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ダ・ヴィンチの失われた大作が宮殿の壁の裏に隠されているかもしれない


レオナルド・ダ・ヴィンチの未完の大作「アンギアーリの戦い」は1503年から1505年ごろにフィレンツェのヴェッキオ宮殿の壁画として描かれ、完成すればダ・ヴィンチ最大の作品であるとともにその芸術性でも代表作となっていたはずと言われるものですが、その後1555年から1572年にかけてのジョルジョ・ヴァザーリによる改修によって失われました。

その失われた大作が、ヴァザーリ作の壁画に隠されたメッセージにヒントを得た大学教授により発見されるかもしれないとのことです。なんだかダン・ブラウンの小説かハリソン・フォードの映画のような話ですが、一体どういうことなのでしょうか?

詳細は以下から。Italian palace fresco may hide Leonardo da Vinci masterpiece - Telegraph

Has Italian art professor cracked the code of missing da Vinci masterpiece? | Mail Online

イタリアの美術史家Maurizio Seracini教授は「アンギアーリの戦い」がヴァザーリによる1563年作のフレスコ画「The Battle of Marciano in the Chiana Valley」の裏に隠されていると考えています。レーダーとX線による調査ですでにこの壁画の裏の壁に奥行き1インチ(2.5cm)ほどの空洞があることが明らかになっており、この1インチはダ・ヴィンチの壁画を保護するためにヴァザーリが残したすき間だと考えられるようです。

「アンギアーリの戦い」はヴェッキオ宮殿の大会議室に描かれ、改修時に塗りつぶされたと考えられていたのですが、どの壁のどの位置に描かれていたのかまでは明らかになっていません。Seracini教授は30年以上前にヴァザーリの壁画に隠されたあるメッセージに気づき、「アンギアーリの戦い」はこの裏に残っているはずだと考えたそうですが、技術の進歩によりようやく壁画を傷めずに詳細な調査をすることが可能になり、空洞を発見できたそうです。

これがダ・ヴィンチの壁画の上に描かれたとされるヴァザーリの「The Battle of Marciano in the Chiana Valley」。赤で囲まれた部分に描かれた軍旗に、ヴァザーリからのメッセージだと考えられる言葉があります。


こちらがその部分の拡大。「Cerca Trova」とは「探しなさい、そうすれば見つかるでしょう」といった意味で聖書にも出てくる一節のようです。


教授は次に中性子線投射器を使って壁の奥にダ・ヴィンチが用いたとされる亜麻仁油ベースの絵の具が存在するかどうかを調査する許可をフィレンツェ市から受けているそうです。ヴェッキオ宮殿は現在フィレンツェ市庁舎として使われているのですが、フィレンツェ市長Matteo Renzi氏のスポークスマンは「ヴァザーリの壁画はそれ自体が重要な作品であり、法的な問題も出てくるでしょう。わたしたちは現在のところは、壁の裏にレオナルドの絵画があるのか無いのかを明らかにしたいだけです。何も見つからない可能性もあります。しかし、本当にレオナルドの作品が残っているのだとすれば、世界的に非常に重要なものとなるでしょう」と語っています。

「長年の間あらゆる資料にあたってきましたが、壁画が破壊されたり、損傷したり、別の場所へ移されたと示唆するような文言はどこにも見つけられませんでした」とSeracioni教授。「レオナルドの同時代人の間では彼の最高傑作だと考えられていました。ルネサンス初期の芸術の最高到達点を具現する作品だったのです」

「アンギアーリの戦い」(部分)のルーベンスによる模写(ルーヴル美術館蔵)


1603年にルーベンスがこの模写を描いた時にはすでに元の壁画は失われていたので、これは1558年のLorenzo Zacchiaによる版画を元に模写されたものとのことです。写真が無い時代に失われたにもかかわらず多数の模写によりその姿が伝えられていることからも、ダ・ヴィンチの作品の同時代の芸術家たちからの評価の高さがうかがえます。

ヴェッキオ宮殿の改修を手がけたヴァザーリによるほかの壁画にも、「アンギアーリの戦い」を参考にしたと思われる部分があります。著書「画家・彫刻家・建築家列伝」の中でも「アンギアーリの戦い」を絶賛しているヴァザーリがそれをみすみす塗りつぶすとは確かに考えにくいのではないでしょうか。


こちらはダ・ヴィンチ本人による「アンギアーリの戦い」のためのスケッチ。


「アンギアーリの戦い」が発見されれば「最後の晩餐」の3倍はあるといわれる巨大な壁画のどこかにこれらの兵士の姿を探すことができるかもしれません。


同じく馬のスケッチ(1503-1504年)。


ダ・ヴィンチはメディチ家追放後の1503年に共和国政府から依頼を受け、ヴェッキオ宮殿(フィレンツェ共和国の政庁舎)の大会議室「500人大広間」に「アンギアーリの戦い」を描き始めました。その時の契約書はほかならぬニッコロ・マキャヴェッリがサインしたものだったそうです。また、ダ・ヴィンチが壁画に取り組んでいた同時期に反対側の壁ではミケランジェロが「Battle of Cascina」を手がけていたとのことで、これも未完に終わったのですが、ダ・ヴィンチとミケランジェロが同じ場所で同時に仕事をしたのはこの時が唯一だそうです。未完であるものの2つの作品は1512年にミケランジェロの「Battle of Cascina」の下描き(ミケランジェロは1505年に法王の墓を手がけるためローマへ呼び戻され、下描きを壁に写しはじめたところで壁画を中止しています)が、ミケランジェロをねたんだ画家Bartolommeo Bandinelliにより切り刻まれるまで同じ部屋に掲げられていました。

「最後の晩餐」でフレスコに苦労させられたダ・ヴィンチは、「アンギアーリの戦い」では壁に油彩を描きたいと考え、実験的な手法に取り組みました。しかしロウを混ぜた厚い下塗りなどで試行錯誤した結果、絵の具が流れ落ちてしまい、急いで乾かすために火鉢を絵の近くにつるすなど工夫したものの、絵画の下半分しか救うことができず上部は色が混じり合ってしまったため、この壁画をあきらめることになったと言われています。その後、この描きかけの作品はメディチ家の復権を受けた1555年から1572年の改修で失われたとされています。

ヴェッキオ宮殿大会議室の現在の様子。この右手前の壁画の裏に「アンギアーリの戦い」が眠っているのでしょうか……。

photo by Bradley Grzesiak

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