取材

英語もロクに話せないアラサー女子が「世界一周」したらこんな冒険が待っていた


1年5ヶ月3週間と2日、全39カ国に及んだ世界一周の旅をトピックスごとにまとめてみました。こんにちは!世界新聞特命記者の赤坂惟名です。私の世界一周の旅も無事終了し、我が家へ帰ってくる事ができました。

◆精神的に参っていた時期も……
私は日本では理学療法士という仕事をしていました。毎日、病気や怪我の患者さんとリハビリする中で、「私が今元気で、やりたいことができる状況って、幸せなことなんじゃないか……」と思うようになっていました。仕事は、やりがいを強く感じていましたが、上司の考えに納得できず、もめた上に他部へ異動することになったりしました。異動するまでは、その部署内で干されたような状態になり、精神的に参っていた時期もありました。そんな中、30歳を目前(当時27歳)にした今こそが長年夢見た「世界一周」への最大のチャンスなんじゃないのか?と思い、旅立つことを決意しました。

私は、専門学校卒で、英語もほとんど話せませんでした。そして、旅中に何らかの分野でのスキルアップを狙っていたわけでもなく、単純に「行きたい所へ行こう!」と思っていました。社会人で時間もない、お金も無限にあるわけではない……。「じゃぁ、一気に全部行ってしまおう!!」と思い、世界一周を決断しました。


私と同じくらいの大きさのこのバックパックで旅をしていました。重さは約20kg。

世界一周アラサー女子のバックパックの中身ぜんぶ | 世界新聞
http://sekaishinbun.net/2014/05/30/traveler-goods/


◆世界一周ルート
その後、1年間の退職準備、旅への具体的な準備、更なる情報収集を経て、28歳と2ヶ月にして世界一周へ旅立ちました。

北中米:アメリカ合衆国→メキシコ→キューバ→南米(南米は陸路のみ)=計6ヶ月半、10カ国
ヨーロッパ:西欧(モロッコ含む)→東欧→旧ユーゴスラビア→トルコ(ほぼ陸路のみ)=計1年、30カ国
アジア:アジア・ハワイ(空路も利用)
合計:1年5ヶ月3週間と2日、39カ国/帰国時29歳と7ヶ月


◆海外に行ってみたい!けど……と思っています?
30歳を目前にすると、独身で結婚の予定がない女性の多くは、今後の自分の人生を考えたりすると思います。仕事面(スキルアップや転職)、恋愛面(結婚やお見合いの開始?)、家族のこと……等。挙げるとキリがありませんが。

今回の記事は、海外(留学・長期旅行etc)へ行こうか迷っているアラサー女子へ。私が旅をして、一体「何が起こったのか」をお伝えします。

「自然」「動物」「文化」「世界遺産」は、自分の興味のキーワードになっていました。以下、そんな普通のアラサー女子が、行ってみた場所を勝手にピックアップして、そこで感じたこと等を報告します!これを見て「何を感じるか」それもまた貴方の自由ですので。

◆若いうちに来るべき!と思った場所
・1:マチュピチュ(ペルー)
私はマチュピチュ遺跡を見下ろす事ができる「ワイナピチュ」という山に、マチュピチュ遺跡から更に1時間ほどかけて登りました。この写真で言えば、遺跡の向こうにそびえる山がまさに、ワイナピチュです。


こちらがワイナピチュ側から見た景色です。その登山用の階段はインカ文明時に作られたもので、急だし、険しいし……特に下山の時は、転がり落ちて死ぬ人が居るんじゃないか?と心配になりました。這いつくばるようにして、泣きながら下山していたヨーロピアンを覚えています。きっと高い所が苦手だったのでしょう。そんな心配をしなくて済むように、若いうちに行くことをお勧めします。


・2:エル・カラファテ(アルゼンチン)
この街には、ロス・グラシアレス国立公園があります。氷河が美しい青色で、感動しました。


この氷河の上をトレッキングできるのですが、「ビッグアイス」と呼ばれる、1日がっつりトレッキングツアーは、年齢制限が45歳までとなっています。短いトレッキングは年齢制限がありません。実年齢で制限されると、一気にシビアな世界を感じます。常にこの写真の様な道ではありません。数カ所こんな場所もありました。氷河は、本当に素晴らしかったので、気になる方は若いうちに行くことをお勧めします。


