デザイン

街で見慣れた階段・エスカレーターなどのマークはいつ・どのように作られたのか?


今では当然のように駅や建物など街中に表示されている「階段」「エスカレーター」「授乳室」などのピクトグラムが現在の形になったのは今から40年前のこと。文化や言語による隔たりがあってもメッセージを伝えるピクトグラムは国際化が進んだ現代にとって無くてはならないものですが、一体どのようにしてデザインされたのか、当時の様子をAtlas Obscuraがまとめています。

How the Universal Symbols for Escalators, Restrooms, and Transport Were Designed | Atlas Obscura
http://www.atlasobscura.com/articles/how-the-universal-symbols-for-escalators-restrooms-and-transport-were-designed

日本では1964年に開発されたピクトグラムですが、現在使われている「階段」「撮影禁止」などのピクトグラムが考案されたのは1976年のこと。アメリカで建国200年祭が行われた際に、今後オリンピックが開かれ世界各国の人々の交流が活発化してく時代を見据え、アメリカ合衆国運輸省(DOT)は旅行者に対してピクトグラムの使用を標準化していく必要があると考えました。

そこで、DOTは米国グラフィック・デザイン協会(AIGA)と協力して、世界中のピクトグラムを見直し、旅行者に対してメッセージを伝える新たなピクトグラムの考案を開始します。AIGAと契約してピクトグラムのデザインを担当したのはCook and Shanosky Associatesというデザイン会社。グラフィック・デザイナーであり当時社長だったRoger Cook氏は現在85歳で、会社を引退しアーティストとして活動していますが、同じくデザインに関わった同社のDon Shanosky氏は既にこの世を去っています。


Cook氏らが34個のピクトグラムをデザインするのにかかった時間は、ほぼ1年。あまりに集中してデザインに取り組んでいたため、会社の中には他のクライアントを失うのではないかと心配した人もいたほどでした。当時はコンピューターが普及していなかったため、Cook氏とShanosky氏は何百枚ものトレーシングペーパーにデザインを描き、細部に至るまで議論を重ねたとのこと。Cook氏は「人は座ってピクトグラムの意味が何であるかを考える時間などありません」と語っており、ピクトグラムのデザインはメッセージのインパクトを失わせずに、いかに装飾や飾り文字を削除するかに心血が注がれました。

一番最初にデザインされたのは「男性」を示すピクトグラム。DOTは既に男性のピクトグラムを使用していましたが、Cook氏とShanosky氏はそれをそのまま使うのではなく、独自の滑らかで装飾のない形にリデザインしました。男性のピクトグラムはCook氏の愛するサンセリフ体のシンプルなフォント「ヘルベチカ」にちなんで、ヘルベチカ・マンと呼ばれました。


シンプルなピクトグラムをデザインするにはまず、デザイナーたちが「ピクトグラムが何を伝えようとしているのか」を理解することから始まりました。人間のマークは、それが男性であっても女性であっても比較的簡単でしたが、抽象的なものごとに関しては、そこまで作業は単純ではありません。例えば、ヘルベチカ・マンが当局職員である旨を伝えるには、帽子をつければいいのか、ベルトをつければいいのか、移民のマークをつければいいのか……など、議論すべき点が多く存在したわけです。


また「『階段』のピクトグラムにヘルベチカ・マンを含めるべきかどうか」も大きな問題となりました。現在は右上がりの段差マークを見て階段以外のものを連想することは難しいですが、この階段マークが浸透する前は、「どれほどの情報を書き込めば階段だということが伝わるのか」が分からなかったのです。


最終的に、「ピクトグラムとしては書き込みすぎている」ということになり、階段マークにヘルベチカ・マンは含まれないこととなりましたが、一方で「エスカレーター」のピクトグラムには含むことになりました。ヘルベチカ・マンなしでピクトグラムを見た人が「エスカレーター」と理解するのは難しいだろうと考えられたためです。


「水飲み場」を示すマークのヘルベチカ・マンには腕を描くべきか、「犬の立ち入り禁止」マークの犬の鼻は丸であるべきか四角であるべきか、荷物を受け取る場所を示す「荷物を持ち手を上げているヘルベチカ・マン」は友人に手を振っていたりタクシーを止めようとしているように見えないか?など、数々のピクトグラムはDOT、AIGA、デザイナーだけに留まらず、その家族や友人などを巻き込んで何枚も何枚も書き直されました。

約1年かけてデザインされたピクトグラムは、ニューヨーク・ボストン・フィラデルフィア・ワシントンD.C.などで運用が始まり、その後、徐々に全米の交通機関に適用されていきます。そして、さまざまな機関から「撮影禁止」「武器ではない」といったピクトグラムを作ってくれ、という依頼が次々と舞い込み、AIGAとDOTは1979年に16個のピクトグラムを、1985年に5個のピクトグラムを追加しました。以下の図に見る赤ん坊のマークは現在は見慣れたものですが、デザイン改変前はボトルのマークだったものをヘルベチカ・ベイビーに変更しており、以来、赤ちゃんの両親がおむつ交換してもいい場所を容易にわかるようになりました。


1985年、Cook and Shanosky Associatesは当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガンが発行したPresidential Awardを受賞しましたが、Cook氏は「私たちはより多くの人々に『行くべき道』を示しました。このことについて記録を持っているはずですよ」と目に見えない功績について語っています。

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in デザイン, Posted by darkhorse_log

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