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どのようにしてジーンズは世界に広まっていったのか?

By Mike Mozart

デニム生地を使ったパンツ「ジーンズ」といえば、年齢性別を問わずに世界中で愛用されるファッション衣料の代表格的なアイテム。1本数千円という手頃な価格で購入できるものから、1本数十万円もするビンテージものまでさまざまな価格帯のジーンズが存在しますが、これは一体どこで生まれ、どうやって世界中に広まっていったのでしょうか。

How jeans conquered the world - BBC News
http://www.bbc.com/news/magazine-17101768


カウボーイやスーパーモデル、農家、一流企業の社長、さらには子どもを持った主婦に至るまで、さまざまな人たちがジーンズを愛用しています。「なぜジーンズを着用しているの?」と人に尋ねても、快適さや耐久性、ラフさ、セクシーさ、クールさなどなど、着用している人によってその理由はさまざまでしょう。まったく異なるスタイルの人々にも愛されるジーンズですが、その魅力は「いまだに研究されていない分野である」と人類学者のダニー・ミラーさんは語っています。

ミラーさんはフィリピン・トルコ・インド・ブラジルなど、世界各国を旅し、それぞれの国で最初に出会った100人をカウントしたところ、100人のうち約半数はなんとジーンズを履いていたそうです。ミラーさんいわく、「中国や南アジアの農村部を除いて、ジーンズはどこでも見ることができるもの」とのこと。それほどまでに世界中で着用されているジーンズですが、愛される理由には「ジーンズの構造」と「文化的な背景」が深く関わっているそうです。

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ジーンズは19世紀後半にアメリカ西部の農場や鉱山で働く労働者のための作業着として誕生しました。ネバダに住んでいたジェイコブ・デイビス(ヤコブ・デイビス)というテーラーが、地元の木こり用に丈夫なズボンを作るよう注文され、パーツをリベットで補強するというアイデアを思いついたことで、非常に耐久性の高いジーンズが誕生。すぐに多くの需要が生まれるようになります。

デイビスは自身の作ったジーンズが優れたものであると認識していましたが、これに関する特許を取得する余裕はなかったそうです。そこで、デイビスは自身が洋服を仕立てる際に生地を発注していたサンフランシスコの商人・リーヴァイ・ストラウスに宛て、「パンツの秘密はポケットに配置したリベットです」「私ひとりではこのパンツを十分に速く作ることはできません……しかし近隣の人々はこのパンツの成功を熱望しています」という手紙を書きました。そうして誕生したのがファッションブランドの「リーヴァイス」で、コットンダックとデニムという2種類の生地で作ったズボンは特許を取得しています。


デニム生地の歴史をたどった「Denim: From Cowboys to Catwalks, A History of the World's Most Legendary Fabric」の著者であるポール・トリンカは、「彼ら(デイビスとリーヴァイ)は実際に売れるデニムの形態を本当に早く発見しました」と語っており、2人が快適で年を重ねるごとに柔らかくなり、インディゴ染料で独特の雰囲気をかもし出すデニム生地のさらなる可能性を見つけ出したとしています。インディゴ染料は他の染料とは異なり綿糸には浸透せず、糸の外側に定着します。これらの分子は時間がたつと壊れるので、時間の経過で生地から色が落ち、デニム独特の風合いをかもし出します。

「(ジーンズが)なぜ売れたのか?」とトリンカに尋ねると、「デニムは老化と共に変化し、人々の生活を反映するから」という回答が返ってきたそうです。この「色が落ちる」という特性から、デニムは未加工のまま販売されることも多々あります。そして20世紀初頭には作業員にとってより快適なズボンを製造できるようになります。その結果、ジーンズは耐久性があるだけでなく、労働者と労働者の仕事ぶりを「色落ちや汚れで物語る」というただのズボンを超えたものになっていったわけです。

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第二次世界大戦前まで、ジーンズはアメリカ西部でのみ着用される衣類でした。つまり、この頃まではジーンズはあくまでも労働者階級が着用する衣類という認識があったそうです。「(ジーンズは)アメリカ西部を代表する衣服であり、収集物としての要素もあり魔法のようなものでもありました」と、リーヴァイスの歴史を調べるリン・ダウニーは語ります。しかし、コネチカットやニューヨークといった土地ではジーンズは押し入れの中にしまわれたままだったそうです。

そんなジーンズですが、1953年に公開された映画「乱暴者」のマーロン・ブランドや、映画「理由なき反抗」のジェームズ・ディーンがジーンズを着用したことで、カジュアルウェアとして着用されるようになっていきます。マーロン・ブランドやジェームズ・ディーンは映画以外の場でもジーンズを着用しており、バイクにまたがりアメリカ中を渡り歩いたため、戦争から戻ってきた若いアメリカ軍兵士に好まれるようになったという背景もあります。そんな当時の状況についてダウニーは、「1953年に15歳くらいの男の子だったなら、あなたは確実にマーロン・ブランドになりたがっていたでしょう」「ハリウッドの衣装デザイナーはすべてのバッドボーイにデニムを着用させていました」と語り、若い青年達のアイコン的存在がジーンズを着用していたことが流行に大きく影響したとしています。

ジーンズはまもなく多くの学校で着用が禁止されるようになったそうですが、それは10代の若者たちが抱いていた熱意に「火に油を注ぐ」ようなもので、「多くの施設にとってジーンズの着用は許されていなかったにもかかわらず、多くの若者が着用していたので、これは大きな驚きとなった」とダウニーは語っています。加えて、アメリカの外でもジーンズは流行の兆しをみせており、これは戦時中にヨーロッパや日本に駐留していたアメリカ軍兵が西部出身の労働者階級の青年たちであり、彼らがオフの時間に誇らしげにジーンズを着用していたことによるところが大きいとのことです。

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そして1960年代、ジーンズはアメリカの中流階級の間でも広がりをみせます。人種差別や戦争草案への抗議のデモに参加する大学生などは、労働者階級と連携してデニムを身につけました。

手頃な価格と高い耐久性、頻繁に着用しても新しく見え、何度も洗濯する必要はなく、アイロンも不要というジーンズはとにかく重宝されるようになります。さらに、細かく仕立てられた洋服にも合うように体にフィットする形なども登場しました。これは女性にとってはとても重要な要素であり、こういったジーンズの持つ多様性が、男女問わずさまざまな階級の人々に受け入れられていく土壌となり、長年にわたって愛され続けてきた秘訣となっているわけです。

第二次世界大戦後の数十年間にわたり、青年たちが親しむヒッピーやパンクなどのサブカルチャーで、さまざまなジーンズが愛用されました。トリンカが、「ジーンズは個人主義の制服のようなものでした」と語るように、ジーンズには同じものを購入したとして個人個人の個性を反映させる特殊性があり、そういった要素も人々に愛される理由なのかもしれません。

By Marco Verch

なお、そんなジーンズは不思議な力も持っており、15か月間一切洗濯せずにジーンズをはき続けても検出されるバクテリアの数はほとんど変わらないという研究結果も存在します。

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in メモ, Posted by logu_ii

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