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眼鏡フレームの「ルックスオティカ」とレンズの「エシロール」の2社がトップに立てた理由とは?


眼鏡をかける人の人口は先進国で約70%に上るとされており、眼鏡市場は1000億ドル(約11兆円)規模と巨大なものになっています。この巨大な市場で2大企業として知られているのが「ルックスオティカ」と「エシロール」。ルックスオティカは眼鏡フレームなどを扱う企業、エシロールは眼鏡レンズなどを扱う企業としてそれぞれの業界でトップに立っていましたが、2社は2017年1月に合併に合意し「ルックスオティカエシロール」を設立することになっています。The Guardianは、ルックスオティカとエシロールの2社がどのようにしてそれぞれの分野でトップに立つことができたのか、その理由に迫っています。

The spectacular power of Big Lens | The long read | News | The Guardian
https://www.theguardian.com/news/2018/may/10/the-invisible-power-of-big-glasses-eyewear-industry-essilor-luxottica

ルックスオティカの創業者であるレオナルド・デル・ヴェッキオ氏は、1935年に生まれました。しかし、この時点で父親が既に他界していたこともあり、母との生活はとても貧しいものになっていたそうです。その後、生活が成り立たなくなったという理由で、デル・ヴェッキオ氏は孤児院に預けられることになりました。デル・ヴェッキオ氏は14歳から金属彫刻家として働くことになり、25歳となった1961年にイタリアのアーゴルドでルックスオティカを創業。その後、半世紀かけて世界最大の眼鏡フレーム企業を作り上げることになります。


デル・ヴェッキオ氏はルックスオティカを巨大企業とするために、2つのアイデアを導入しました。1つ目が「全てを自社でやること」です。デル・ヴェッキオ氏は創業後、地道に自社を成長させてきましたが、1970年代初頭になると、ガラス原料の調達から製品販売までのプロセスを全てルックスオティカで行えるようにコントロールし始めました。当時の眼鏡業界は会社ごとに役割が細分化されていたということもあり、デル・ヴェッキオ氏の「1社で全てのプロセスを行う」というアイデアは画期的なものでした。

ルックスオティカは創業時から25年間、見本市で眼鏡の販売を行っており、徐々に認知度を高めていました。しかし、この成功で満足していなかったデル・ヴェッキオ氏は、1990年代になると小売販売網を追加するために行動を起こします。デル・ヴェッキオ氏は、まずルックスオティカをニューヨーク証券取引所に上場。その後、ルックスオティカはアメリカで人気眼鏡店の1つであるレンズクラフターズを傘下に持つU.S. Shoeを買収しました。その直後にデル・ヴェッキオ氏は本体のU.S. Shoeの経営を終了させ、レンズクラフターズをルックスオティカの販売店として手に入れる戦略を取りました。

デル・ヴェッキオ氏は、このような手法で世界各国の販売店を手中に収め、ルックスオティカは2018年現在で約9000の販売店を持ち、約10万人の眼鏡技師と契約する巨大な販売網を手に入れました。これにより、競合他社よりもスピーディーかつ大量の製品を市場に投入できるようになったため、膨大な利益を得られるようになりました。

By Toronto History

そして、デル・ヴェッキオ氏は2番目のアイデアとして「ビジネスの変革」に着手します。これまで、眼鏡は視力の矯正器具としての扱いでしたが、デル・ヴェッキオ氏はファッションと融合できるのではないかと考えました。そこでルックスオティカは1988年、イタリアのファッションデザイナーであるジョルジョ・アルマーニとライセンス契約。これにより、ファッショナブルな眼鏡が市場に登場することになったため、オシャレな眼鏡を求めていた顧客を集めることに成功。ルックスオティカは新しい顧客層を手に入れる事に成功しました。その後、ルックスオティカはプラダ、グッチ、シャネルなどのメーカーと契約を結び、さらに多くの顧客を獲得することになりました。

