メモ

日本人はどのようにアメリカの文化を改良しているのか?


日本にはハンバーガー・デニム・ウィスキー・音楽など数多くのアメリカ文化が存在しています。時に日本人は、ジム・ビーム社を買収したサントリーのように、オリジナルを超えるほどの改良を見せることがありますが、アメリカ人のトム・ダウニー氏が、「日本人はどのようにアメリカ文化を改良しているのか?」という実際に日本で感じた自身の体験をつづっています。

How Japan Copied American Culture and Made it Better | Travel | Smithsonian
http://www.smithsonianmag.com/travel/how-japan-copied-american-culture-and-made-it-better-180950189/?no-ist

◆バーボン

By Jeff Turner

数カ月前、ダウニーさんは、日本に住む友人ニック・コールディコットさんから「世界一のバーボンバーがある」と大阪に招かれて、守口市にあるにあるバーボンハウス「呂仁(Rogin's Tavern)」を訪れました。大阪の中心街から30分ほど離れた場所にあるこじんまりとしたバーですが、中には標準的なジャック ダニエルから1800年代のジムビームまで数百本のバーボンのボトルがあり、年代物のジュークボックスからはアメリカンジャズが流れていました。

マスターの巽誠一郎さんは、リーガロイヤルホテルの地下に古くからあるバーで初めてバーボンを飲み、アメリカ文化の中心であるバーボンにほれ込んだとのこと。それから数年、バーボンに関する書物を読み漁った巽さんは、ケンタッキー州とテネシー州にある蒸留所に訪問希望の手紙を送りました。アメリカ領事館の助けも借りつつ、巽さんは1984年に蒸留所巡りを実現させ「私はその時に、アメリカに恋をしました」とこのことを表現しています。その後も100回以上にわたってアメリカを訪問、今ではレキシントンに家を持っているそうです。

「1904」というケンタッキー州の珍しいバーボンを飲んだダウニーさんは、「高いアルコール度ながらも絹のように滑らかで、『過去』を味わうという経験でした」と感銘を受けています。これらの珍しい年代物のバーボンをどのように見つけ出すのか尋ねたところ、巽さんは「私はリカーショップのネオンサインを求めてアメリカを走り回り、道中に通過する全ての店に立ち寄ります」と話しています。店員に貯蔵庫を見せてもらうように交渉し、試飲して気に入ったものを購入するという地道な努力によってバーボンを集めているとのことです。

By Paul Joseph

翌日ダウニーさんは、大阪北新地のバー「十年(とうねん)」を訪れました。巽さんが修業したという1500種類以上のバーボンを取りそろえるバーボンバーであり、最も高価なボトルを聞いてみると、1本1000ドル(約10万円)以上の「Pappy Van Winkle」も置いており、ダウニーさんは日本とは思えない2つのバーボンバーに、「郷愁すら感じるほどだった」と述べています。アメリカに帰ったダウニーさんは、さまざまなバーボンバーを調べてみましたが、本場でも「呂仁」や「十年」ほどの品揃えを持つバーを見つけられませんでした。ニューヨークで最高のバーボンバーと言われる「Char No. 4」で、「なぜアメリカ人は誰も本当の年代物バーボンを仕入れないのか?」と聞いたところ、責任者は「最近のアメリカ人は新しいボトルを飲みたがるのです。あなたの言う古いバーボンで『過去』を発見するという体験は、アメリカではとても新しい斬新なアイデアです」と伝えました。ダウニーさんは、「日本ではタツミが25年前に実現したアイデアです」と話しています。

◆ジャズ

By Tom Marcello

日本には「ジャズ喫茶」という、ジャズバーから派生したコーヒーショップがあります。ダウニーさんは、「ジャズレコードを高音質で聞くことができる理想郷であり、『聴く』ことに特化した一種のジャズ体験です」と語ります。東京に住むジャズ専門家のジェームズ・キャッチポールさんはジャズ喫茶に詳しく、ダウニーさんはジャズ喫茶の文化を理解するために彼が良く通うジャズ喫茶「Mr. OK Jazz」を訪れました。

