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第二次世界大戦末期に日本が原爆開発を行っていたことを示す新たな証拠が見つかる


1945年8月、日本の広島と長崎に原子爆弾が落とされました。戦争で原子爆弾を投下された唯一の被爆国として「非核三原則」を国是として掲げている日本ですが、第二次世界大戦末期には軍が極秘で原子爆弾を開発していたことを裏付ける新たな資料が発見されました。

日本軍の原爆開発資料発見 京大、GHQの押収免れる : 京都新聞
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20150625000018



New evidence of Japan's effort to build atom bomb at the end of WWII - LA Times
http://www.latimes.com/world/asia/la-fg-japan-bomb-20150805-story.html

新たに発見されたのはウラン濃縮の遠心分離装置開発に関する資料で、京大放射性同位元素総合センターに保管されていたもの。太平洋戦争中に旧日本海軍から原子爆弾の開発を依頼されていた京都帝国大(現、京都大学)の荒勝文策教授の研究室で行われていた開発を記録したもので、研究ノート3冊と関連資料が見つかっています。


終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)により京都帝国大の原子爆弾の開発資料はその一切を押収され、アメリカで機密指定を受けていたためにその詳細はほとんどが不明なままでした。しかし、今回押収されないまま残っていたものが発見されたことで、当時の日本の科学技術史を検証する上で貴重な発見になる、と京都新聞は報じています。

発見された研究ノートには、戦時中に荒勝文策教授の研究室に講師として所属していた清水栄・京大名誉教授の署名があり、戦争末期の1944年10月から11月頃に書かれたものとみられます。なお、時期が曖昧なのは日付が皇紀で記されていたため。

ノートには原子爆弾の開発に必要な「ウラン濃縮」を行うために必要な遠心分離装置に関する数値や資料が記されており、海外の関連論文が写真撮影して貼り付けられていたりするそうです。また、ノートには実際に遠心分離装置を製作するために必要な資材を書き記したページもあり、資材リストには「超々ジュラルミン」など、必要な材料名とその直径や長さなどが細かく記されています。


GHQの押収を免れていた原子爆弾開発資料が見つかってから約1カ月後、遠心分離機の設計図面が別の場所からも発見されています。

戦中日本、原爆研究の新図面 京大でウラン濃縮装置 「完成 昭和20年8月19日」と記載(1/2ページ) - 産経ニュース
http://www.sankei.com/life/news/150726/lif1507260018-n1.html


発見されたのは荒勝文策教授の研究室で独自設計されたと思われる遠心分離機の設計図面と、設計を委託されていた東京計器製作所(現、東京計器)による図面の2点。核物理学の歴史を調べている政池明京大名誉教授が、清水栄教授の遺品の中から発見したそうです。

荒勝文策教授の研究室が設計した図面は昭和20年(1945年)3月に作成されたもので、「空気タービン式超遠心分離装置」と記されています。また、東京計器の図面には「完成 昭和20年8月19日」と記載されており、日本に原子爆弾が投下された8月6日・8月9日からわずか数日後の完成が見込まれていたようです。ただし、実際には同社が製造していた遠心分離機は空襲時に失われてしまったといわれています。

なお、旧日本海軍が委託した原子爆弾開発は「fission(核分裂)」の頭文字を取って「F研究」と呼ばれており、大戦末期の昭和18年に始まったとされています。

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in メモ, Posted by logu_ii

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