取材

格差社会を是正するために社会主義化したボリビアで考えた光と影


正規と非正規の拡大が進む日本ですが、これを推し進めたらどうなるのかは、中南米各国の情勢で垣間見ることができます。親米政権による自由主義路線と、反米政権による社会主義路線、中南米を旅する中では避けては通れないテーマでした。そうした中でも初の先住民系として大統領に就任したエボ・モラレスは、天然ガスを含め様々な国有化を行い、格差の是正に努めています。

こんにちは、自転車世界一周の周藤卓也@チャリダーマンです。ボリビアはお金のない国でしたが、人々は穏やかで安心感がありました。所得格差の激しいチリの方が、危険な雰囲気を感じています。かといって発展が進んでいるのはチリの方で、ボリビアはマイペースで道路工事なんて終わりそうにありません。大規模な封鎖デモや、大統領演説にも遭遇したボリビアで、この国で何が起きているのかを考えてみました。

南米ボリビアはこのあたりです。

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◆封鎖デモに遭遇
メキシコ、グアテマラに続いて、中南米では恒例化している道路封鎖デモに、またしても遭遇してしまいました。ボリビア郊外のエル・アルトから十数キロ続いた大規模なもので、盆地の底につながる幹線を塞がれた首都ラパスは、息の根を止められたのも同然。ただし、これは予定されていたものなので、それほど混乱した感じではなかったです。自分は知らなかったので戸惑いましたが、デモ自体はピリピリした雰囲気でもなく、自転車だったので安全に通過することができました。

エル・アルト手前の料金所を抜けて、歩き出す人たち。


抗議活動で座り込む人々


歩道橋の下を進んで。


焼かれたタイヤの痕跡


談笑していた若者たち


立ち上る煙に心配していたら、屋台のソーセージで安心しました。多くの人が集まっていても、行商がモノを売っているだけだったり。


歩くしかない人々


椅子や机で封鎖された道路


バイクに乗った警察官が巡回中


街中の幹線が歩行者天国となりカオスな状況でした。


立ち往生しているトラック群


一か所を封鎖する形ではなく、十数キロに渡り何重にもわたって、人々が集まっていました。


小さな子どもを連れた姿も。


女性陣はおしゃべりしながら器用に編み物


ボリビア国旗の横断幕


立ち塞がる人たちと進めない車両


座り込む人たち


こちらでも編み物


メインの幹線に合流する支線の道路も封鎖


こんな場所でも子どもたちは元気に遊んでいました。


のんびりとした雰囲気です


タンクローリーも立ち往生


かなり郊外となっても変わらない抗議活動


最初は緊張していたものの、珍しさで囲まれても「ボリビアは穏やかだから心配いらない」と言ってくれるので、のんびり自転車を漕いでました。


この道路封鎖の中で溢れていたボリビアの国旗


大型バスも止まっていました。短い旅の中では道路封鎖のデモになんて遭遇したくはないですね。


大型バスの隣をすり抜けて、道路封鎖デモを脱出。


翌日にも幹線を走行中に、道路封鎖デモに遭遇しています。



◆ボリビアガス紛争
このような道路封鎖封鎖デモは、10年前に起きたボリビアガス紛争で重要な役割を果たしています。政府の天然ガス輸出に反対する行動で、幹線道路封鎖によって約90万人が暮らす首都ラパスに物資不足を引き起こし、それに対処する武装部隊の鎮圧行動によって多くの死傷者が出ました。そうした結果、当時の連立政権は崩壊し大統領はアメリカに亡命。現在のモラレス大統領を当選させる社会主義化への一因となっています。2013年10月は事件の起きてから10年目で、新聞では特集が組まれていました。

「10月17日にボリビアは変わった」という見出し。この日は武装鎮圧の指揮を取ったサンチェス元大統領が辞任した日でした。


デモによる死者と棺


当時のデモ隊と戦車


現政権は市民に銃を向けたサンチェス元大統領(愛称ゴニ)の身柄引き渡しを、亡命先の米国に求めていますが実現する気配がありません。


インディヘナのおばちゃんと囚人姿のサンチェス元大統領。


◆大統領演説
ボリビアに滞在していた10月11日の午後、首都ラパスの中心広場でイベントの設営をやっていました。近くにいた民族衣装を着たインディヘナの女性陣に尋ねると「夜にダンスがあるわ」と言われ、足を伸ばしてみることに。屋外コンサートでもやるのかなと思っていたら、女性の権利尊重みたいな政治的な集会で、なんとモラレス大統領が姿を表しました。

