メモ

中世ヨーロッパの教会に刻まれている「科学と宗教」の意外ともいえる関係とは

By Jessica Spengler

「科学」という概念の正反対には「宗教」という概念が存在する、という考え方は広く受け入れられているものと言えますが、実はこの2つは古くから密接に関わり合ってきたことも事実です。まるで水と油のように反発しあうと考えられがちな宗教と科学ですが、中世のキリスト教の教会にも、宗教の中に科学が存在していたことを示す証拠が文字どおり「刻まれて」います。

Why Catholics Built Secret Astronomical Features Into Churches to Help Save Souls | Atlas Obscura
http://www.atlasobscura.com/articles/catholics-built-secret-astronomical-features-into-churches-to-help-save-souls

「宗教と科学の対立」と聞いてまず思い浮かべられるのは、天動説と地動説の対立、つまり「太陽が地球を回っているのか、地球が太陽を回っているのか」のどちらを信じるのかというエピソードといえます。これはもちろん、16世紀にその解釈をめぐってキリスト教カトリック教会がガリレオ・ガリレイを断罪したというガリレオ裁判が有名なわけですが、実はこの対立は後の時代に誇張されたエピソードともいわれており、実際にはカトリック教会と科学には密接なつながりがあったと考えられています。

そんなことを示す1つの手がかりが、イタリア・ボローニャにある「サンペトロニオ大聖堂」の床に刻まれています。サンペトロニオ大聖堂は、イタリアでも4番目の大きさを持つ大聖堂で、その大きさは縦幅132m×横幅66m。建設当時のボローニャの全人口3000人が中に入ることができるほどの大きさだそうです。

By KatieThebeau

内部はもちろん荘厳な造りですが、教会によくある十字架型の構造にはなっていないとのこと。その理由は、建設のための予算が打ち切られたというものだそうです。1390年に建設が始まり、幾度の建設中断を経たサンペトロニオ大聖堂でしたが、後にローマ教皇によって建設の継続が阻止されたことで、1663年に現在の姿に落ち着きました。

By gio.april

そんな大聖堂の床には、1本の直線が刻まれています。床に敷かれた大理石には溝が刻まれ、その中に真ちゅうの板を埋め込むことで、長い年月にも耐えられる作りとなっています。


この溝の正体は、屋根に開けられた小さな穴を通ってきた太陽の光が指す位置により、その日の日付がわかるという「子午線」と呼ばれるもの。太陽は季節によって高さ(角度)が変化しますが、子午線はその現象を利用して正午時点に光が差し込む位置を記録することで、正確な日付がわかるようになっています。いわば、太陽光を利用した自然のカレンダーと呼べるものです。

この子午線を設計したのは、17世紀の天文学者、ジョヴァンニ・ドメニコ・カッシーニだったとのこと。カッシーニと聞いてNASAの土星探査機や小惑星の名前を思い浮かべる人もいると思いますが、ジョヴァンニ・カッシーニはまさにその名付け元となった人物です。イタリア生まれのカッシーニはボローニャ大学で天文学を教え、その後はパリ天文台の初代所長を務めた人物です。後にフランスに帰化してジャン・ドミニク・カッシーニと改名し、カッシーニの子孫は4代にわたってパリ天文台の所長を務めています。


サンペトロニオ大聖堂の子午線はまず、1575年に職人とドミニコの作家のEgnazio Dantiによって設置されました。その後、教会が拡大されるときに作り直されることになり、カッシーニによる子午線が設置されることになりました。子午線は大聖堂の床を斜めに横切るように刻まれています。


そして、その溝の横に刻まれた数字によって「今日は1年のうちの何日め」であるかを知るようになっています。

By Jessica Spengler

いわば、サンペトロニオ大聖堂は巨大な「太陽観測施設」とも言えるものとなっており、ここからは科学と宗教のつながりが見えてきます。前述のように「ガリレオ裁判」はもっとも有名なエピソードとしてやや誇張気味に言い伝えられているわけですが、実際には当時の教会でも宗教的行事を執り行う際にこの子午線が活用されていたとのこと。キリスト教の重要な行事の1つである「イースター」は、イエス・キリストが十字架にかけられて死んでから3日後に復活したことを記念・記憶するための祭りですが、その日は天文学的な状況をもとにしても規定されています。

その日取りは、西暦325年に開かれた第1ニカイア公会議で「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」とされており、単純に「○月○日」と日付が指定されているわけではありません。そのため、教会では正確に日付を取得することが重要とされてきたとのこと。

実際に子午線上の太陽の動きを観察すると、夏至と冬至の日に太陽の光は子午線の両端に達します。そして、そこから日が経つにつれ、太陽の光は子午線を反対側の端に向かって移動します。そしてその子午線の中間部分こそが、昼と夜の長さが一緒になる「春分・秋分の日」であり、キリスト教徒は春分の日が訪れたことを知ると、次の満月の日を待ち、そしてその後の最初の日曜日にイースターのお祭りを開催することになるわけです。カッシーニが記した著書には子午線の図が描かれており、どのようにして太陽の光を採光窓から取り入れていたのかがわかります。


サンペトロニオ大聖堂のほかにも、子午線はイタリアのフィレンツェ大聖堂や、フランス・パリのサン=シュルピス教会などにも設置されているとのこと。子午線を使った観測からはさらに、1年が365日ではなく、「およそ365.24日」であることも明らかにされています。もしこれらの大聖堂や教会を訪れることがあったら、何百年も前の人たちが科学を用いて地球の運動を解明していたことに思いをはせてみるのも面白いかもしれません。

この記事のタイトルとURLをコピーする

・関連記事
中世ヨーロッパの人々は現代人と異なる睡眠習慣を持っていた - GIGAZINE

3分でわかるヨーロッパ大陸の約1000年の歴史の遷移 - GIGAZINE

「同性と裸でベッドに入る」行為が性的関係以外を意味した中世ヨーロッパの価値観とは? - GIGAZINE

現代の乗り心地の良い馬は中世ヨーロッパのバイキングによって世界に広められた - GIGAZINE

「中世のPantone」17世紀に記された水彩絵具の調色ガイドブックが公開中 - GIGAZINE

人間が実は作られたシミュレーションの世界に住んでいるのではないか?という仮説を科学者たちが議論 - GIGAZINE

in メモ,   サイエンス, Posted by darkhorse_log

You can read the machine translated English article here.