宿せざるを得なかった来場者に毛布や食料を配ったりしていたそうです。


なお、EXPO'70パビリオン以外にも、エキスポシティのフードコート「FOOD PAVILION(フードパビリオン)」でもホステスの制服を見ることができます。


大阪万博と同時に開業し、2007年に休園したエキスポランドの当時のマップ。園内全体を縦横無尽にかけめぐるジェットコースター「ダイダラザウルス」のコースが特徴的です。


会場内の記録には、以下のようなカメラやマイク、無線機などが使用されていました。


電動自転車は広い会場内でのスタッフの移動手段として使われていたそうです。


6人乗りの電気自動車は、会場内で来場者が移動するために使用されていました。


会場内の案内をイラストのみで端的に表現したピクトグラム。


ピクトグラムは1964年の東京オリンピックで初めて登場し、大阪万博をキッカケに世界中で普及しました。


2015年11月16日(月)~2016年1月12日(火)までは、大阪万博の会期中に開催されたイベントをまとめた特別展「EXPO'70のモヨオシモノ」が開催中。


会場内のさまざまなホールや舞台で行われた、音楽・演劇・ミュージカルのイベントの資料が集められています。


大阪万博のガイドブックにも、催しものを特集した記事が載っていました。


また、イベントの様子を収めた20分ほどのムービーが再生されていて、かなり見応えアリ。


常設展示に戻ります。会場全体のパビリオンを再現した模型は、すべてペーパークラフトで制作されたもの。


1階の資料閲覧コーナーに置いてあった資料よりもさらに多くの本がどっさり置いてありました。


1970年9月13日に閉幕した大阪万博は、会場を「万国博記念公園」として再整備することに。


2000年の公園完成に向けたプランが作られました。


公園の盛り土の一部には、パビリオンの残存構造物も使われています。


閉幕直後の会場の様子は以下のような感じ。


1978年にはほとんどのパビリオンが撤去されています。


1984年の様子。


2006年には緑がかなり生い茂ってきました。展示はここで終了です。企画展を含めて、大体1時間30分ほどで全ての展示を見ることができました。


なお、EXPO'70パビリオンの開館時間は、1月2日~12月27日の10時~17時(入館は16時30分)まで、定休日は毎週水曜日となっています。

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in 取材,   動画,   アート, Posted by darkhorse_log

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