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過去2500年のヨーロッパの国々が統治者によってどれだけ領土が変わってきたか一目でわかるムービー


ヨーロッパの国々にはこれまでどのような統治者がいたのか、そしてその支配下で国の領土はどのように変化してきたのかを地図上に表示し1年刻みでまとめたムービー「The Ruler of Europe: Every Year」が公開されています。

The Rulers of Europe: Every Year - YouTube


ムービーは紀元前400年からスタート。まだヨーロッパの大半に、現代の国家の前身すらできていないような時期です。左下、地中海沿岸部に広がる黄土色はカルタゴで、当時の王は最大版図を築き上げたヒミルコ2世(Himilco II)。それと混じるように地中海からエーゲ海沿岸へと広がる青い領土はギリシャの都市国家なので統治者の名前は書かれていません。ローマも同じように個人名ではなく「執政武官(Consular Tribunes)」となっています。このほか、エーゲ海の奥まったところにはマケドニア王国(紫色)のアルケラオス1世(Archelaus)、黒海西岸にはオドリュサイ王国(灰色)のアマドカス1世(Amadocus I)、今のトルコにあたるアナトリア半島にはアケメネス朝ペルシャ(黄色)のアルタクセルクセス2世(Artaxerces II)の名が見えます。


ムービーは1年ごとに進んでいきますが、ここでは一気に時間を紀元前336年までスキップ。マケドニア王国でアレクサンドロス3世(アレクサンドロス大王:Alexander the Great)が即位し、父の代から続くギリシア出兵により版図を広げていきます。


アレクサンドロス3世は画面外のインドにまで遠征を行い、紀元前324年にはマケドニア王国を東アジアの大国に押し上げました。


しかし紀元前323年、アレクサンドロス3世はアラビア遠征を目前に急逝。「最強の者が帝国を継承せよ」という遺言に基づき、配下の将軍たちが覇を争うことに。


また時間が飛んで紀元前219年。ローマ(濃赤)とカルタゴ(黄土色)による第二次ポエニ戦争目前です。第二次ポエニ戦争は、かのカルタゴの名将・ハンニバル・バルカが象を連れてアルプスを越え、北からローマに攻め入ったことが広く知られています。マケドニア王国はピリッポス5世のもとエーゲ海沿いに勢力を保っていますが、アナトリア半島はアンティオコス3世の率いるセレウコス朝(緑)の力が伸びています。また、黒海沿岸には引き続きオドリュサイ王国が残っていてRhescuporis1世の名があります。


紀元前146年、第三次ポエニ戦争の末にカルタゴが滅亡。また、マケドニア王国もローマに滅ぼされており、ローマの力が西はイベリア半島から東はバルカン半島にまで及ぶようになりました。その結果、ローマはテレス6世の治めるオドリュサイ王国と国境を接するようになりました。


ユリウス・カエサル(Julius Caesar)はガリア戦争で現在のフランスあたりにあたるガリアを平定。返す刀で、対立した元老院との内戦に突入します。ここで示した紀元前49年は内戦が始まった年で、表示ではカエサルの名前のみとなっていますが、実際のローマはカエサル派と元老院派に分かれている状態だったはず。


カエサルが暗殺された翌年の紀元前43年、オクタウィアヌス(Octavian)、マルクス・アントニウス(Mark Anthony)、レピドゥス(Marcus Lepidus)による第2回三頭政治が成立。ムービー制作者がなぜ同じローマの人物なのに表記をラテン語に統一していないのかは不明です。


オクタウィアヌスは紀元前27年、「アウグストゥス」(Augustus)の称号を受けます。これがローマの初代皇帝・アウグストゥスです。


紀元をまたいで55年。いよいよヨーロッパの地図は国がない白色か、そうでなければローマ帝国の色かという状態になってきました。このころの皇帝はネロ(Nero)。


ローマ帝国最大版図を築いたのはトラヤヌス(Trajan)。


3世紀の「軍人皇帝」時代には、ポストゥムス(Postumus)がガリアで独立し、ローマ皇帝を僭称したこともあります。


皇帝ディオクレティアヌス(Diocletian)は広い帝国を分割統治するため、285年にマクシミアヌスを副帝として帝国西方を任せました。さらに、293年には4人での分割統治(テトラルキア)が始まります。


