「ボブの絵画教室」で一世を風靡したボブ・ロス氏の軍人時代や番組の誕生秘話など「知られざる人生」とは


「失敗なんてありません、すべては楽しいアクシデントです」という名ゼリフとともに、たった30分で写真と見間違えるほどの美麗な風景画を描いてしまうテレビ番組「ボブの絵画教室」でホストを務めたボブ・ロス氏(ボブ)は、自身のプライベートをあまり明らかにしない人物として知られていました。そんなボブの子ども時代から青年時代、そして実は軍人だったという時代を経て伝説の絵描きになるまでのエピソードがYouTubeチャンネル「Today I Found Out」のムービーにまとめられています。

The Surprisingly Mysterious Life of Famed Artist Bob Ross - YouTube


1980年代に放送され、日本でも衛星放送で放映されると多くのファンを獲得したのが、画家のボブ・ロス氏でした。


しかし、ボブの詳細なについてはほとんど知られていません。それは、ボブがほとんどインタビューを受けなかったことも原因かもしれません。


当のボブは「インタビューの依頼を断ったことはありません。ほとんど声がかからなかっただけです」と答えているとのこと。


しかしその一方で、ボブ自身も「隠れて暮らす」ことを選んでいたという側面も。ある時などは、「ボブの絵画教室 (原題:The Joy of Painting)」を放送していたアメリカの公共放送局・PBSテレビがボブの居場所がわからなくなったことがあり、最終的にボブ自身から「オーランドに引っ越したんだ」と電話がかかってくるまで連絡がつかないこともあったとか。


プライバシーを重視する姿勢や、インタビュー泣かせなボブの対応などから、ボブの人生の詳細については「もや」がかかったようによく見えない部分が多く残されています。


それは、ボブ自身について書かれた書籍「Happy Clouds, Happy Trees: The Bob Ross Phenomenon」においてさえも同じことが言えます。本の最後で著者は「この本はボブ・ロス氏と彼の人生について理解するためのものです。もし、ボブ・ロス氏のバイオグラフィーを詳細に記すことが目的だったとしたら、そのゴールはとても実現が難しかったでしょう」と、詳細にまで踏み込めなかったことをにじませる内容を記しています。


これは、ボブが亡くなった今でも同様で、自身が設立した「Bob Ross Inc.」は今でも知的財産と彼のプライバシーについて非常に厳格な姿勢を崩していません。


現時点で唯一承認されているボブの生涯についてのコンテンツは、PBSテレビが制作した「Bob Ross: The Happy Painter」というドキュメンタリー番組だけ。この番組は、PBSテレビの有料プラグラムに申し込むか、DVDを購入することで見ることができる状態です。


また、ボブには数人の親しい友人がいましたが、ボブが大切にしていたプライバシーに配慮して誰も詳細を語りたがらなかったというエピソードも紹介されています。


「Today I Found Out」は、かき集めた情報をもとにボブの生涯を振り返っています。ボブは1942年にフロリダ州デイトナ(デイトナビーチ)で、大工だった父・ジャックとウェイトレスだった母・オリーの子どもとして生まれました。両親はその後離婚し、ボブが10代の頃にそれぞれ別のパートナーと再婚しました。


子どものころのボブは、ケガをした動物のケアをすることが好きだったとのこと。両親は驚きましたが、家のバスタブの中にワニがいたり、ボブの部屋にアルマジロがいる状況に次第に慣れてしまったそうです。


ボブは9年生(中学3年生)の時に父親の大工の仕事を手伝うために学校を退学しました。そして大工の仕事をしている時に、ボブは事故で左手の人さし指を失っています。「ボブの絵画教室」では、左手に持つパレットでその部分はあまり見えないようにされています。


18歳の時、ボブは空軍に入隊してアラスカに住むことになりました。しかし彼はこの時のことをあまり語ろうとはしなかったとのこと。その理由は、空軍にいることで冷酷な人物にならざるを得なかったというもの。


当時を振り返ってボブは自分について「他人に野外トイレを磨かせ、自分のベッドメーキングをさせ、集合に遅れたことを理由に怒鳴りつけるようなヤツ」だったと語っています。


番組で見せる雰囲気とは正反対の激しい性格だったことを思わせる内容ですが、空軍時代のボブは「タマが潰れるほどキツい仕事を押しつけるヤツ」という評判を呼んでおり、部下からあだ名で「Bust'em up Bobby (いてまえボビー)」と呼ばれるほどだったとのこと。


空軍に20年にわたって在籍している間にボブは、その当時通っていたアート教室の影響で自身の作風を磨き上げてきました。ここで幸運だったのは、彼自身が「普通である」と気づいたことといいます。


当時の絵画の世界では抽象画が主流だったため、ボブのような自然主義の画家は非主流とされていました。ボブは当時の様子について「彼らは『木らしく見せるものは何か』を教えようとしていたが、『どのようにして木を描くか』については教えていなかった」と振り返っています。


その後ボブは、PBSテレビで放送されていた絵画教室番組「The Magic of Oil Painting (油絵の魔法)」を見てインスピレーションを得ることになります。この番組はドイツ出身の画家、ビル・アレクザンダー氏が30分番組の枠の中で1枚の風景画を油絵で描くというもの。この技法はアラプリマと呼ばれるもので、油絵の具が乾かないうちに次々に違う色を重ねてあっという間に絵を描き上げるというスタイルです。


実際の番組の様子が残されています。カメラの構図や白いキャンバスに背景を大きなブラシで描き入れるところから始めるスタイル、山の表情の描き方から、ブラシを洗った後に「バタバタバタ」と乾かすところまで、これはもうボブの原点と言っても差し支えない内容といえそう。事実、アレクザンダー氏の番組は1974年から1982年までPBSで放映されたのですが、その後を受け継ぐようにボブの番組が1983年にスタートしています。

