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150年以上にわたって険悪だったアメリカとキューバが国交回復に至るまでに一体何があったのか?

By Galiza Foto

キューバ共和国はカリブ海と北大西洋の間にあるカリブ諸島に位置しています。キューバは1950年代に起こったキューバ革命から社会主義国家となり、2015年に国交を回復するまでアメリカとは敵対関係にありました。以下のムービーでは、キューバとアメリカの関係を150年前までさかのぼり、その歴史をひもときながら、なぜアメリカとキューバが長らく敵対関係にあったのかが解説されています。

A brief history of America and Cuba - YouTube


キューバというとキューバ危機などの冷戦期をイメージする人も多いかもしれませんが、キューバとアメリカの関係を語るためには1850年代までさかのぼらなければなりません。


1850年代のアメリカではまだ奴隷制が認められており、奴隷制の維持を主張していたアメリカ南部は、当時スペイン領だったキューバを手中に収めようとしていました。対する北部はこれを「帝国主義だ」と批判します。


その後に南北戦争が起こり、アメリカは奴隷制を廃止します。その後アメリカは、キューバをスペインから解放すべきと主張し、スペインと戦争を始めます。しかしアメリカ国内でも、これはキューバに対する過干渉ではないかと議論が巻き起こります。


そして1898年にスペイン軍はキューバから撤退し、連邦議会によってキューバの独立が支持されます。しかしキューバのグアンタナモには米軍基地が作られ、キューバの外交政策はすべてアメリカの指図によって行われるなど、キューバは実質的にアメリカの支配下に置かれることとなります。


表向きにはアメリカ軍がキューバの政治的問題をサポートしていたかのように見えますが、実際は砂糖の貿易などアメリカの利益を守るためのものでした。アメリカとキューバの問題というと、多くのアメリカ人は冷戦時を想起しますが、キューバ人はこの20世紀初頭のアメリカ支配下の時代を思い出します。


1933年のキューバ政府に対する反乱をきっかけに、アメリカ統治時代は終わりを迎えます。


当時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトはアメリカによるキューバ支配を終わらせ、中立を宣言しました。そこから約20年間、キューバは民主主義のもと自治を行い、アメリカとも比較的友好な関係を築きます。


この関係が崩れてしまったのが1952年のことでした。元大統領でキューバ軍部のトップだったフルヘンシオ・バティスタがクーデターを起こして大統領に再度就任し、独裁政権を樹立しました。そしてアメリカ政府やマフィアと手を組みながら私腹を肥やし、国民に対して抑圧的な政策をとるようになります。


これに対して蜂起したのがフィデル・カストロが率いる共産主義の武装勢力です。ゲリラ戦の末にカストロはバティスタをキューバ国外へ追放し、1959年に共産主義国家の樹立を宣言しました。


自分たちの目の前に共産主義国家ができることに恐怖したアメリカは、キューバと国交を断絶します。そして1961年、CIAの特殊部隊をキューバに送り込んでカストロの暗殺を企てるというピッグス湾事件を起こしますが、これをきっかけにカストロはソビエト連邦の支援を仰ぐようになります。


さらに翌1962年にはソビエト連邦がキューバに核ミサイル基地を建設し、それに対してアメリカがキューバの海上封鎖を行い、全面核戦争寸前まで緊張が高まったキューバ危機が起こります。


1980年にカストロがキューバ国民の出国を緩和する政策をとると、カストロ体制に反感をもつ12万5000人のキューバ人がアメリカのフロリダへ一斉に移住しました。当時は誰も気付きませんでしたが、この大量移民が新たな火種を生むことになります。


1990年代に入ってソビエト連邦が崩壊した後、クリントン大統領はキューバを脅威と見なすのをやめ、禁輸措置の解除と国交回復を試みます。後ろ盾となっていたソビエト連邦を失ったことで経済的にも厳しい状況に陥っていたカストロ政権も、これに賛同しようとしました。


しかしカストロ政権に嫌気がさしてアメリカへ移住したキューバ移民たちはカストロの失墜を望み、国交回復に反対します。


さらに1996年には、アメリカ籍のセスナ機2機がキューバ空軍の戦闘機に撃墜されるという事件が起こります。これによって米国内に反キューバの機運が急激に高まり、クリントンはキューバとの国交回復を目指す方針を撤回します。


さらにそこから20年が経過し、カストロは健康悪化を理由に政権を弟のラウル・カストロに譲渡します。ラウル・カストロはアメリカとキューバの関係を改善したいと考えていました。


アメリカでも、キューバ系移民も経済的な理由でアメリカにやってきた人が多数となったことによって国内の反キューバ運動も次第に収まり、オバマ大統領は再びキューバとの国交回復を図ります。その結果、ローマ教皇のフランシスコが仲介役となり、アメリカとキューバはようやく国交を正常化できたのです。

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