ディオクレティアヌスが始めたテトラルキアは324年、コンスタンティヌス1世による再統一で終わります。しかし395年のテオドシウス1世没後、長男・アルカディウス(Arcadius)に帝国の東半分、次男・ホノリウス(Honorius)に西半分が分割され、以後、ローマ帝国は東西に分裂しました。なお、北に大きく広がる灰色はバランベルに率いられたフン族を示していますが、バランベルは後年生み出された存在だという説があります。


452年には、フン族の王として知られるアッティラの名前が登場。版図がローマにくい込んでいるのがよく分かります。なお、グレートブリテン島には七王国時代の諸侯・ヴォーティガン(Vortigern)の名が書かれていますが、実在するのかは不明です。


なんとか粘ってきた西ローマ帝国が476年に滅亡。赤紫色で書かれているのは東ゴートの王・テオドリック(Theodoric the Great)。


かなり時代が飛んで8世紀、フランク王国の実権を握ったのはカール・マルテル(シャルル・マルテル:Charles Martel)。イベリア半島からのイスラム勢力の侵攻を食い止めたことで知られます。


9世紀にはカール大帝(シャルルマーニュ:Charlemagne)が西ヨーロッパを統一しました。


しかしカール大帝死後、相続でもめることになり、843年、ヴェルダン条約によってフランク王国はシャルル2世(Charles II)、ロタール1世(Lothaire I)、ルートヴィヒ2世(Louis II)の3人のもと分割されて終焉を迎えました。シャルル2世の西フランク王国がのちのフランス王国に、ルートヴィヒ2世の東フランク王国がのちの神聖ローマ帝国につながります。


12世紀半ば、神聖ローマ帝国の皇帝となったのがフリードリヒ1世(フリードリヒ赤髭王:Frederick Barbarossa)。この時代は今のヨーロッパにも通じる国境線が描かれている感じがしますが……


13世紀になるとオゴデイ・ハン(オゴタイ・ハン:Ögedei Khan)が東ヨーロッパに侵入し状況は混迷。


16世紀半ば。モスクワ大公でのちのツァーリ、イヴァン4世(イヴァン雷帝:Ivan the Terrible)やオスマン帝国のスレイマン1世など、有名な人物が目立ちます。


「太陽王」と呼ばれたルイ14世(Louis XIV)がフランス王だった1714年。カール6世(Charles VI)の治める神聖ローマ帝国との国境辺りはぐちゃぐちゃです。


19世紀に入るとナポレオン・ボナパルトが登場。ヨーロッパを席巻し、この1812年にはロシア遠征を行いますが大敗して失脚します。


1914年は第一次世界大戦勃発の年。


1920年、ヴェルサイユ条約が発効し、第一次世界大戦が終結しました。


1933年になると、ドイツにアドルフ・ヒトラー(Hitler)、ロシアにヨシフ・スターリン(Stalin)と、これもまた有名な顔ぶれが出てきます。


1939年、ポーランドに侵攻したドイツに対してイギリス・フランスが宣戦布告して第二次世界大戦が開戦。ドイツは1942年中盤まで優位を保ちました。


しかし1943年2月のスターリングラードでの敗北を機にドイツは連合軍に押し返されるようになり、1945年5月8日、降伏しました。この図は終戦時点の占領地で色分けされているので、ドイツが一時的に存在しないかのような状態になっています。


戦後、長らく東西に分割されていたドイツは1990年に統一されました。


1991年にはソビエト連邦とユーゴスラビアが崩壊。


そして2017年の図へ……。


なお、「国の統治者の情報はいらない、国の動きを中心に見たい」という場合は、紀元前400年からの国境と人口情報を示した「The History of Europe」がオススメです。

The History of Europe: Every Year - YouTube

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in 動画, Posted by logc_nt

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