Sunlight - YouTube


アレクザンダー氏に「影響」を受けたボブは、後に始まった自身の番組でもそのスタイルを踏襲したのですが、その内容にアレクザンダー氏は強い不快感を示したとのこと。


アレクザンダー氏のスタイルを吸収したボブは、空軍に所属する一方で美しい金色のお皿の中にアラスカの山や森の風景を描いた作品を販売して大成功を収めます。


ボブは地元でも有名になり、絵画を販売しながら子どもやお年寄りに絵を教えるなどの活動を行います。さらには絵画教室を開くなどして成功したボブはここで、20年にわたって所属してきた空軍を辞めることにしたそうです。


ボブは生まれ故郷のフロリダに戻り、アラプリマ技法の詳細について教えを請うべくアレクザンダー氏を尋ねます。テレビ番組を持っていたアレクザンダー氏は、空き時間を使ってボブに快く「ウェット・オン・ウェット」技法のテクニックを教えたそうですが、その時はまだボブが自分の座を奪うことになるとは考えていなかったことでしょう。


そんな関係が数か月続いた頃、ボブはアレクザンダー氏の会社「Alexander Magic Art Supply Company」から、地方を回る講師としての仕事をオファーされました。


その仕事を続けるうちに、ボブはその柔らかい口調や絵のテクニック、そしておなじみの「失敗なんてありません、すべて楽しいアクシデントなんです」といった有名なセリフで人気を集めるようになります。そこで出会った女性、アネット・コワルスキー氏がボブの人生を大きく変えることになりました。


コワルスキー氏はボブのスタイルにすっかり魅了され、教室に通っているうちに、「もしボブと絵を描く体験を『パッケージ化』することができたら、2人はひと財産築くことができる」と確信を持つようになります。


コワルスキー氏と彼女の夫との話し合いの結果、ボブはアレクザンダー氏の会社を辞めて自分の会社を立ち上げて絵画教室ビジネスを始めることを選択しました。


コワルスキー氏は事業の成功に一切の疑いを抱いておらず、私財を投入してボブの事業を支えます。最初の1年で出した損失は2万ドル(現在の4万5000ドル換算:約500万円)に及んだとのこと。


この時にボブは、後に彼のトレードマークとなるアフロヘアーを始めました。その理由は「何ヶ月も続くテレビのために週に一度美容室に行って5ドルを払わなくて済むから」というものでした。ボブは晩年までアフロを続けましたが、実は最後になるとそのスタイルに嫌気がさしていたとのこと。


ボブが「5ドルをケチってアフロにした」ことから「テレビ番組を持つ」にいたるまでの正確な道のりは謎のままですが、PBSテレビの注目を惹くに至ったエピソードには、2つの相反するものが存在しています。


1つは、恩師であるアレクザンダー氏のために撮影したコマーシャルの映像がPBSテレビ首脳の目に留まったというもの。そしてもうひとつが、コワルスキー氏がボブの教室の風景を撮影し、PBSテレビに売り込んだというもの。


そちらの説も正しそうに思えるのですが、そんな中でボブが常に実施していたのが、「人が無視できないほど上手くなればいい」という、いわゆる「スティーヴ・マーティン・メソッド」と呼ばれる成功法だったとのこと。


最初の撮影に臨む際、ボブはカメラに向かってではなく、その向こうにいる人に向かって話すように心がけたとのこと。そうすることで、あたかも絵画のプライベートレッスンを受けているような印象を与える効果を狙ったそうです。


驚くほど質素なセットも、ボブを印象づけるのに役立ちました。当初の狙いは「セットが絵の邪魔にならないようにすること」だったそうですが、結果としてありとあらゆる要素が引き立てられることになりました。


また、衣装の選び方にもただならぬこだわりがあった模様。その理由は、着ている服によってどの回の番組か特定されることを防ぐためとのことでしたが、結果的にボブの衣装はいつもジーンズにカジュアルなシャツ、というスタイルに落ち着きました。また、撮影前にはパレットを軽くヤスリがけすることで照明の反射を防ぐといった工夫も行われていたそうです。


ボブの公式サイトでは「番組はリハーサルなしで作られた」と公表されていますが、実際にはその回で使う絵の具の色が指定されていることから、本当はある程度決まった内容が存在していたとも見られています。


また、1回の番組の際には3枚の絵が描かれたとも。1枚目は事前に描かれたもので、実際の撮影時に参考するためのもの。2枚目は番組で使われるもので、3枚目は撮影後にスチールカメラマンを入れた状態で描かれるもの。これは、後に絵画集を出版する時のための写真を撮影するためです。


驚くべきは、テレビ番組出演で得られるギャラをボブは受け取らず、公共放送であるPBSテレビに寄付していたとのこと。また、1回の例外を除いて番組内で描かれた作品が販売されることはなく、全て無償で各地に寄付されたとのこと。


その代わり、ボブは自分の名前を冠した絵画用品の販売で大成功を収めています。生涯を通じて描いた何千枚という絵画は、そのほとんどがチャリティーやオークションに出品されて寄付などに使われたそうです。


また、自身の絵画が美術館などに飾られることも好まなかったとのこと。その理由については、「画家の多くは、特に同業者に名前を知ってもらいたがるものだ。でも私はずいぶん前にテレビでそれを成し遂げたから、もう必要ないんだよ」と語っていたそうです。


プライバシーを大事にしていたボブは、リンパ腫に冒されていることも家族や親しい友人以外には知らせていませんでした。ボブは1995年に52歳でなくなる直前まで絵を描き、番組を収録し続けたとのこと。今ボブが眠る場所にはシンプルな墓石に「Bob Ross, Televison Artist」とだけ刻まれているそうです。

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