椅子に座っている姿


演説をするモラレス大統領


大型スクリーンにも映しだされています


演説を見守る聴衆


たくさんの人達が演説に耳を傾けていました


熱く語るモラレス大統領


演説が終わるとSPに護られて、一足先に会場を後に。


すべての演説が終わるとフォルクローレ演奏会がスタート。政治的な集会が賑やかになるなんて、さすが南米の国でした。


踊りだした人たち


楽しそうにステップを刻んでいました


2006年からモラレス大統領の下で安定しているボリビアの政治ですが、それ以前はクーデターや政変で大統領は頻繁に交代しています。Wikipediaの「ボリビアの大統領」の項目を見てみるとこんな感じ……。

レネ・バリエントス・オルトゥーニョ (Rene Barrientos Ortuno) 1966年 - 1969年
ルイス・アドルフォ・シレス・サリナス (Luis Adolfo Siles Salinas) 1969年 - 1969年
アルフレッド・オバンド・カンディア (Alfredo Ovando Candia) 1969年 - 1970年
軍部連合 1970年 - 1970年
フアン・ホセ・トレス・ゴンサレス (Juan Jose Torres Gonzalez) 1970年 - 1971年
軍部連合(ハイメ・フロレンティノ・メンディエタ・バルガス、ウゴ・バンセル・スアレス、アンドレス・セリチ・チョプ ((Jaime Florentino Mendieta Vargas, Hugo Banzer Suarez y Andres Selich Chop)) 1971年 - 1971年
ウゴ・バンセル・スアレス (Hugo Banzer Suarez) 1971年 - 1978年
ビクトル・ゴンサレス・フエンテス (Victor Gonzalez Fuentes) 1978年(軍部連合大統領)
フアン・パレダ・アスブン (Juan Pereda Asbun) 1978年 - 1978年
ダビッド・パディジャ・アランシビア (David Padilla Arancibia) 1978年 - 1979年
ワルター・ゲバラ・アルセ (Walter Guevara Arze) 1979年 - 1979年 暫定
アルベルト・ナトゥシュ・ブッシュ (Alberto Natusch Busch) 1979年 - 1979年
リディア・ゲイレル・テハダ (Lidia Gueiler Tejada) 1979年 - 1980年 暫定
司令官連合 1980年
ルイス・ガルシア・メサ・テハダ (Luis Garcia Meza Tejada) 1980年 - 1981年
司令官連合 1981年 - 1981年
セルソ・トレリオ・ビジャ (Celso Torrelio Villa) 1981年 - 1982年
司令官連合 1982年 - 1982年
ギド・ビルドソ・カルデロン (Guido Vildoso Calderon) 1982年 - 1982年
エルナン・シレス・スアソ (Hernan Siles Zuazo) 1982年 - 1985年
ビクトル・パス・エステンソロ (Victor Paz Estenssoro) 1985年 - 1989年
ハイメ・パス・サモラ (Jaime Paz Zamora) 1989年 - 1993年
ゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダ (Gonzalo Sanchez de Lozada) 1993年 - 1997年
ウゴ・バンセル・スアレス (Hugo Banzer Suarez) 1997年 - 2001年
ホルヘ・キロガ・ラミレス (Jorge Quiroga Ramirez) 2001年 - 2002年
ゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダ (Gonzalo Sanchez de Lozada) 2002年 - 2003年
カルロス・メサ・ヒスベルト (Carlos Mesa Gisbert) 2003年 - 2005年
エドゥアルド・ロドリゲス・ベルツェ (Eduardo Rodriguez Veltze) 2005年 -2006年
フアン・エボ・モラレス・アイマ (Juan Evo Morales Aima)2006年 -


