全裸で人々が暮らしルールも通貨も存在しなかった究極のヒッピーの理想郷「テイラーキャンプ」



既成の価値観に縛られるのを否定し、文明以前の生活への回帰を説く人々をヒッピーと呼び、1960年代にムーブメントが広がると世界各地でコミュニティを作り独自の生活を送り出しました。その中で、ルールも通貨もなく、衣服の着用も自由で、あらゆる決定が「雰囲気」で行われたヒッピー究極の理想郷と言われるのが「テイラーキャンプ」です。

Precious paradise - Hawaii Features - Honolulu Star-Advertiser
http://www.staradvertiser.com/features/20100627_Precious_paradise.html

TAYLOR CAMP IMAGES - FINDING UTOPIA
http://www.findingutopia.org/taylor-camp-images.html

Paradise Lost: The Hippie Refugee Camp | Messy Nessy Chic
http://www.messynessychic.com/2013/08/29/paradise-lost-the-hippie-refugee-camp/

テイラーキャンプの始まりは1969年でした。1969年というとアポロが月に行き、ベトナム戦争のさなかニクソン大統領が就任、ヒッピー時代の最高潮を象徴するウッドストック・フェスティバルが行われた年です。この年、13人のヒッピーがアメリカの大学紛争から逃げてハワイにあるカウアイ島の人里離れた場所で暮らし始めました。

テイラーキャンプの初期メンバーの1人であるサンドラ・ショーブさんは夫のビクターさんと一緒にハワイに移り住みました。サンドラさんは「その時代のバークレーは今にも爆発しそうな雰囲気で、反戦運動に参加していた私たちに残された選択肢は銃を取るかその場を離れるかのいずれかでした」と語っています。

ほどなくして、サンドラさんらに続き、お金も家もなく、標準的な生活を営むことに興味がないヒッピー家族たちが、その島にやってきました。そこに救いの手を差し伸べたのが、カウアイ島に邸宅を持っていた女優エリザベス・テイラーの兄であるハワード・テイラーさん。テイラーさんはヒッピーたちをハワイ屈指の絶景スポットである自分の土地に招待して、ただで住まわせたのです。

モノクロ写真でも美しい、テイラーハウスのあったビーチはこんな感じ。


電気も施設もない場所に、社会から脱落してきたヒッピーたちは竹や木の破片、落ちていた物などでツリーハウスを作り出します。


「フラワーパワー・キャンパー」と呼ばれた彼らは何の束縛もなく指導者もいない夢のユートピアを実現したのです。彼らは海と島の資源を頼りに生活し、村に必要な医者や助産師を募集し、子どもたちをバスで学校に通わせました。人里離れた土地だったのですが、キャンプの住人たちはバスのドライバーに送迎を頼んだとのこと。


そしてテイラーキャンプのうわさは瞬く間に広がり、ヒッピーやサーファー、ベトナム戦争で傷ついた兵士たちが集まるようになり、誰にも統制されていない海辺のコミュニティがスタートします。


家の中の様子。


キッチンっぽいところ。


トイレは板で仕切られていますが、外からは丸見え。


ミシンなども持ち込まれていたようです。


テイラーハウスで生活する姉妹。


ビーチバレーを行う人々。


全裸で生活する女性。


ツリーハウスだけでなく、手作りっぽさ満載のおうちも作られたようです。


全員が全裸で暮らしているわけではなく、服を着用している人もいました。


現在ラジオのパーソナリティをしておりテイラーキャンプで生活していたロージー・ローゼンタールさんは、当時の様子について「我々は裸でしたが、それはいやらしいものではありませんでした。裸で暮らして、同様に裸の少女を毎日見ていると、彼女が妹のような感じになります。ビーチに布きれみたいなビキニを着ている新入りの女の子がいたら『一体何なんだ?』と不思議に思ってしまうくらいです。そこにいるほとんどがカップルや親子で、バカ騒ぎみたいなものはほとんどなく、中流階級の社会のようなコミュニティでした」と語りました。


住人たちは周りにいる行き詰まった人々をコミュニティに呼び入れ、ピーク時には約120人の人々が2万8000平方メートルの土地で生活しました。サンドラさんによると「キャンプでの生活にテレビはありませんでしたが、何が起こっているのかはハッキリ分かっていました」とのこと。またスーザン・ローリンさんは「ベトナム戦争から帰ってきた退役軍人もいましたが、彼らは一目で分かるほど傷ついていました。笑うことができないのです。だから我々は彼らにもう一度笑う方法を教えました」と語りました。


マリファナなどのドラッグは多くの住人にとって生活の一部だったとのこと。現在はサンフランシスコで普通の生活を送っているデビ・グリーンさんとテリ・グリーンさんの姉妹はLSDを常習していましたが、ばか騒ぎのためにLSDを使用していたのではないと語ります。「精神の集中が必要だったのです。人によっては走ったり満月のよるにボンゴを叩いたりして集中するのでしょうけど、意識を広げようと思ったらLSDを使わなければなりません。私にとってLSDは精神的に覚醒して集中するための道具でした。『LSDを使ってパーティーしようよ!』というものではなかったのです」とのこと。


しかしハワイにもともと存在したコミュニティには、テイラーキャンプを受け入れたものもあれば、そうでないものもありました。

スーザンさんと子どもを何人か育て、後にチェリーという名の女性とパートナーになったハーク・ハミルトンさんによると、ハワイの住民が銃を持って夜中にコミュニティにやってきたことがあったとのこと。ショットガンを掲げた男性は「ドラッグを持っているんだろう?」と言い、恐怖を感じたハミルトンさんは「バカみたいに地面に伏せて、大きな枕を自分を守ってくれる盾みたい持った」と語ります。そしてハミルトンさんはタッカーをつかみ、ピストルのように掲げて「俺は銃を持っているんだ、ここから出て行け!」と叫びました。ハミルトンさんの予想通り男はその場を去り、事なきを得たわけです。

写真の男性がハミルトンさん、右側の女性がチェリーさん。


8年間続いた束縛のない理想郷・テイラーキャンプは、ハワイの観光産業が活発になるとともに、もともとのハワイの住人たちが「ハワイで最も美しい場所を無賃のヒッピーたちが占拠している」という事実に我慢できなくなって終息します。全裸でドラッグを吸う彼らが見苦しく、盗みを働いたという苦情もどんどん大きくなり、1977年、テイラーさんがヒッピーたちに与えた土地は州が獲得しました。ナ・パリ・コースト州立公園への道を開いたことで有罪になり、ヒッピーたちは立ち退きを余儀なくされたのです。その後、当局はヒッピーたちが再び戻ってこないようにキャンプに火を放ちました。現在テイラーキャンプがあった場所はキャンピングカー用の公園になり、公衆トイレやピクニック用テーブルなどが設置されています。


2010年にはテイラーキャンプのドキュメンタリーが作られました。映画「TAYLOR CAMP」の予告ムービーは以下から見ることが可能。

Taylor Camp Film Trailer - 70s Hippie Film Documentary - YouTube


失われてしまったテイラーキャンプですが、当時の出来事はヒッピーたちにとってかけがえのないものとなっており、映画の共同製作者だったロバートC.ストーンさんは「97%の住人が、あの瞬間を人生最高の時間だったと言うでしょう」と語っています。「今この瞬間にもあのときに戻りたい」とコメントするのはテイラーキャンプで過ごした後、公立学校の教師として暮らし、現在は引退生活を送っているデービッド・ピアソンさん。ピアソンさんはテイラーキャンプについて「あの島の生活ほど原始的で美しい生活を想像することができません。あれは私の人生を決定づけた唯一の体験でした」と語りました。

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