ピカソの死後残された4万5000点もの作品を巡る戦い


画家のパブロ・ピカソは1973年、91歳でこの世を去りました。ピカソがこの世に残した作品は絵画が1885枚、彫刻が1228体、ドローイングが7089枚、印刷物が3万枚、スケッチブック150冊、陶器作品が3222個など、なんとその数4万5000点にまで上ります。偉大な芸術家として名をはせたピカソですが、少なくとも9人の妻・愛人が存在し、うち2人はピカソの死後に自殺したことでも有名です。4人の子どもをもうけ、晩年には孫もいたピカソの死後に発生した莫大な「相続財産」としての作品がどのような道をたどっているのか、相続人たちの人生と共にVanity Fairがつづっています。

The Battle for Picasso’s Multi-Billion-Dollar Empire | Vanity Fair
http://www.vanityfair.com/culture/2016/03/picasso-multi-billion-dollar-empire-battle

ピカソの人生について簡単に説明すると、1918年に20歳で貴族出身のオルガ・コクローヴァと結婚し、パリに移ります。その後、1921年には息子パウロが誕生。


1932年に17歳のマリー・テレーズと共同生活を始め、オルガと別れようとするも財産を半分渡さなければならないと知り中断。結婚したままマリー・テレーズと密会を続け、1935年には娘のマヤが生まれます。

1943年には21歳の画学生フランソワーズ・ジローと出会い、1946年から共同生活を始めます。2人の間には息子クロードと娘パロマが生まれますが、ジローは妻や愛人の中で唯一ピカソに反旗を翻し、別の男性と結婚。その後、ジローは画家として活躍します。


芸術家というと「貧しい」というイメージを持たれがちですが、ピカソは莫大な財産を所有していました。オークションハウスSotheby’s Franceの元代表マーク・ブロンドーさんは「もし彼が生きていたら、世界で最も裕福な人間のうちの1人だったでしょう」と語っているように、ピカソの死後、価値のある作品はもちろんのこと、現金450万ドル(約5億円)と130万ドル(約1億4500万円)相当の金も相続人たちに残されました。

現在ピカソの遺産を管理しているのはピカソとフランソワーズ・ジローの息子であるクロード・ピカソさん。クロードさんはパリに本拠とするピカソの資産管理団体を設立し、ピカソの作品や展示会のマネージメント、ライセンスの管理などを行うと同時に、贋作や模造品、ピカソの名前を違法に利用している人などについて常に監視を行っています。

左からピカソの息子パウロさん、ピカソの孫クロードさん、クロードさんの母でピカソの愛人であるフランソワーズ・ジロー、ピカソの孫娘パロマさん、ピカソ、ピカソの娘マヤさん。


パロマさん、パウロさんと絵を描くピカソ。


2015年、ピカソ作品の展示会は全世界34カ所で行われました。美術作品の展示会には、作品にちなんだグッズ販売が行われるのが常です。ピカソについても例外ではなく、カーペットやハンドバッグ、枕などが作品にちなんで作られましたが、これらは全て正当なライセンスの元に製造・販売が行われます。ピカソの資産管理団体は主にこれらの収益によって運営されているわけです。


ピカソの資産管理団体のもう1つの収益源が「追及権」から発生するもの。追及権は、作者が生存している、もしくは死後70年が経過していない場合、作品がオークションやギャラリーで転売されると売り上げの一部を受け取れるという権利に基づくロイヤルティーです。

これら2つの収入源により、ピカソの資産管理団体は年間800万ドル(約9億円)もの収益を上げていると言われています。

多くの資金によって運営されている管理団体ですが、諮問委員会がないこと、レスポンスが遅いこと、ピカソの全作品を収録した目録の出版予定がないことなどについて、美術関係者から批判されることも。ディーラーの中には「世界で最も偉大な芸術家なのに研究チームもいないなんて」と語る人もいます。

また、1998年に「現代テクノロジーによって生み出されたものに『ピカソ』という名前をつけてもよい」という「シエトロン・ディール」が発表され、管理団体が自動車に対して「ピカソ」という名前をつけるのを許可した際には、「車を売るためにピカソの名前をつける」という行為にパリのピカソミュージアム館長のジーン・クレアさんは怒り狂ったそうです。ピカソの友人であった写真家のアンリ・カルティエ=ブレッソンさんもクロードさんに対して「ピカソに対する裏切りだ」と非難する手紙を送ったとされています。

シエトロン・ディールについては遺族内でも反対がありました。オルガ・コクローヴァとピカソの息子パウロの長女、ピカソにとっては孫娘のマリーナ・ピカソさんはピカソのことを「天才だった彼は今、食い物にされています」と語っています。マリーナさんはピカソの遺産である1000作品を売りに出しており、そのお金でチャリティをサポートするための衣服や食器といった雑貨を購入する予定とのこと。

写真の女性がマリーナさん。右にある肖像画はオルガを描いたものです。


2012年、管理団体はピカソの作品であることを認証するための新たな手続きを実施すると発表しました。発表はクロードさんと、フランソワーズ・ジローとピカソの末子であるパロマさん、マリーナさん、ピカソの孫ベルナルドさんの名の下に行われましたが、作品を認証するサインはクロードさんによって提案されたと記載されています。管理団体にはマリー・テレーズの娘であるマヤさんも所属しているのですが、発表にはマヤさんの署名がありませんでした。メディアはマヤさんにコメントを求めましたが、マヤさんからのコメントは、その後もなかったとのこと。


