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エロマンガ島の食人部族の子孫、170年前に先祖が食べた宣教師の子孫に謝罪


現在はバヌアツ共和国に含まれる南太平洋のエロマンガ島(Erromango Island、最近では「イロマンゴ島」と表記されることも多い)で1839年に原住民に殺害され食べられたイギリス人宣教師ジョン・ウィリアムズ玄孫らが、食べた側の子孫である島民らの招待により島を訪問し正式な謝罪を受け、170年ぶりに和解しました。この和解の儀式によりある『呪い』が解けたと島では信じられているそうです。

詳細は以下から。BBC News - Island holds reconciliation over cannibalism

この謝罪と和解の儀式はジョン・ウィリアムズと同じく殺害されたジェームズ・ハリス宣教師の殉教から170年を記念して行われました。儀式ではその殺害の様子も再現されています。

ハンプシャー在住の65歳の男性Charles Milner-Williams氏は世界中の17人の親類と共に島民の招待を受け、エロマンガ島を訪問しました。ジョン・ウィリアムズ宣教師はMilner-Williams氏の高祖父(ひいひいおじいさん)にあたります。


ジョン・ウィリアムズの子孫一同に170年前の先祖の行為を謝罪し、ゆるしを請う島民たち。


ジョン・ウィリアムズ(1796-1839)は20歳の時にロンドン宣教師協会から宣教師に任命されて以来、およそ20年間ポリネシアの島々を巡回して布教活動を行い、1830年代に最も多くの功績を残した宣教師の一人です。プロテスタントなので直系の子孫が残っています。


ジョン・ウィリアムズの布教の跡は南洋諸島の各地に今でも数多く残されていて、殉教の地となったエロマンガ島でも住民の多くはその後キリスト教に改宗しました。現在バヌアツの人口の約83%がクリスチャンです。


ジョン・ウィリアムズ宣教師が布教のためエロマンガ島を訪れたのは1839年11月。運悪く、その数日前にヨーロッパ人のビャクダン商人らがエロマンガ島の住民を殺害したばかりでした。ウィリアムズとハリスの2人はディロンズ湾に上陸した途端に島民に攻撃され、宣教師を乗せた船カムデン号の船長の目撃談によると、最も内陸に居たハリスはこん棒で撲殺され、ウィリアムズは海へ向かい走って逃げたところを波打ち際で追いつかれ、こん棒で殴られ矢で射られ、浅瀬で死亡したとのことです。その後イギリス海軍の船が島を再訪した際、住民らはウィリアムズとハリスの両名を殺して食べたと証言しました。


和解の儀式で聖書をかかげるウィリアムズ役の住民。


浅瀬で息を引き取る様子。


かなりリアルに再現されています。


世界中から集まったウィリアムズ宣教師の子孫の中には小さな子どもも。迫力満点の儀式は少し怖かったかもしれません。


エロマンガ島には先祖が行った行為に対し今でも強い罪の意識を感じている住民や、宣教師を殺したことによって島に何らかの『呪い』がかかっていると考える住民もいるとのことで、バヌアツ共和国のIolo Johnson Abbil大統領は、儀式はキリスト教が強い勢力を持つ共和国全体にとっても重要な意味を持つものだと語っています。「キリスト教国を名乗る我々にとって、このようにゆるしを請い和解することは非常に重要です。エロマンガ島が何よりも必要としていた機会です」

この和解の実現に尽力したバヌアツ国会議員で人類学者のRalph Regenvanu氏は「島民は、はるか昔に起きた宣教師殺害に対し罪の意識を感じたり、島に呪いがかかっているかもしれないということにコンプレックスを抱いていました」と語っています。


「『和解』はわたしたちの文化の一部であり、謝罪することもその一部ですが、和解の儀式には必ず両方の陣営が何かを提供します。『交換』の要素があるのです」とRegenvanu氏。「カニバリズムは、多くの人々が抱いているイメージとは違い、伝統的には非常に儀式的で神聖な行為でした。昼ご飯に近所の人を食べる、という気軽さではないのです。厳格な手順を踏んで行われる儀式で、多くの場合、敵の力を吸収することによって脅威を乗り越えるという意味がありました。ジョン・ウィリアムズもまた、当時エロマンガを侵略しつつあったヨーロッパ文明という脅威の象徴として食べられたのだと考えられます」

和解の儀式における『交換』として、ウィリアムズの子孫一同はエロマンガ島の7歳の女の子の教育を引き受けることに合意しました。この女の子は儀式の中で、失われたジョン・ウィリアムズの代わりとしてMilner-Williams氏らに引き渡されました。


「170年も前のことなので、冷めた反応しかできないだろうと自分では予想していました。しかし島民らのむき出しの感情、本物の回心、悲痛な悔恨に大きく心を動かされることとなりました」とMilner-Williams氏は語っています。

なお、ジョン・ウィリアムズ最期の地となったディロンズ湾はウィリアムズの殉教とその170年後の和解を記念してウィリアムズ湾と改名されたとのことです。


最盛期には人口1万人に達したエロマンガ島ですが、ヨーロッパ人がもたらした赤痢やはしかなどの伝染病による大量死、略奪、オーストラリア開拓のための奴隷狩りなどにより19世紀以降人口が激減することとなりました。多くの住民の間で島の衰退の理由は宣教師を殺した呪いによるものだと信じられていたとのことですが、今回の和解の儀式の報道により観光客が増え島の発展につながるとすれば、『呪いが解けた』と信じられることになるのでしょうか。

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in メモ, Posted by darkhorse_log

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