◆類を見ない、特別な場所
・1:ハバナ(キューバ)
社会主義国の中でも、アメリカに最も近く、アメリカの貿易制限などを受けていることもあり、「物」が極端に少ない国でした。貧国と言われる国でも、マーケットに行けば物は溢れているのが現状でした。が、キューバはとにかく物がない。インターネットもできない。走っている車は「大丈夫かな?」と心配するくらい古い車。そんな雰囲気が、やはり他では類を見ない雰囲気でした。


・2.ヴァラナシ(インド)
ガンジス川に近く、ヒンドゥー教徒の中でも聖地と呼ばれている場所です。悠然と流れるガンジス川、川沿いには「サドゥー」と呼ばれる修行者、人が二人程しか通れない細い道、そこに陣取る牛、ゴミや牛の糞が混ざった変な匂い、朝夕の沐浴、ご遺体の焼き場……インドの中でも、この街にしかない風景や匂いを強烈に感じました。


◆この離島は外せない
・1:イースター島(チリ)
言わずと知れた、モアイですね。やはり、モアイと雄大な自然の融合は、ここにしかない風景でした。人も優しく穏やかで、沖縄の離島のような雰囲気がありました。


・2:ガラパゴス諸島(エクアドル)
ここでしか見ることができない固有種が、当たり前のようにたくさん見られます。写真はガラパゴスゾウガメです。近くで見ると、足はゾウというより、恐竜のようでした。意外とゴミが落ちていたり、ガイドの話では観光客・移住者の増加によって、水質・土壌汚染が進んでいるそうです。もっと規制を厳しくした方が良いんじゃないか?と思う反面、自分がここに来て楽しんでいるので、複雑な気分になりました。しかし、図鑑でしか見たことのない動物をたくさん見ることができて、本当に感動でした。


◆バックパッカーしたら面白そうな意外な場所
・ハワイ諸島(アメリカ合衆国)
日本に馴染みがありすぎて、バカンスのイメージが先行しています。しかし、田舎が多く、優しい人が多かったので、もっと街の人と触れ合ってみたいと思いました。のんびり1ヶ月~2ヶ月間、ファームステイとかしてみても面白いかもしれません。

バックパッカー女子がハワイに来るとこうなる | 世界新聞
http://sekaishinbun.net/2014/10/18/hawaii-backpacker/


◆住みたいと思った場所
・マラガ(スペイン)
1月の下旬に訪れましたが、気温も20度前後だったりと、過ごしやすい場所だなーと思いました。マラガは、ご飯も安く、フレンドリーなスペイン人が多かった印象です。しかし旅中に多くのスペイン人と出会い、昨今のスペイン経済の悪さ、ユーロ圏の経済の不安定さ、移民問題や深刻な失業率等……たくさんの問題を聞くことがありました。その度に、日本の場合はどうなのだろう?今後の日本の経済はどうなるのだろうか?と、逆に日本の経済にも興味を持つようになりました。


◆綺麗だった海
・1:カンクン(メキシコ)
ここから「イスラムヘーレス」という島へも行きましたが、この辺りのカリブ海が一番海の青さが綺麗だと思いました。遠浅で、透明で、毎日ビーチで寝転んで本を読んでいるだけ……というヨーロピアンもたくさん居ました。確かに、見ているだけで癒される海でした。


・2:ハバール島(クロアチア)
島の周りの海は、本当に驚くような透明度でした。今でもあの綺麗な青は忘れられません。

まるで絵画のような海の青!クロアチアの美ら島を巡ってきた | 世界新聞
http://sekaishinbun.net/2014/04/25/croatia-island/


◆一番好きな遺跡
・1:コバー遺跡(メキシコ)
偶然、他の日本人と出会い、偶然この遺跡の看板を見つけて2人で行きました。有名ではありませんが、自然と遺跡の融合が素晴らしかったです。コバー遺跡は、マヤ文明の頃の遺跡で、紀元前の頃にこんな遺跡を作っていたことに驚きです。更に、19世紀にスペイン人がジャングルの中から見つけたそうです。見つけた冒険家も「おーーーー!!すげーーーー!」ってなっただろうな……と思うと、ロマンを感じずにはいられませんでした。


◆歴史の重要性を感じた場所
・1:アウシュビッツ(ポーランド)&ベルリン・ユダヤ博物館(ドイツ)
第二次世界大戦時、ナチス・ドイツがユダヤ人虐殺に用いた強制収容所があります。現在でも、どのようにユダヤ人が連れてこられたか、どのように管理されていたか、どのように殺されたか…….様々な立場の人(ユダヤ人、ドイツ人医師、ナチスの管理者……等)の資料もあり、「自分が当時、そこに居たらどうしていたんだろう……、例えばユダヤ人なら、例えば医者の立場だったら、自分はどうしたんだろう…….」と強く考えました。例えば、ドイツ人医師は、すぐに殺す人、しばらく労働できる人を選別していました。どんな気持ちで選別していたのでしょうね……。