関係者にマヤさんが「私はほとんど死んでいるのです」と語った、というウワサも流れたそうですが、実際のところは、マヤさんは承認プロセスに関わっていないだけで、兄のクロードや甥のベルナルドと共に会議に出席したり、イベントのサポートを行ったりしている、と関係者は語っています。ただし、別の関係者はクロードさんとマヤさんは「緊張関係にある」と語っており、家族の中で何が起こっているかは明かではありません。

批判の多いピカソの資産管理団体が何を行っているのかは外からは見えにくいのですが、マヤさんの話から内容の一端が見えてきます。1930年代の終わりにピカソはナチ党から「退廃した芸術家」と指定されていましたが、それでもピカソはパリにあるスタジオで絵を描き続けていました。パリの解放の2週間後、子どもだったマヤさんはピカソのスタジオに訪れ、「一緒に絵を描こう」とピカソを誘ったそうです。2人はたくさんの絵を描き、スタジオにはピカソの絵とマヤさんの絵が交互に並べられていました。その時、アメリカ軍の大佐がピカソに会いにスタジオに訪れ、ひとしきりピカソと会話した後に描かれたばかりの絵に目を止めました。大佐が「写真を撮ってもいいですか?」と尋ね、それに対してピカソは了承。数週間後、アメリカの新聞にピカソとマヤさんが2人で描いた絵が「【独占写真】パリの解放後にピカソが初めて描いた絵」として掲載されたそうです。マヤさんによると、管理団体が行っていることの1つは、この種の誤りを1つずつ正していくことだとのこと。


また、管理団体の法務部代表であるクラウディア・アンドリューさんは「管理団体に関する全てのことは複雑です。団体は作品、権利、承認、ピカソの評判を落とさないようにすることなど、多くの問題を抱えており、いわばピカソを守るためのファイティング・マシーンなのです」と語っています。アンドリューさんによると、団体は著作権やライセンスを扱う代理人を世界20カ国で抱えているとのこと。それほどピカソの贋作や模造品は多く、また、作品の承認を求める声も多いためです。2015年、承認を求めて世界中の国々から約500作品が管理団体の元に送られてきました。いずれも展示されたことがなく、記録にもなく、誰にも知られていない作品です。

管理団体の弁護士によると、近年はピカソ作品の価値がうなぎ上りで、それと比例する形で贋作が急激に増えており、また窃盗も起こっているとのこと。ある年に提出された年間レポートは300ページもあり、100ページはテキスト、残りの200ページは訴訟についての文書でした。

ピカソ作品の価値が高いゆえに動く金額も膨大で、売買について問題が大きくなるのも頭痛の種となっています。2015年5月にマヤさんから1億580万ドル(約118億円)でピカソの彫刻を購入したガゴシアンさんが彫刻をコレクターに売ろうとしたところ、実は2014年にマヤさんとシェイフ・アール=サーニーという人の間で同彫刻の売買契約が4200万ドル(約47億円)で結ばれていたことが判明。マヤさんとサーニーさんの間では手付金として650万ドル(約7億3000万円)が支払われたのですが、最終的な購入が行われる前にマヤさんから依頼を受けていた娘のダイアナさんがガゴシアンさんに彫刻を販売してしまったわけです。ダイアナさんは売買契約が無効と考えており、手付金については返還する予定だったそうですが、本件は訴訟にまで発展しました。


数々の批判にさらされる管理団体と相続人たちですが、実際のところ、問題は今に始まったことではありません。ピカソが1973年になくなった時、相続人たちは60回も会合を行ったと言われています。そして話し合いの末「自分たちで分け合うのは無理だ」ということになり、弁護士・鑑定人・目録編集者・政府関係者・フランス大統領など、50人以上の人の手を借りて財産を分けたそうです。なお、政府関係者やフランス大統領は相続税を作品で支払うことを了承したため、絵画203枚、彫刻158体、陶器作品88作、ドローイング1500枚、印刷物1600枚、スケッチブック33冊がフランス政府に納められました。

ピカソの残した数々の作品については、現在、クロードさんのように管理団体を設立して守る人がいれば、マリーナさんのように売り払ってチャリティに寄付する人や、パリにあるピカソミュージアムに寄付する人も。追求権は作者の死後70年で消滅するため、2043年には管理団体の収入源の1つが消えてしまいますが、クロードさんはその後の計画を明らかにしていません。一方で、追求権が消えたとしても、現在のピカソ作品の価値の上昇や贋作の増加などを見ると団体の運営に大きな影響はないとも見られています。

ピカソにまつわる逸話について、ピカソの友人であり伝記作家のピエール・デクスさんがユニークなエピソードを話しています。ピカソはカンヌのビーチを歩いている時に太った男に「絵を買いたい」と言われ、「あっちへ行け」と断ったそうです。男は諦めることなく4日にわたってピカソに声をかけ続け、その度にピカソはしっしと手を振って追い返していたそうなのですが、5日目、ピカソは男に「本当に絵が欲しいのか?」と尋ね、男が肯定すると、ビーチに横たわっている女性から口紅を借り、男の大きなお腹に絵を描いたとのこと。

死後の作品をめぐって数々の戦いが繰り広げられているという状況ですが、デクスさんはピカソについてのエピソードを話しながら「この状況をピカソは喜ぶかもしれない」と語ったとのことです。

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in アート, Posted by logq_fa