キャッチポールさんは、「ジャズ喫茶の始まりは50年代~60年代です。東京の小さすぎるアパートで音楽を聞くのが難しかったこと、輸入盤レコードが高すぎたことから、ジャズファンが都市の中で音楽を楽しめるただ1つの場所として誕生しました」と成り立ちを説明。ジャズは60年代、大学の反体制組織と結びついたため、学生団体のたまり場になったこともありますが、今はオーディオ機器の進化などもあり、わざわざジャズ喫茶に集まる人は多くないそうです。

その後ダウニーさんは、東京四谷の裏通りにひっそりとたたずむ全8席の小さなお店「喫茶 茶会記」を訪ねました。オーナーの福地史人さんにお店を始めた経緯を聞いたところ、福地さんは「喫茶いーぐる」の紙マッチを取り出して、「北海道で10代の若者だった私はジャズに関する本を読みあさっていました。いーぐるは上京して初めて私が訪れたジャズ喫茶で、それ以来ジャズ喫茶巡りは私の趣味となり、東京中のジャズ喫茶を知っています」と話します。趣味が高じて2007年まで働いていたIT業界を去り、ジャズ喫茶を開くに至ったとのこと。


ダウニーさんは、国際的ジャズ演奏家やジャズファンが都市の至るところから集まる喫茶茶会記を見て回り、「テクノロジーの進歩によって音楽鑑賞が容易になった今、なぜジャズ喫茶でレコードを聞くのか?」ということについて、「iTunesとウォークマンが成長したことは感謝すべきことですが、こういった場がなくなるかどうかは、『次の世代』が同じ経験を大事にするかどうかです」と感じたとのこと。

◆ワークウェア

By Al_HikesAZ

ファッションに精通する人々の間で、岡山は1950年代の織機を使って世界一のデニムを作る「デニムの聖地」として有名です。そんな岡山の郊外にオフィスを持つ「WORKERS」の代表取締役である舘野高史さんは、デニムだけではなく、レイルロード・ジャケット(カバーオール)・ダスターコートフランネルシャツ(ネルシャツ)・ダブルニーパンツといった、60年代~90年代の全てのアメリカのワークウェアを作っています。

彼はアメリカの労働者向け製品が全盛期にあったころに、それらの衣類を高品質かつ工業規模で生産するためのスキル・技術・ツールに心を奪われた男性です。彼は自らのコレクションのアイデアを羽化させる前に、工場で衣類制作に携わり、同時にオールドアメリカンの作業着製品の型や手順に関する知識を収集する日本語のウェブサイトを立ち上げました。さらに、倒産した企業にコンタクトをとり、何度もアメリカを訪れては必要な製品を購入して調べることで、途絶えかけたオールドアメリカンの技術を習得していったとのこと。


その後、旧式の鋲締め機とミシンを備えた工場を購入し、収集した技術を集めたコレクションの仕様書を作り上げました。当時は熟練の技術によって作られた製品が多く存在していましたが、アパレル生産が海外に拠点を移すにつれて大部分はアメリカから失われてしまったとのこと。「その時、岡山にハイレベルの裁縫スキルを持つ年老いた職人たちがいることに気付きました」と話す舘野さんは、アメリカの作業着作りを岡山に拠点を移すことで、オリジナルを超えることができると理解しました。

昨今ではアメリカで見つけるのが難しくなってきている、ペンシルバニア・ヴァージニア・カリフォルニアの工場で培われた労働者のためにリーズナブルで丈夫な衣服を大量に作り出す技術は、日本のアパレルメーカーであるWORKERSの製品に息づいています。

