サイエンス

本当にヒッグス粒子を発見した「天才」は誰なのか?


2012年にヒッグス粒子とみられる新粒子が発見され、名前の由来になった理論物理学者のピーター・ヒッグス教授は2013年にノーベル物理学賞を受賞しました。ヒッグス粒子はCERNの大型ハドロン衝突型加速器で何度も実験が繰り返され発見に至ったわけですが、では、相対性理論を導き出したアインシュタインのような、ヒッグス粒子発見における「天才」は一体誰だったのか?ということについて、Nautilusのニール・ハートマン氏が調査を行っています。

Who Really Found the Higgs Boson
http://nautil.us/issue/18/genius/who-really-found-the-higgs-boson

まず天才の候補として挙げられるのは、名前の由来にもなっているイギリスの理論物理学者・ピーター・ヒッグス氏。ヒッグス教授は1964年、素粒子の「質量の起源」を説明する電弱理論における対称性の破れの理論を提出し、2013年にフランソワ・アングレール教授と並んでノーベル物理学賞を受賞しました。

しかし、CERNの大型ハドロン衝突型加速器の実験グループ「ATLAS Experiment」の初代プロジェクトリーダーであるピーター・ジェニ氏の説明によると、ヒッグス教授もアングレール教授も、そしてアングレール教授とともに研究を行ったロバート・ブラウト教授も、自分たちがアインシュタインが相対性理論を導き出したような偉業を成し遂げたとは考えていないとのこと。アインシュタインはある分野の問題を解決し全く新しい見解を示しましたが、ヒッグス教授について言えば、「ほんの数週間ほどしか研究に取り掛かっていなかった」そうです。


では、一体誰が天才だったのだ?ということで、ハートマン氏はCERNの実験チームに「数十億ドルの出資を受け、何千人ものエンジニアや物理学者が30年以上を費やした分野を率いてきた天才的なリーダー」が存在したのでは、と考えます。しかし、ATLAS ExperimentのプロジェクトリーダーであるFabiola Gianottiさんは「天才的なたった1人の科学者」という考え方を否定しました。科学におけるブレイクスルーは一見するとたった一人の天才によってもたらされたように見えることがありますが、さまざまな人や機関が協力しあう現代の科学において、このようなものの見方は正しくないとのこと。

ATLASの共同研究において、ほとんど全ての決定は、研究所役員会・共同研究役員会といったグループの代表たちによって承認される必要があります。プロジェクトには「スポークスマン」と呼ばれるリーダーが存在しますが、「合意」が重要であるため、スポークスマンの一存では命令できない仕組みです。

ATLAS Experimentにおいて集団であることが重要視される理由の1つは、「たった1人のスターを生み出さないため」ということ。ATLASの研究論文には何と3000人もの著者が名を連ねており、著者名リストだけでも何ページにも及びます。2010年に発表された論文では、全40ページのうち10ページが著者名リストでした。


そして、集団性が重視されるもう1つの理由は、データ解釈におけるバイアスを防ぐため。バイアスを避けるための試みは他にもなされていて、例えば、物理学者が解析ツールを意図的に調整しないように、まずアルゴリズムやソフトウェアが調整され、最後に生のデータが使用されるという順序になっています。さらに、全ての解析は複数の科学者によってチェックされます。実際には存在しない「ウソの結果」を生み出さないようにするためにも、集団性が重要になってくるわけです。

粒子の飛跡を観測するための装置として泡箱が用いられていた時代に比べると、素粒子の衝突を観測する現代の大型ハドロン衝突型加速器は非常に複雑な仕組みとなっています。そのため、1つの実験を行うにしても、器具内部にあるさまざまな検知器の知識を持つ、複数の専門家が必要となってきます。サブシステムの機器などの閾値設定によっては、実際のデータとは異なる数値が事実のように見えるため、何が失敗を引き起こすのかを理解することが、作業において最も難しく、各人が能力を発揮するポイントになります。

また、検知器は時代の変化や放射能によるダメージを理由として変更する必要があり、それにあわせて作業プロセスも変化していきます。作業の煩雑化もまた、人の手を必要とする理由の1つです。比較的シンプルな解析でも100人の物理学者が関わっており、ヒッグス粒子の解析全体について言うならば、600人以上の物理学者によるチームが行っていました。

このように、研究規模の拡大と作業の複雑さこそが、1つの発見における匿名性を生み出しているわけです。そして、匿名性はATLASの文化の中で制度化されていきました。たった1人が著名になる文化がないためか、取材において、ヒッグス粒子発見における最終解析を率いたMarumi Kado氏は「最終解析は極めてシンプルです。重要なのは、検知器をどう組み立てるのかということと、どのように器具を調整するのかということ、そして初期の段階においてどれほど優れたデザインがなされていたかということです。これら全てを完了させるのに、25年の年月がかかりました」と自身の功績ではなく、他のグループの功績を語りました。


ATLASにおける共同研究のモデルは「物理学やエンジニアリングにおいて革新的であるためには、企業文化やマネージメントの仕組みを革新的にする必要がある」ということを示しています。

国際経営開発研究所のドナルド・マルシャン教授は、2000年代にATLASにおいて事例研究を実施し、ATLASのマネージメントには公式の「権威」が存在しないことを発見しました。一般的に、仕事において発生する共同作業は自分の仕事内容とは直接関係がない、給与の決定を行う「誰かのため」に行います。しかしATLASの場合は、例えば建設の作業ならば、ATLAS pixel detectorのプロジェクトリーダーはカリフォルニアにあるアメリカ研究機関のために働き、プロジェクトリーダーの直接の部下であるエンジニアはイタリアの機関のために仕事をします。その際、プロジェクトリーダーは製造プロセスにおいて重要な役割を担いますが、部下を昇進させたり、罰したり、パフォーマンスを評価する権力を持ちません。上司と部下の間で行われることはディスカッション・交渉・歩み寄りなどであり、そこには「誰かのために働く」のではなく、「誰かと一緒に働く」という感覚が存在します。

この結果、非常に柔軟で効率的なマネージメント構造が完成。マルシャン教授がさまざまな組織のパフォーマンスについて調べた研究において「情報がどれほど制御されているか」「情報を拡散できているか」「情報を資本化できているか」という点を測定したベンチマークで、ATLASは上位5%のスコアを記録していたとのこと。また、マルシャン教授は、ATLASのマネージメント構造が状況の変化や一時的な変更に適応する場合に優れているとも述べています。マルシャン教授によると、これらの文化は偶然生まれたわけではなく、創始者がメンバー1人1人に共同作業の倫理を解いたことに由来するそうです。

ハートマン氏が調査したところ、ATLASやCERNの他の実験チームにおいて、個人としての「天才」は見つけられなかったそうです。理論物理学者や実験プログラムの創始者以上に、「共同して作業すること」自体が「想像力」「粘り強さ」「開かれた考え方」「業績」という天才の素質を備えていたとのこと。


「現代ではあらゆることが既に発見され終えているために、天才が現れないのだ」という見解に対して、Gianottiさんは「宇宙の96%は闇であり、それが何からできているのか、我々の器具とどう干渉するのかは謎のままです。そして解明の手がかりはありません。つまり、天才が現れる余地はまだまだ存在するわけです」と語っています。ただし、今後現れるであろう「謎を解明する天才」というのは、何千人もの人が協力しあった「集団」のことであり、アインシュタインのような1人の傑物ではない可能性が非常に高いとみられます。

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in サイエンス, Posted by darkhorse_log

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