そして、ルックスオティカは1999年にアメリカのメガネ・サングラスで最もブランド価値の高いレイバンを6億4500万ドル(約710億円)で買収しました。このレイバンの買収交渉を行っていた時、ルックスオティカは当時レイバンの生産拠点だったアメリカとアイルランドの工場を維持する約束をしていました。しかし、買収完了後にデル・ヴェッキオ氏は約束を無視して工場を閉鎖し、レイバンの生産拠点をイタリアと中国に移すなど、買収後に多くの問題を起こしてしまいます。しかし、このようなことがあってもレイバンのブランド価値は低下しておらず、2018年現在でレイバンはルックスオティカの主力ブランドとなっており、ルックスオティカの総売上高の4割を占めているとも言われています。

By Marco Assini

一方のエシロールは、1972年にフランスの光学企業のEsselとSliorが合併したことで誕生しました。エシロールはガラスに代わるプラスチックレンズを専門に扱っており、また主力製品として「バリラックス」と呼ばれるレンズを持っています。そして、エシロールが競合他社に勝つために選んだ戦略は対面での営業でした。当時の競合他社は対面での営業はほとんど行っていなかったようですが、エシロールは販売店の眼鏡技師の元を訪れては、自社のレンズについて商品説明を行っていました。この結果、眼鏡技師の多くが対面での対応に心を打たれて、エシロールのレンズを採用することになりました。

また、エシロールが採用された理由の1つとして、レンズを販売した後に販売店が得るインセンティブが高かったということも明らかになっています。眼鏡技師は眼鏡を販売する際に、眼鏡のフレームを通常の卸売価格の2~2.5倍の値段で販売することがあるようですが、エシロールのレンズの場合、価格の7~8倍の値段で販売していたそうです。このため、販売店が眼鏡を1本売るときの利益はレンズによる利益が、最も大きくなっていました。特に一番大きな利益を出せるのが、ブルーライトカットや引っかき抵抗性のあるコーティングが施されたレンズです。エシロールは、このレンズを数セント(数円)程度の原価で作ることができますが、販売価格は通常25ポンドから50ポンド(約3700円~約7400円)に設定されていました。このように大きな利益を生み出せるレンズを作っていることから、一部の眼鏡技師はエシロールのことを「The Big E」と呼んでいます。このようにして、多くの眼鏡技師たちからの支持を集めることに成功したエシロールは、世界中に30万~40万の販売店を保有することになりました。

ルックスオティカとエシロールの合併交渉は2000年ごろから始まっていました。業界内の2大企業が合併するというアイデアは魅力的でしたが、合併に至るには多くの障壁がありました。大きく異なっていたのは文化的な側面で、エシロールはフランスの伝統企業のような雰囲気があり、従業員の55%が自社株を保有していました。対してルックスオティカはデル・ヴェッキオ氏のワンマン経営の文化があったため、通常の数十億ドル(約数千億円)規模の利益が出せる大企業の経営構造とはなっていませんでした。また、ブランドイメージにおいて、エシロールは悪名はなく道徳的企業というイメージがありましたが、ルックスオティカは2000年になっても敵対的な買収を繰り返していたことで良いイメージで見られることはありませんでした。このギャップから合併後に多くの問題が生じる可能性が指摘されることとなり、合併交渉は難航することになります。


その後、2004年になるとルックス・オティカの創業者であるデル・ヴェッキオ氏が経営から身を引き、CEOにアンドレア・グエラ氏が着任します。しかし、グエラ氏はエシロールをライバル視していたこともあり、合併に反対の立場を取っていたため、グエラCEOが退くまでは合併交渉が進むことはありませんでした。しかし、2014年になるとデル・ヴェッキオ氏が79歳でありながらも、CEOに再度着任しました。

この頃のデル・ヴェッキオ氏は、体力的にもかなり厳しい状態で多くの会議を欠席することがあったそうですが、「自分の子どもに等しいルックスオティカがなくなってはいけない」という思いがあり、同氏の熱意だけでエシロールとの合併交渉を再開します。その後、2017年1月16日に合併契約に合意。合意に至ったあとデル・ヴェッキオ氏は、エシロールのCEOヒューバート・サニエレス氏に対して「生涯の夢を達成するため、今日この場に一緒にいれたことにとても満足しています」と語っています。

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in メモ, Posted by darkhorse_log

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