メモ

「パーカー対フルック訴訟」から始まったソフトウェア特許の歴史


1970年代、アメリカの裁判所は「ソフトウェアは数学的な物であり、数学に特許を与えることはできない」と判断しており、ソフトウェアで特許を取得することができませんでした。しかし、1978年のパーカー対フルック訴訟によって、ソフトウェア特許の一つのステップが刻まれたことで、ソフトウェア特許の認定に道筋が与えられることになりました。このパーカー対フルック訴訟から2018年現在に至るまでのソフトウェア特許について、Ars Technicaが迫っています。

Why a 40-year-old SCOTUS ruling against software patents still matters today | Ars Technica
https://arstechnica.com/features/2018/06/why-the-supreme-courts-software-patent-ban-didnt-last/

1970年代半ば、デイル・フルック氏はコンピューターを使用した炭化水素の触媒転化プロセスを監視する概念を特許として申請しました。このソフトウェアは温度、圧力、またはその他の値が異常値となると、アラームを鳴動させるというものでした。


しかし、この特許申請は通らず裁判でもめることになります。最高裁判所はフルック氏の特許申請について「記載されているものはアラームの制限を更新するための数式についてのみであり、触媒転化プロセスに関する適切な安全マージン、重み付け係数、他の変数の選択方法についての説明がない」として特許を受ける資格はないとして結論づけます。

フルック氏は、「産業用アプリケーションとコンピュータープログラムを組み合わせたもので、説明のない部分は別の特許の部分だ」と主張しましたが、最高裁判所が受け入れることはありませんでした。


当時、数式は特許として認定できないと判断されていたため、同じ扱いを受けていたソフトウェアに対して特許申請が認められるということは、ほぼ不可能とされていました。フルック氏が特許申請を行う6年前の1972年には、ゲイリー・ベンソン氏が数字を2進数から10進数に変換する方法に関する特許申請から裁判となりましたが、認可には至りませんでした。このため、最高裁判所はフルック氏の特許申請へのコメントとして「アルゴリズムや数式が自然の法則と同じであるとするならば、ベンソン氏の判例と同様に特許として認めることはできない」と述べています。

しかし、裁判所が下したベンソン氏とフルック氏への判断には、問題点があります。これらの判断では、ソフトウェアやプログラムではなく、アルゴリズムや数式について議論されていました。このため、「アルゴリズム」と「プログラム」が全く同じ物であると定義した場合、これら2つの申請は議論の余地もなく却下されてしまいます。

このように、ソフトウェア特許の認定が困難とされる中、1981年にジェームズ・ディアー氏が申請したソフトウェアの特許が裁判を経て認定されることになりました。ディアー氏の申請した特許は「コンピューターを使用してゴムの硬化プロセスを管理し、ゴム部品製造のためのプレス機を開く最適な時間を動的に計算する」というもの。州の最高裁判所は「特許で申請されたものは、あくまでも合成ゴムを硬化させるプロセスの特許保護を主軸に置いており、この中で使用されている数学的な解法の使用を制限するものはない」と述べており、ソフトウェアがメインという形ではないものの、ソフトウェアが特許として認められることになりました。

その後、アメリカ国内でソフトウェア特許の認定が増加することになりますが、最も大きな役割を果たしたのが、1982年にロナルド・レーガン大統領によって署名され、創設されることになった連邦巡回区控訴裁判所(CAFC)です。その後、CAFCが事実上「特許の最高裁判所」となってからは数多くのソフトウェア特許が認められるようになりました。


1994年にはCAFCが「アンチエイリアシング・ソフトウェアを使用して、オシロスコープの波形を滑らかにする」という概念の特許を認めました。この判決を下したあと、最高裁判所などから批判を受けなかったことでCAFCは味をしめたかのように、裁判に発展したさまざまな特許を認めるようになっていきます。

1998年には「投資信託を管理するためのソフトウェアベースの戦略」をCAFCは特許として認める判断を下しました。CAFCは、この特許の認可理由について「私たちは数学的計算を用いた株価への変換、具体的な結果を生み出すための数学的アルゴリズム、数式または計算に特許を適用することになります。そして、具体的かつ目に見える結果をもたらします」と述べました。しかし、1970年代にフルック氏の特許で申請された「アラーム制限」も具体的で目に見える結果となっていましたが、こちらは否定されていたため、CAFCの判断は多くの専門家に疑問符を与えることとなりました。

ここまで、CAFCの判断に対して何も指摘しなかった最高裁判所ですが、2000年代に入るとCAFCの決定に疑問を持つようになります。2006年にはCAFCが特許として認定した「ビタミン欠乏症の有無を判定するためのアミノ酸レベルを測定する方法」について、最高裁判所が判断に疑問があるとして、審理をやり直すように指摘しました。その後、この特許に関して最高裁は何も発言しませんでしたが、CAFCの判断に初めて疑問を呈することとなりました。


その後、最高裁は本格的にCAFCの判断に「NO」を突きつけるようになります。2010年には、CAFCが特許として認めた「商品市場における価格変動のリスクヘッジ」に関する内容が抽象的すぎるとして、最高裁は再審理を要求します。その後、CAFCは判断を妥当と判定しますが、最高裁によって特許が無効となりました。そして、最高裁は2013年にも「申請された特許が抽象的すぎる」として、CAFCの判断を無効にする判決を下しています。

カリフォルニア大学バークレー校のロースクールで教授を務めるパメラ・サミュエルソン氏は、「2013年の判断以降、根拠のない特許訴訟は減った」と語っており、根拠のない特許を申請しても最高裁で無効と判断される可能性があることから、特許申請が正当なものに戻りつつあるとしています。

しかし、2013年以降から約5年間、最高裁がCAFCに対して指摘を行うことがなくなってしまいました。このため、一部の専門家は「CAFC設立当初から行われてきたソフトウェア特許の拡大が繰り返され、また根拠のない特許申請を許可する時が来るのではないか」と危惧しています。

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in メモ,   ソフトウェア, Posted by darkhorse_log

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