アウシュビッツ後にベルリン・ユダヤ博物館へ行きました。どちらも行くことで、この悲しい歴史の理解がとても深まりました。悲惨な歴史ですが多くの人が共有することで、悲劇を繰り返すことは絶対避けなければいけないと思いました。是非この2カ所はセットで行くことをお勧めします。


・2:パールハーバー(ハワイ)
真珠湾攻撃の状況が博物館になっています。日本人は?日系人は?アメリカ人は?それぞれの立場での意見がありました。そして当時、多くの日本人が既にハワイへ移住していました。「日本がハワイを攻撃をしたことで、今まで共に生きていたアメリカ人から、突如として多くの日本人が迫害された」。そんな人々の悲惨さも痛いほど伝わって来ました。


◆物思いに耽ってしまった場所
・1:ウシュアイア(アルゼンチン)
世界最南端の街」「世界で最も南極に近い」といわれている場所です。私は、アメリカ合衆国から旅を始め、5ヶ月ほどでこの最南端へたどり着きました。南米の移動は全てバスや電車だったので、自分では「ここまで来たのか……」と、達成感と共にセンチメンタルになっていました。実はこの頃、移動の繰り返し、治安面の不安の継続、南米のご飯のまずさ(自分に合わないという意味です。中華をよく食べていました)等の疲れもあり、こんなしんどい思いをしてまで世界一周する意味があるのかな……と思ってしまい、世界一周を辞めようかと少し悩んでもいました。


・2:麗水[ヨス](韓国)
韓国の南の端の街です。「あー、もうそこは日本か。ここまで帰って来てしまったんだな」とほぼ毎日思っていました。この数日後、釜山から博多行きの船で帰国する予定でした。


◆民族衣装が素敵だった街
・1:チバイ(ペルー)
観光客相手ではなく、現在でも日常的に伝統衣装を着ている「チョリータ」の人がたくさん居たペルー・ボリビアの中でも、ここの服や帽子の刺繍は色が鮮やかで、柄が細かく、素敵だと思いました。この写真の女性の、帽子やベストもプリントではなく、全て刺繍です。


こんな腰の曲がってしまったおばあちゃんも毎日着ています。長距離バスで田舎を走っていると、民族衣装のまま畑仕事をしている風景もよく見かけました。そんな場所が、世界中からどんどん減ってしまっていると思うと、今でも日常的に着ている人が多い街は貴重な存在だと感じました。


・2:コルカタ(インド)
みんながみんな派手なサリーを毎日着ているわけではありません。日常用とお祝い用があるそうです。コルカタなどでは、貧しい人は質素なサリーを着ています。ぽっちゃりしたおばちゃんインド人が、長年サリーを着ていることで、身体や生活に馴染んでいる感じが素敵だと思いました。私も、欲しくてサリーを買いました。将来、娘にあげる予定です。

インドで母になる準備をしてみた(独身だけど) | 世界新聞
http://sekaishinbun.net/2014/08/21/india-sari/


◆変な動物に出会えた場所
・1:ガラパゴス諸島(エクアドル)
チャールズ・ダーウィン進化論に気づいた場所で有名であり、数多くの固有種が今でもたくさん保護されています。そんな珍しい鳥等をたくさん見られて、本当に面白かった。このアオアシカツオドリは足が本当に真っ青です。求愛行動の一つとして、このようにダンスをします。雄がダンスをして、雌がOKならダンスをする……素敵じゃないですか!!


アメリカグンカンドリは、求愛行動で喉の赤い袋を膨らませます。


・2:アマゾン(ボリビア)
見たことのない鳥や、ワニ、カピバラがたくさん居ました。


初めてアナコンダも触りました。見た目は固そうなのに、触るとブニュっとしている……あの気持ち悪い感触は、忘れられません。ボリビアのラパスからアマゾン近くの街(ルレナバケ)まで、20時間かけてバスで行きました。その移動が辛かったので、二度目は行きたくありません。


◆一番惹きつけられた鳥
・トゥーカン(ボリビア)
ボリビアのサンタクルスという街の宿で飼われていました。昔はパラグアイやブラジルでは、その辺にたくさん居たそうですが、随分数が減ってしまっているそうです。オオハシ科の鳥で、目が愛らしくて癒されました。


