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NES(ファミコン)の開発者が任天堂で学んだ7つの教訓とは?

By Jason

ニンテンドーエンターテインメントシステム(NES)」は北米などの欧米諸国で発売されたファミコンベースの家庭用ゲーム機です。欧米ではNESの後継機として登場したスーパーファミコンが「SNES(Super Nintendo Entertainment System)」と呼ばれていたことからも、NESが世界に与えた影響は計り知れないものだったことがわかりますが、そんなNESやスーパーファミコンを設計したのが上村雅之氏。ニューヨーク大学のGame Centerが開催したNESのアメリカ発売30周年の記念イベントで、講師としてイベントに登壇した上村氏が、任天堂初のコンソール機を設計した経験について語りました。

7 things I learned from the designer of the NES | The Verge
http://www.theverge.com/2015/10/18/9554885/nintendo-entertainment-system-famicom-history-masayuki-uemura

◆1:上村氏は任天堂に入社する以前に「ガンコン」を開発していた
任天堂で働く以前にシャープで開発者として働いていた上村氏は、自身がシャープで開発した光電管を応用し、「ライトガン(ガンコントローラ)」の開発技術を任天堂に売り込んだとのこと。


その結果、任天堂は上村氏の設計で初期の「ガンコン」の製造を開始し、シャープの光電管が使われるようになりました。上村氏はシャープの光電管を多くの企業に売り込んでいましたが、「最終的には自分自身を任天堂に出荷することになりました」とコメント。初期のガンコンはターゲット側に光電管が必要だったため、ダーツボードのようなゲームでしか使用できず、「テレビに映る標的を銃で撃つ」という動作はできなかったとのこと。しかし、テレビとコンソール機を別々にしたマグナボックスのオデッセイが登場したことに衝撃を受け、ガンコン自体に光電管を移動させる着想を得たそうです。


◆2:任天堂のゲームはさまざまな着想が成功につながった
上村氏によると、任天堂がゲーム製品で成功したきっかけの多くは別のどこかから着想を得たものであるとのこと。任天堂最初期の「カラーテレビゲーム6」「カラーテレビゲーム15」は「仮想的な卓球」を目指したもので、「ブロックくずし」はアタリの「ブレイクアウト」をモデルに作ったものであり、「私たちはこのようにしてビデオゲームの作り方を学んでいったのです」と上村氏は話しています。当時、日本にもテレビゲームの需要は存在していたものの、インプットがないモデルが多く、ビデオゲーム機の設計には顧客の設備を考慮することが重要だったとのこと。

◆3:ゲーム&ウオッチ
また、当時の任天堂のターニングポイントとなったのは、携帯ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」の開発だったことを上村氏は語っています。開発者の横井軍平氏がシャープの計算機に使われていた液晶技術を見たことで、携帯型液晶ゲーム機の開発が始まったそうですが、ハードウェアを任天堂、電子機器をシャープと、製造が分担して行われました。以前までは1人のエンジニアがハードウェア・ソフトウェアの両方を設計しなくてはならなかったため、設計・製造を分離させたことは「革命的だった」とのことです。

上下に2つのスクリーンを持つ「ゲーム&ウオッチ・マルチスクリーン」が発売された時、任天堂はユーザーが「十字キー」「第二スクリーン」という2つの点に満足していることに気付いたとのこと。十字キーやその他ボタン配置はそのままファミコンに継承され、さらにプレイしながら2つの画面を見るという体験は、「操作しながらテレビを見る」が苦にならないことを示していたため、ファミコンの開発を促進させたそうです。


◆4:アメリカのファミコン事情
1980年代のアメリカでは、対面座式アーケード機「任天堂VS.システム」が発売され、至るところで使われていました。アーケードゲームでマルチプレイが可能な「任天堂VS.システム」はアメリカ人に衝撃を与えましたが、当時の日本人はこのアイデアを好まなかったとのこと。そんな任天堂VS.システムはあまり知られていませんが、ファミコンのシステムを応用したもので、一部のアーケード機のオーナーの中には、隠れたファミコンの存在に気付いた人もいたそうです。

◆5:アメリカ版ファミコン(NES)のデザインが他国と異なる理由とは
日本でおなじみの赤白デザインのファミコンは、「あまりにもゲーム機に見える」ということから、アメリカのビデオゲーム市場で失敗することが危惧されていたそうです。当時のアタリはAtari 2600を「これはオモチャではない」と大々的に広告を打っており、最終的にアタリは自社のゲーム機を「ホームコンピューター」と呼び始めました。Colecoから「コレコビジョン」が発売された時も、「ファミリー・コンピューター・システム」と銘打たれていたことから、任天堂はファミコンのデザインをオモチャっぽく見えないように変更することに決定。自宅においてもなじみやすい「ビデオデッキ」を参考にデザインが変更された「NES」としてアメリカに登場したわけです。


◆6:「ガンコン」がアメリカでNESの販売に大きく貢献
アメリカ市場において異なったのはNESのデザインだけではなく、マーケティングも他国とは異なる方向性を狙ったそうです。アメリカの銃社会を考慮した任天堂は、NESを「ガンコン」のバンドルセットで販売し成功につなげることができたとのことで、上村氏は冗談交じりに「アメリカ人は銃を愛しています」と語りました。


◆7:アメリカ人はNESのコントローラーの持ち方がわからなかった
初期のビデオゲームのコントローラーはジョイスティックやノブがついたものだったため、初めてNESを手にしたアメリカ人にとって、十字キーとボタンがついた四角いコントローラーは使い方がわかりにくかったそうです。以下の写真のように、ボタンをジョイスティックのように挟んだり、十字キーをがっちりホールドするアメリカ人の操作方法は、当時の日本でもニュースになったと言われています。

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in メモ,   ハードウェア,   ゲーム, Posted by darkhorse_log

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