◆ハンバーガー

By Robyn Lee

東京で洋食レストランを営んでいた松本幸三さんは、その後アメリカで数軒のレストランを任される機会に恵まれました。ロサンゼルスに移った松本さんは、ハリウッドの近くにある「Magic Castle」という小さな変わったホテルに住んでいました。

ある日、プールで家族と団らんしていた松本さんは、プールサイドでキャッツを演じる劇団のキャストたちが開いていたBBQパーティに招かれました。彼らはグリルでバーガーの肉を焼いていましたが、時刻は午後の3時で昼食は済んでいます。松本さんはハンバーガーを包んでおいて後で食べても良いか尋ねましたが、キャストたちに「ハンバーガーは『出来たて』を今すぐ食べなければいけない」と言われてしまいその場で食べることに。しかし、グリルの炎で炙ったビーフ100%のパティは、松本さんがそれまでに食べてきたマクドナルドやモスバーガーなどのチェーン店のハンバーガーとは決定的に異なるものでした。

By Justin Marx

数年後、日本に戻った松本さんは、東京五反田でMagic Castleのホテルが建っていた住所名を冠したレストラン「7025 フランクリン・アベニュー」を1990年に開店。当時のハンバーガー屋はファストフードとしてハンバーガーを提供していましたが、バーガー専用のグリルを持ち、ナイフとフォークで食べる本格ハンバーガーの先駆け的レストランとなりました。

チーズバーガーを注文したダウニーさんは、「炭火でグリルしたオーストラリア産のビーフパティは、シンプルでいて極上品です」と話しています。ダウニーさんが、「その後、Magic Castleを訪ねましたか?」と質問すると、「あれ以来戻っていません」と涙を浮かべる松本さん。「アメリカへは常に行きたいと思っているのですが、まだ果たせていません。しかし、アメリカで受けた衝撃を日本に持ち帰れたことに感謝しています」と話しています。

◆シャツ

By Ronn aka "Blue" Aldaman

上質なシャツを低価格で販売する「メーカーズシャツ鎌倉」は、2012年に海外初店舗としてニューヨーク・マディソン街にニューヨーク店をオープンしています。「鎌倉シャツ」と呼ばれる同社の製品は、ファッション通から「伝統的」と称され、日本では「アイビースタイル」と呼ばれています。ダウニーさんは創始者の貞末良雄さんを訪ねて、東京恵比寿にあるメーカーズシャツ鎌倉本社を訪れました。

ボタンダウンの鎌倉シャツを着こなす貞末さんに、「なぜアメリカ式のシャツを売るために、日本のメーカーがニューヨーク店を開店するに至ったのか?」ということをダウニーさんは尋ねました。「シャツスタイルはアメリカから始まったもの。不安がありましたが、アメリカ人は自分たちのスタイルを忘れていたのです」と話しました。鎌倉シャツは低価格と高品質を保持するためデパートや小売業者に売ることはありません。メーカーズシャツ鎌倉は自社工場を持っており、WORKERSの舘野さん同様に、アメリカのアイデアを貞末さんの優れたデザインとして日本で実現しています。


ニューヨーク店を出店する時に「THE IVY LOOK」というイギリス人のグレアム・マーシュ氏の本が出版され、アメリカではアイビーブームが再来していました。その中で、「日本はIVYスタイルのルーツであり、それが西欧の起源であったとしても、このIVYの世界は東洋の日本が西欧に勝ったのである」と記されていたことで、ニューヨーク店の成功を確信したとのこと。

グローバル化が進む現代では、文化や料理法など簡単に入手することが可能です。しかし、ダウニーさんは、「繊細な日本人のセンスは誰も気付いていないポイントにフォーカスする特殊な手法を持っています。アメリカだけに限らず、優れたイタリアやフランス料理人の日本人がいるように、他国の文化を完璧にコピーして改良することができます。日本人はしばしば、アメリカ人自身よりもアメリカのことを理解しています」とまとめています。

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in メモ,   デザイン,   , Posted by darkhorse_log

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