1600年代に行われていた街中の壁を利用した農業「フルーツ・ウォール」


寒い地方や時期に作物を育てる際、現代ではビニールハウスや温室が用いられます。しかし、ビニールハウスが発明される前の中世では街中に壁を建設して壁が吸収した太陽光の熱で作物を育てるという方法が採られていました。時に壁が迷路化し、侵攻してきた敵軍が戸惑うほどだったという農法が「フルーツ・ウォール」です。

LOW-TECH MAGAZINE: Fruit Walls: Urban Farming in the 1600s
http://www.lowtechmagazine.com/2015/12/fruit-walls-urban-farming.html

フルーツ・ウォールが作られるきっかけとなったのは、1561年にスイスの植物学者コンラッド・ゲスナーが「イチヂクやスグリを熟させるには太陽によって温かくなった壁を使うと効果的である」という内容を本に記述したこと。ゲスナーの見解は「フルーツ・ウォール」として北フランス・イギリス・ベルギー・オランダなど北ヨーロッパに広がっていきます。


フルーツ・ウォールの仕組みは「昼間の日光を浴びて温かくなった壁が植物の発育環境をよくすると共に、夜間でもゆっくりと熱を放出し、寒気による悪影響を減らす」というもの。雨やひょう、鳥のフンなどから植物を守るため、これらのフルーツ・ウォールには屋根や天蓋が設置されることもあったそうです。

14世紀半ばから19世紀半ばにかけては小氷期と呼ばれ、寒冷環境が続いていました。フルーツ・ウォールが生み出されたのはちょうどこの時期で、寒気をしのぐためにフランスではいち早くフルーツ・ウォールの技術を取り入れ、壁際に沿う形で植物を育て始めたとのこと。


現在でもヨーロッパ建築で、壁一面がツタや果樹で覆われる「エスパリエ」をよく見かけますが、エスパリエは空間を効率的に使いつつ果樹の育ちをよくするという、まさに一石二鳥な方法だったわけです。この時、「しっかり根を張り、空気の循環をよくするために植物は壁から少し離した所に植えるべき」など、技術もどんどん改良されていきました。

フルーツ・ウォールは最初、ベルサイユなど富裕層が多く暮らす地域で見られましたが、技術は地方へも広がっていき、後にパリ郊外のモントルーユはフルーツ・ウォールによる大規模な桃の生産で知られることになります。1870年ごろのモントルーユでは600kmにも及ぶフルーツ・ウォールが形成されていたせいで、街は迷路のようになり、侵攻しようとしたプロイセン軍は混乱してうまく進めなかったそうです。


この時の壁の高さは2.5~3メートルで、厚さは50cmほど。表面は石灰岩のしっくいで塗り固められていました。フルーツ・ウォールの中心部はやや温度が低いため、リンゴやラズベリー、野菜、花などが育てられていたとのこと。もともと桃の産地だったモントルーユですが、最盛期にはさまざまな種類の質の高い果物を年間1700万個も生産できるまでになりました。

1730年、モントルーユと同じくしてフルーツ・ウォールによる果物生産に成功したのが、パリの南西にある街、トムリ。トムリではブドウの生産が有名で、最盛期には300kmにも及ぶフルーツ・ウォールが作られました。ブドウの生育には温暖で乾いた環境が必要なのですが、パリの南部では雨や湿度のある風にさらされてしまうため、南東部が向いていたわけです。

トムリではフルーツ・ウォールのほかに果物の保管技術も大きく改良され、水とブドウの茎を入れたたくさんのボトルを棚に設置する、という方法も編み出されました。これによってブドウの鮮度を保てるそうです。


この他、オランダやベルギーなどの低地でもフルーツ・ウォールを使ったブドウの栽培は行われました。1850年代からオランダのウエストランドとベルギーのフーイラールトはブドウの産地として、178kmに渡るフルーツ・ウォールを築いたとのこと。

オランダのフルーツ・ウォールは、こんな感じで曲がりくねったデザイン。


また、デコボコした形のフルーツ・ウォールもあったそうです。


壁がデコボコした形にデザインされた理由の1つは、強度を上げるため。また、オランダはパリよりも400kmほど北に位置するため、まっすぐの壁よりも高い温度が保てる曲がりくねった壁が重宝されました。

また、スイスの数学者ニコラス・ファティオは、太陽光をより長い時間あびられるようにと、45度の傾斜をもうけた壁をデザインしました。


イギリスでフルーツ・ウォールを使った大規模な農業は行われませんでしたが、1600年以降、カントリー・ハウスの庭では当然のようにフルーツ・ウォールが利用されるようになりました。イギリスの場合、壁の中が空洞になっており、中で火をおこすことによって壁を温め、壁の上部にある煙突から煙が吐き出される仕組みを開発。また、温水管によって温めるタイプのフルーツ・ウォールも存在したようです。


しかし、19世紀後半になり、鉄道が発達して南の地域から果物を輸入することが容易になってくると、人件費がかかるフルーツ・ウォールは衰退していきます。自分たちで育てるよりも、鉄道で輸入する費用の方が安かったのです。

少し話は前後しますが、中世において現代に見られる「温室」の建設がなかなか進まなかった理由は、巨大なガラス板を製造することが困難だったためです。一方で、底のない釣り鐘型のガラスを植物の上に載せ、ガラスの内側の温度を高く保つ、という方法を採用した温室作りは1600年代ごろから始まっていました。


1800年代に入り、オランダとベルギーの耕作者がフルーツ・ウォールに立てかける形でガラス板を設置することで、植物の発育がよくなることを発見。そして徐々に技術を改良していき、1850年ごろにオランダのウエストランド地方で初めてフルーツ・ウォールを利用した形で温室の建造に成功、1881年ごろには178kmあるフルーツ・ウォールのうち22kmがガラスで覆われていたと言われています。


その後、どんどん温室の仕組みは発達していきましたが、肝心な「温かさ」は主にフルーツ・ウォールの仕組み、つまり昼間の太陽光で温め、夜の間に徐々に熱を放出していく仕組みから取り入れていました。夜間や曇りの時など、気温が低くなる時は断熱マットが設置され、現代のソーラー・システムのように機能していたのです。


次第に産業が発達していき、巨大なガラス板が作れるようになったり、化石燃料で効率的に温かさを保てるようになったことで、1890年にベルギーで初めて大きなガラスを用いた温室が作られ、オランダもそれに続きます。そして、サーマルマスの元祖とも言えるフルーツ・ウォールは温室と取って代わる形で消えていきました。


現在、中国では太陽光を使うのに動力を用いない、パッシブソーラー型の温室が約80万ヘクタールも存在します。フランスで発達したフルーツ・ウォールをもとにオランダで展開していった温室の技術は、今では世界中で用いられ、オランダにある温室の約80倍の温室が中国に広がっているわけです。

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