◆虜になった食べ物
・1:ワンタン麺・ドライバージョン(マレーシア)
マレーシアのマラッカという街の小さな食堂で食べました。汁はありませんが、底にソースが入っており、混ぜて食べます。ほんのり甘めのソースが絶妙で、滞在3日中毎日食べに行きました。


・2:デジクッパ(韓国)
元は、北朝鮮の料理だそうです。亡命して来た北朝鮮人が、釜山近郊に住み始め広がったそうです。ソウル等では、見つけるのが難しいそうですが、釜山では美味しいデジクッパ屋さんがたくさんあり、安ければ350円程度なんてのもありました。とても美味しかったです。滞在3日間で5回ほど食べました。


◆名前の割に美味しかったもの
・クイ[=ねずみ](ペルー)
ペルーではポピュラーな「クイ」と呼ばれる、食用ネズミです。皮が少し固めでしたが、鶏肉のような感じで、匂いもなく、美味しかったです。


◆シーフードの美味しかった場所
・チロエ島(チリ)
偶然出会った日本人とシンガポール人と、3人でシェアして食べました。当時、日本を出て半年ほどが経過しておりました。海外ではシーフードが安く食べれる場所は本当に少ないです。寿司なんて高すぎて論外!ですので、この時は泣きそうになるほど幸せでした。


◆肉のおいしかった場所
・ブエノスアイレス(アルゼンチン)
牛タンを買おうとすると、スーパー等では牛の舌が塊で売られています。しかも、300円程度で。1人で必死で捌いたのを覚えています。そして、とろけそうになるほど美味しかったです。


◆一番美味しかったビール
・オソルノ近郊のビール(チリ)
チリの田舎街で、ほとんど情報を見つけられないまま現地人に聞き続け、たどり着きました。この地オソルノ近くのアンデス山脈の水の綺麗さに惚れたドイツ人が、お店をしていました。本人も、このビールが世界一!と言っていました。味はしっかりしているのにあっさりしていて、本当に最高でした。


◆地味だけど、面白かったアクティビティ
・世界の果てのブランコ(エクアドル)
旅が始まって初めて、ガイドブックやインターネットの情報に頼らずに行ってみた、思い出の場所です。「世界の果てのブランコ」と呼ばれ、ブランコの向こうは断崖絶壁ですが、見た目より気分が良かったです。


◆期待通りだった場所
・ウユニ塩湖(ボリビア)
最近、日本での人気がすごいようですね。でも、一番期待を裏切らない場所だと思います。余裕を持った日程で、現地では天気をしっかり確認して行くことを心底お勧めします(短期や日本の夏休み(乾期)で行くのは、もったいないと思います)。


◆星が綺麗だった場所
・イースター島(チリ)
ここでは1週間キャンプをして過ごしました。毎日テントから顔を出すと、この星空でした。こんな所でキャンプをしていると、私も気づいたら宇宙の端に飛ばされているんじゃないか……と変な気分になりました。


◆朝日が綺麗だった場所
・1:イースター島(チリ)
この、モアイと朝日の写真。説明は要りませんね?


・2:モニュメント・バレー(アメリカ合衆国)
ナバホ族と呼ばれる、インディアンの聖地です。1泊して見た朝日は最高でした。


◆人の優しさを感じた場所
・リオデジャネイロ(ブラジル)
リオでは、気になっていたファベーラ(スラム街)にある日本人宿に泊まりました。ファベーラは急な坂道ですが、10代の青年が汗だくになりながら私の荷物を担いで、宿を一緒に探してくれました。道を聞いただけで、代わりに荷物を持って一緒に宿まで来てくれた人は、後にも先にも、この青年だけでした。しかも、青年はこのスラムではなく、隣のスラムに住んでいるのに。途中、青年が町の人に道を聞いても、スラムの人々は本当に優しく教えてくれました。また、一つ「先入観」が崩れた瞬間でした。


◆意外と優しい人が多かった場所
・1:プリシュティナ(コソボ)
ヨーロッパ圏で、大人も子供も一番よく話しかけて来ました(中国語のような変な言葉の場合も有)。バカにされているのかもしれませんが、笑顔が可愛くて、私は特に気になりませんでした。

陽気なコソボの人々が私の偏見をブチ壊してくれた - GIGAZINE
http://gigazine.net/news/20140511-kosovo-image-change/


・2:麗水(韓国)
英語の話せない韓国人に多数出会いました。英語は話せないけど、みんなとても優しくて、反日なんてどこにあるんだ?と思いました。

韓国人ってこんなに親切だったんだ…!初心者バックパッカーに「韓国」をすすめる理由 | 世界新聞
http://sekaishinbun.net/2014/12/13/backpacker-korea/