首都ラパスに掲げられた大統領の肖像


走行中にはヘルメットを被って工事する姿の看板もありました


地方都市オルロにて。


ボリビア国内で幅広い支持を得ているモラレス大統領が、2014年末の選挙にも立候補し当選すれば長期政権は続いていきます。ただ、アメリカの大統領が2期8年で任期を全うするのと比較すると、エクアドルのコレア大統領やベネズエラの故チャベス大統領のように、中南米の左派政権の大統領が再選を重ねていくやり方は、「新しい指導者は出てこないものなのか」と疑問で仕方ありません。

◆社会主義路線
社会主義路線を進めるボリビアでは、外資の影は薄くなっていました。隣国ペルー、チリではどこにでもあるポテトチップスの「Lay's」より、手作りの袋に入ったタイプが大勢。ファーストフードもバーガーキングはあるのですが、マクドナルドは2002年に撤退し、地元資本のフライドチキンのお店ばかりでした。ただしボリビアの経済発展は遅れていて、道路工事なんかはいつまで経っても終わりそうになく、重機で山を削っていたペルーや鉱山用の大型トラックが走るチリに比べると格段の差を感じました。

2006年の就任以来モラレス大統領は社会主義路線からボリビアの様々な企業を国有化しています。

・2006年10月、天然ガスなどの資源国有化を外国企業が受け入れ

【リオデジャネイロ29日共同】ボリビアで天然ガス採掘を行うブラジルの国営石油会社ペトロブラスなど外国企業10社は、27日から29日にかけて、ボリビアのモラレス大統領が5月に宣言した天然ガスなどの資源国有化宣言を受け入れる新契約を同国政府と締結した。


・2009年01月、天然ガス会社を国有化

【コチャバンバ・ボリビア24日NNN=プレンサ・ラティーナ】ボリビアのモラレス大統領は23日、英BPなどが出資する天然ガス田「チャコ」を国有化する布告に署名した。


・2012年5月、電話会社Entelの国有化

エボ・モラレス大統領は2008年5月1日、Entelの国有化を宣言した。
Entelの関係者によると、この国有化プロセスの間に、国は20億ボリビアーノを投じているという。
この額は、国有化宣言時の政府側の見通しを、大きく上回っている。


・2012年5月、スペイン企業の資産を国有化

5月1日(ブルームバーグ):ボリビア政府は、国内送電網を運営するスペインのレッド・エレクトリカの国内にある資産を国有化した。


・2013年2月、スペイン・アベルティス傘下の空港運営会社を国有化

ボリビアのモラレス大統領は18日、スペインのインフラ企業アベルティス(ABE.MC: 株価, 企業情報, レポート)傘下の空港運営会社、ボリビア空港サービスSA(Sabsa)を国有化すると発表した。


こうした結果、「モラレス政権下の7年間で所得格差は縮小」するなど、ひとまずの成果は出ているようです。国民の大半を占めるインディヘナの人たちまで、天然資源による利益の恩恵が行き渡るように、試行錯誤が続いています。

エル・アルト郊外にあるチェ・ゲバラをモチーフとしたオブジェ。ゲバラはボリビアにて命を落としています。


首都ラパスにあった肖像画


旧ソ連でみたような社会主義国家らしい壁画もありました


世界の埋蔵量の半分を占めると言われるリチウムイオンの開発や、ダカール・ラリの開催とともに観光客誘致にも力を入れ、ボリビア経済の見通しは明るいものかもしれません。ただし社会主義路線によって競争力が下がってしまいそうなのは心配で、現状では隣国ペルー、チリの方が進んでいます。先駆となって原油の国有化を進めたベネズエラでは、失政から自国通貨の貨幣価値が下がりインフレが進行して経済は混乱。「政府が商品を差し押さえて勝手に安売りの強引経済政策」な状況ですし、社会主義路線にしたところで政治が間違うと大変なことになりかねません。

格差が拡大しつつある日本だからこそ、中南米諸国の自由主義路線と社会主義路線に対して考えてみてはいかがでしょうか?

(文・写真:周藤卓也@チャリダーマン
自転車世界一周取材中 http://shuutak.com
Twitter @shuutak
)

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in 取材, Posted by logc_nt

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