デザイン

Appleとアイコンの未来を切り開いたグラフィックデザイナーとは?


コンピューターを使っているとアイコンを目にしない日はないほど、アイコンとコンピューターは切っても切れない関係にありますが、今日使われているアイコンに大きく寄与した人としてグラフィックデザイナーのスーザン・ケアさんが挙げられます。Apple社員として働いていたケアさんですが、彼女が一体何をして、どのようにアイコンの未来を切り開いたかについて、Priceonomicsがまとめています。

The Woman Behind Apple's First Icons
http://priceonomics.com/the-woman-behind-apples-first-icons/

◆グラフィカル・ユーザー・インターフェースの歴史
1984年にMacintoshが発売された時、シンプルで親しみやすいインターフェースが売りでした。しかし、このシンプルなインターフェースが完成するまでには歴史があったのです。


1960年代、カリフォルニアのSRIインターナショナルダグラス・エンゲルバートさんはNLSの開発と設計を主導し、ハイパーテキストリンク、ラスタースキャン型ディスプレイ、グラフィカル・ユーザー・インターフェース、プレゼンテーションソフトウェアなど様々なコンセプトを実用化しました。

そして1970年までにゼロックスのパロアルト研究所がコンピューター関連の成果をまとめ、SRIインターナショナルで開発されたマウスを加えたのが「Alto」。ビットマップのスクリーンやメニューが装備され、GUIの統合が行われました。そしてAltoの技術を受け継ぐ形で1981年に「Xerox Star」が発売され、ここで初めて基礎的なアイコンが実装されます。そして1982年にアデル・ゴールドバークさんとロバート・フリーゲルさんによって「ピクセルアート」という言葉が作られることとなりました。

これが1981年に発売されたXerox Starに実装されたアイコン。似たようなデザインが多く、パッと見た時に少し分かりづらい印象です。


ゼロックスのコンピュータは高価で、誰もが使えるものではありませんでしたが、PERQLisa、そしてMacintoshなど、1970年から1980年にかけて発売された数多くのパソコンに影響を与えました。

そしてXerox StarのGUIを10分見るなり「全てのコンピューターはいつかこうやって作動するようになるだろう」と言ったスティーブ・ジョブズ氏は、公開前のApple株と交換に3日間、Altoとその開発ツールへ自由にアクセスする許可をもらいます。

これは初期のMacSketch(開発時におけるMacPaintの名称)。現在は自然写真家としても活動するビル・アトキンソンさんのデザインです。


MacのFinderなどを手がけたプログラマーのブルース・ホーンさんによると、LisaはプルダウンメニューやQuickDrawを基礎にしたウィンドウのモデル、クリップボード、ハッキリと国際化を視野に入れたソフトウェアなど、パソコンの根本的なコンセプトに焦点を当てていたとのこと。しかし、今日の親しみやすく覚えやすいアイコンが作られたのは、スーザン・ケアさんが1982年にMacintoshのチームの一員になってからでした。

◆芸術からピクセルの世界へ
ケアさんは子ども時代、芸術家になることを夢見ていた、絵を愛する子どもでした。デッサンをしたり絵の具を使ったり、工作をしたりするのが大好きで、とにかくアートに没頭していた彼女に転機が訪れたのが1982年、Appleと出会った年です。

1978年にニューヨーク大学で博士号を取得したケアさんは教師になるか芸術家になるかで進路を決めかねていました。そして結局、ケアさんはサンフランシスコのFAMSFやアーカンソー州のミュージアムで学芸員として1980年代はじめまで働きます。

その頃、ジェフ・ラスキンのもとで「平均的消費者のための、低コストで簡単に使えるコンピューター」であるMacintoshのプロジェクトが動き始め、1982年にアンディ・ハーツフェルドさんがチームのメンバーとして迎えられます。そしてハーツフェルドさんがMacintoshのチームメンバーとして誘ったのが、14歳の時からの友人であるケアさんだったわけです。

ケアさんはインタビューで当時のことを「高校を卒業してからもアンディとは友人だったので、彼がコンピューターに興味を持っているのはよく知っていたし、アンディも私がアートやグラフィックに興味を持っていることを知っていました。アンディは初期のMacintoshを私に見せていくつかのグラフィックが必要だと言ったの。そして、もし私がマス目を使って絵を描いたら、それをコンピューターのスクリーン上に表示できると言ってくれて、すばらしいプロジェクトだと思ったのです」と語っています。

ケアさんがMacintoshのコマーシャルで話している様子は以下のムービーから見ることが可能。

Susan Kare Macintosh Commercial - YouTube


ケアさんがノートに描いたアイコンは以下のような感じ。まずはのちに「ペースト」を示すため使われる指のアイコン。


「カット」を意味するハサミのアイコン。


MacPaintで使われることとなるペイントブラシ。


「ジャンプ」というプログラミングのコマンドを示すアイコン。


見ての通り、ブーツ。


その後もケアさんはMacintoshのためのフォントやアイコンをデザインし続け、彼女の名刺には「Macintoshアーティスト」という肩書きがつくようになります。それまでコンピューター・グラフィックなど全く経験がなかったケアさんですが、本を読みあさり、あっという間に技術を身につけていきました。ケアさんによるとピクセルアートはモザイクやニードルポイント刺繍のような既存のアートと共有する点があり、コンピューター経験がなくとも、それらアートを通してグラフィックデザインを経験していたとのこと。