◆「あー、私世界一周してるなー」と思った場所
・サハラ砂漠(モロッコ)
「あー、まさかこんな所に来れると思ってなかったなー」と感動しました。と、同時に「こんな所まで来てしまったのか」と言う……何だか不思議な気分になったのを覚えています。


◆帰って来て、今思う自分のこと
上記の報告は本当に一部分です。1年半の中では、たくさん「楽しい」「辛い」「悲しい」「苦しい」「面白い」「感動する」何かに出会いました。それは、「人」だったり、「場所」だったり、「景色」だったり……本当に、様々な何かです。旅を続けていると、徐々に単なる「場所」や「建物」「世界遺産」等は興味の範囲からなくなっていき、その代わり、現地の「人」や「言語」「歴史」等が大きな興味のポイントに変わっていきました。

私は英語に対して苦手意識が強かったですし、「英語を話せる自分」はいつまでたってもイメージできませんでした。しかし、南米でスペイン語を勉強して旅行した際、「言葉が話せるだけで、こんなに旅行は楽しくなるのか!!」ということを思い知り、「もっと英語を話したい!」というモチベーションが強くなりました、その後は旅中に英語を話す機会を積極的にどんどん増やしました。

1年半で、「英語でやり取りができるようになって来たなー」と思ったのは、本当に最近です。それでも、英語が少し話せるだけで、関われる「人」の数が変わり、情報の「数」が変わり、自分が知れる「気持ち」の大きさが随分変わったと思いました。現地人・海外旅行者の思いや、些細な印象を共有できること、その人のルーツを知ることができること、そこで、新たな気持ちが生まれること。

そんな些細なことを、身をもって感じたことが、私の旅に対する気持ちを大きく変えたと思いました。そして、そうやって「人」を知ることで、また「自分」を見つめ直す機会も多くありました。

英語が話せなくても大丈夫!アラサー女子が1年半の世界一周中に心を通わせた10人 | 世界新聞
http://sekaishinbun.net/2014/12/16/travel-people/

◆「ブランク」となるのか「成長」となるのか
最初にお伝えしましたが、私は理学療法士として働いていました。今回の旅が、私の仕事に何をもたらすかは、今は不明です。しかし、旅を通して、やっぱり私は「人」と関わりたいし、どうして「この目の前の人」は、怒っているのか、喜んでいるのか、悲しんでいるのか。今、目の前に居る「人」に対して、そういう気持ちを大事に仕事をしたいし、自分の周りの人と関わりたいと改めて思いました。

旅へ行った1年半が、「ブランク」となるのか、「成長」となるのか、それは今後の私の行動次第だとは思っています。まずは、自分のフィールドで何かを還元することが、社会復帰の第一歩になると思っています。確かに、日本社会に対するブランクは大きいと思います。けれど、自分の人生で何が大切なのか……を、改めて確信できました。

日本にはネガティブなイメージとして「生きにくい」「忙しい」「閉塞感」等があります。その理由は、人それぞれだと思います。そして、海外を旅行してみた私が思うに、日本は「ゲストハウス」や「ドミトリー」等の安宿文化が極端に少ないと思います。そんな二つの項目を合わせた様な、「心を休めることができるゲストハウス」を作りたいと思いました。日本社会でクソ真面目に生きすぎて「生きにくい」「苦しい」「逃げ場がない」と思っている日本人が、日本国内でも「休める場所」を作りたいと思いました。それは、小中高校生から社会人、高齢者まで……そんな人達が新しい出会いから何かを感じ、また新たな生き方を見つけられる、もしくは仕事に戻る活力を得られる……そんな場所が作れれば素敵です。

人生は人それぞれ、起こることも人それぞれ、そこで得る「何か」もまた、人それぞれだと思います。そんな「人」の違いを認め合って、それでも私は、これからは日本社会に戻って一生懸命働いて、一生懸命遊んで、そんな風に生きていきたいと思います。それが、アラサー女子の思う全てです!って、まとめたいと思います。

4月から読んでくれている人が居れば、本当にありがとうございました!!私は、みなさんのお陰で旅をやり遂げることができました。と言いたいです。その一言に尽きます。今、私は生きて世界一周から帰って来ることができました。本当にありがとうございました。

文・取材:赤坂惟名

監修:世界新聞 sekaishinbun.net


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in 取材, Posted by logc_nt

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