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「マネー・ボール」以上のデータ野球を目指す球団が導き出した強くなるための方法は「負ける」こと

By Intel Free Press

マネー・ボール」といえば、野球に関するデータを統計的に分析して選手評価や戦略に応用する「セイバーメトリクス」を、元野球選手のビリー・ビーン氏がチーム運営に用いてオークランド・アスレチックスを強豪チームに押し上げた様子を描いたノンフィクション作品。この作品が出てくるのと前後して日米の野球界ではデータ活用が活発化していったわけですが、外から見ると「完全にやり過ぎ」と感じるレベルの完全データ主義なチームマネジメントを行う野球球団がメジャーリーグには存在します。

Extreme Moneyball: Houston Astros' Jeff Luhnow Lets Data Reign - Businessweek
http://www.businessweek.com/articles/2014-08-28/extreme-moneyball-houston-astros-jeff-luhnow-lets-data-reign


2003年に出版された「マネー・ボール」は、多くのメジャーリーグ球団関係者に「自分たちのアプローチ方法が正しいものか」という球団運営の基礎部分を再考させるきっかけになりました。カージナルスのオーナーであるウィリアム・O・デウィット・ジュニア氏も球団運営について再考させられたひとりで、「自分たちのアプローチが最先端の正しいものであるかどうかを確かめ、外部から新たな見知を得たい」と考えるようになったそうです。

当時のカージナルスは3年連続でプレーオフに出場しており、大きな変革が必要とも思えない状況でしたが、中規模の球団であったため高額なフリーエージェント(FA)を獲得する余裕がなく、そのため「ファームが非常に弱い」という欠点を持ち合わせていました。

そこで、デウィット氏は自分の義理の息子であり、McKinseyにて経営コンサルタントとして働いていたジェフ・ルーノウ氏に声をかけ、より良い選手評価システムの構築を依頼します。ルーノウ氏は新しい選手評価システムを作るためにNASAのエンジニアSig Mejdal氏を雇い、他球団との間に競争的優位を生み出すべく、デウィット氏と多くの議論の場を設けたそうです。

野球関連の職業に就いているとは思えない程スーツ姿が似合うこの人がジェフ・ルーノウ氏。

By Eric Kilby

しかし、カージナルスの一昔前のシステムの中で働いてきた人々にとって、突然現れたインテリ風のルーノウ氏たちが行うことはどうにも鼻につくらしく、思わぬ反発にも多々あったそうです。「コンサルタントが企業に赴けば、大抵の場合は懐疑的な意見を持った企業の人々と面することになる」と言うのはルーノウ氏の元同僚であるMichael Farello氏。過去にクライアント契約を結んだ相手企業の上司に車のタイヤをパンクさせられた経験もある、というルーノウ氏ですが、McKinseyで教わった「クライアントから支援を得るためにうまく関係を築く方法」を駆使し、周りとの関係を築いていったそうです。

ルーノウ氏は周囲の人間を完全に説き伏せようとはしませんでしたが、彼の行うことにデウィット氏は強い感銘を受けた、と語ります。そして、最終的にはルーノウ氏をセントルイス・カージナルスのスカウト部門のトップであるゼネラルマネージャー(GM)に任命し、前GMでルーノウ氏と対立していたWalt Jocketty氏をカージナルスから追い出す結果となります。当時を振り返り、「ルーノウをGMにすることはちょっと異常なことで、議論の的にもなったよ。しかし、彼の経験と洞察力が球団を成功に導いてくれるだろうと信じていた」とデウィット氏はコメントしています。

そんなデウィット氏の予測通り、ルーノウ氏はドラフト会議で素晴らしい成果を上げます。ルーノウ氏がカージナルスのGMに就任してドラフト会議での選手選考を担当したのは7年間ですが、その間に獲得した選手のうちメジャーに昇格した選手の数は他のどの球団よりも多く、2013年10月にセントルイス・カージナルスがボストン・レッドソックスとワールドシリーズを戦った際には、登録リスト上の選手25人中16人がルーノウ氏が任期中にドラフトで獲得した選手だあった、とのこと。

By Keith Allison

そんなルーノウ氏に目をつけたのが、2011年にヒューストン・アストロズを買収したジム・クレイン氏。この時、アストロズはシーズン56勝106敗という史上まれにみる最悪な記録を残しており、クレイン氏は球団再生のために必要な人材としてルーノウ氏にスポットを当てたそうです。

クレイン氏はセントラルミズーリ大学にて2度全米代表のピッチャーに選ばれたことのある人物で、大学卒業後はロジスティクス・ビジネスで富を築き、この経験からデータの価値を重視するようになったそうです。