また彼女が仕事を始めた時、Macintoshにアイコンエディターはなかったのですが、ハーツフェルドさんが自動的にアイコンを作り出してくれるアイコンエディターを作ってくれたので、ケアさんはデザイン面のみに集中することができました。


作業がどのように行われたのかというと、まずチームがケアさんに欲しい物のコンセプトを伝え、ケアさんからいくつかの提案が行われた後に、その中の1つを発展させて最終案が生まれる、という形。彼女の初期のアイコンは歴史から変わったガジェット、いにしえの象形文字など、さまざまな物からインスピレーションを受けていました。例えばコマンドキーに使われている記号は1950年代のフィンランドにおいて「興味のあるもの」という意味で使われていた「Saint John's Arms」をもとにしています。Lisaのコマンドキーは「Apple key」と呼ばれていたのですが、ジョブズ氏がAppleのシンボルとしてリンゴマークを使いまくった後、あまりにもリンゴが多すぎるということで、国際シンボル辞書に目を通して新たに別のマークを付けたとのことです。

これが現在のコマンドキー。


「Happy Mac」「Sad Mac」もケアさんのデザイン。平均的な消費者、つまり、アーティストや弁護士、ライター、シェフなどに対して、ケアさんのアイコンはシンプルで親しみやすさを与えました。


Mac OS X以前のOSで致命的なシステムエラーが発生した時に表示される爆弾マークも、32×32ピクセルの制約のもと作られたケアさんのデザインです。


またMacintoshのフォントも作成。それまでは固定幅フォントが多かったのですが、彼女はスクリーンベースで初めてのプロポーショナルフォントを手がけます。「Chicago」というフォントに始まり、「New York」「Geneva」「Monaco」「Cairo」などのフォントファミリーはプリントアウトした時になめらかに出力されるよう、縮小されて表示されていました。


ジョブズ氏はプロポーショナルフォントの存在を強く望んでいましたが、ケアさんは仕事をする上で、ジョブズ氏に何かを見せて「これが好き?」などと尋ねたことはなかったのこと。なぜかと言うと、ジョブズ氏が「ノー」と答えるのが分かりきっていたからです。ジョブズ氏は相手に対してよりよい仕事を求めたため、尋ねるとしたらいくつかのオプションを用意して「この中でどれが好き?」という言い方をしたようです。

そしてこの質問方法によって生まれたのが「Cairo」というフォント。ヤシの木から犬までさまざまな絵文字が使われており、テキストと一緒にイメージが使えるようにと生み出されました。なお、犬のフォント「Clarus」は「牛に見える」ということで有名になりました。


MacintoshのGUIに大きく貢献したケアさんですが、ハーツフェルドさんは彼女のことを「異様なユーモアの感覚を持っていた」と言っています。例えば、ある日ハーツフェルドさんがケアさんの仕事の様子を見に行くと、彼女が真剣に作っていたのは32×32のジョブズ氏の肖像画でした。チームのメンバーだけではなく、ジョブズ氏自身もこの肖像画を気に入っていたとのこと。


また、1983年にジョブズ氏がMacintoshチームのための研修会で、規則で縛って面白くない仕事をするのではなく自由を勝ち取ろう、という意味を込めて「海軍になるくらいなら、海賊になろう」とスピーチしましたが、その年の終わりにケアさんは巨大なドクロマークの海賊旗を製作、チームの新しいオフィスに掲げました。この旗は今でもオフィスに貼られており、チームの跳ねっ返り精神を示し続けています。

ケアさんは後にAppleのクリエイティブ・ディレクターとなりますが、ジョブズ氏がAppleをやめ、NeXTをスタートさせる時には創設メンバーの一員に加わりました。Appleを退社したケアさんはその後、NeXTのグラフィック・デザイナーとして活躍しだします。IBMやマイクロソフト相手の仕事も行っており、ウィンドウズ3.0のゲーム「ソリティア」のカードデッキも彼女のデザイン。メモ帳やさまざまなコントロールパネルのような無数のアイコンにも彼女によるものが多く残っています。


そしてNeXTがAppleに売却された1996年から、独立して仕事をするようになりました。FacebookやPaypal、Glam.comなど、数多くの企業をクライアントに次々に仕事をこなしていきます。今ではサンフランシスコにデザイン事務所を構え、サイン入りの作品を99.99ドル(約1万円)から499.99ドル(約5万円)という価格で販売。作品はニューヨークのMoMA Storeでも扱われました。


どーもくんアイコンもケアさんの作品。


「私の哲学は変わっていません」とはケアさん。「記憶しやすく、意味のあるシンボルを展開させていっているのです。アンディが作ってくれた32×32ピクセルのアイコンエディターを使ってモノクロームのアイコンのデザインを始め、それからよりしっかりしたツールと高解像度のスクリーンを利用してIllustratorでベクターイメージを作成しだしました。しかし、デザインの問題はツールではなく、物事の背景やメタファーを考えることで解決するのです」とのこと。そしてさまざまな仕事を請け負っている彼女ですが、作品に対する基本的なアプローチは同じで、「最終目標は理解しやすく覚えやすいイメージを作り出し、スクリーン中でそれがうまく作動することです。どんなアイコンが環境に適しているかを確かめるには何度もビジュアルUI全体やモックアップを確認すること」が大切であると語りました。

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in 動画,   デザイン, Posted by darkhorse_log

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