クレイン氏はアストロズの最も重要なゴールとして、「セントルイス・カージナルスのような球団に変わる」というものを設定し、これを少しでも速く実現したいと考えていました。そしてクレイン氏が球団再生の切り札として引き抜いたルーノウ氏は、セントルイス・カージナルス時代よりもデータ活用を進めたいと考えており、「数字がアストロズをコントロールする」ようなこれまでにない無慈悲で効率重視な方針を提案し、クライン氏はこれに賛同します。

By Austin Kleon

そして数字が導き出したアストロズを強くするための方法というのが、「負ける」というもの。アストロズは財政的に余裕のある球団ではないので、一軍に大金を掛けながら他の足りない部分を整備するほどのお金がありません。そこで導き出された施策が、2、3シーズンの間チームが負けてもかまわないのでできる限り一軍の出費を抑え、ここから捻出された資金を「ファーム」「分析スタッフ」「新しい野球学校をドミニカ共和国に作る」などの資金効率の良い部分に分配する、というものだったわけです。

これが素晴らしい案ではないことを重々承知の上で、クライン氏はこのアイデアに乗ります。2013年シーズンのスタート時、アストロズが選手に支払う予定の年俸合計はリーグで一番少ない2700万ドル(約28億円)でしたが、ルーノウ氏はこの施策に沿って年俸の高い野球選手としては優れた選手たちをトレードで放出し、チームは弱くなりましたがシーズンの終わりには選手年俸の合計額が1300万ドル(約14億円)にまで下がりました。なお、メジャーリーガーの平均年俸は約3億5000万円といわれており、一軍には25人の選手が登録されることを考えると単純計算でひとチームの合計年俸は約87億5000万円。これと比べればアストロズがいかに年俸を抑えている、つまり「今勝つことを目的としていないチーム編成」をしているかがよく分かります。他の球団がワールドシリーズを目指してチームの補強を行っている中、アストロズはシーズンを通して負けまくり、それでもドラフト1位の注目のルーキーを狙い続けているわけです。

この結果、アストロズのファームのレベルは球界屈指のものになってきています。


ESPNの野球コラムニストや批判家たちは、「給料総額がたったの2700万ドルというのは、負けるためのチームを構築しているようなものです。大敗は免れず、最悪の記録を作り出してしまうことは間違いない」と口々に批判しており、実際に2011年から2013年までのアストロズの成績は、1962年から1964年までのニューヨークメッツの成績よりも酷いものになっています。

しかし、メジャーリーグのほとんどの球団はアストロズの実験にさして興味を示していません。この理由を、「ボストンやニューヨークのような場所ではアストロズで行っているような大胆な施策は決し行えないから。なぜならそんな暴挙をファンが受け入れるわけがないからね」と説明したのは、レッドソックスにてGMを務めるベン・チェリントン氏。他球団のオーナーも、アストロズの試みは「スポーツマンらしくない」だとか、ファンのことを考えれば実行できないだろう、とのこと。

もちろんヒューストン・アストロズの本拠地であるヒューストンでも、アストロズの方針を快く思っていない人は大勢おり、地元紙Houston Chronicleにて番記者を務めるEvan Drellich氏は、ルーノウ氏がバド・ノリスをアストロズから追い出したことを受けて「彼らは明らかにメジャーリーグのはみ出し者です。そして彼らは本当に見ていて腹立たしい」というコラムを公開しています。

By Keith Allison

アストロズのオフィスを訪れると、そこがコンサルティング会社のオフィスに非常に似ていることに驚かされます。働いている人たちはみな頭脳明晰で、熱心に仕事に取り組んでいます。ルーノウ氏は自身の周りにエンジニアやコンサルタント、データ科学者、物理学者などのスタッフを集めており、それらのスタッフは、以前のルーノウ氏と同じく野球と関係のない仕事をしてきた人物達であるそうです。

アストロズに集まる専門家達は、新しく利用可能になったデータをうまく活用するために集められているスタッフです。メジャーリーグのスタジアムには、PITCHf/xやドップラーレーダーのTrackManなどが配備されており、試合中のボールの位置や加速度、動き、速度、ボールの回転軸まで詳細なデータが取れるので、これらを余すことなく活用するためにさまざまな分野のエキスパートの力が必要になるようです。

By Ken Teegardin

ルーノウ氏がドラフト会議で獲得した選手が後にメジャーに昇格して活躍していることからも、彼のデータを使った予測能力の高さは伺えますが、この能力は過去にデザイナージーンズを販売した経験から得たもの、とのこと。

リーバイスの元社長が「お客様からの自己申告の意見を聞き、正確なサイズのパンツを作るとします。その時お客様は本当に正直に答えてくれているのでしょうか?見栄を張っていないでしょうか?どうやって実際のサイズと想像上のサイズを比較して確かめるのでしょうか?」と語るように、顧客が願望的に申告したサイズのパンツが履けなかった場合、顧客はパンツを返品してくるのでこれは重大な問題でした。しかし、時間と共にリーバイスには顧客のサイズ感を予測するのに十分なデータが蓄積され、このデータを元にサイズの修正が行われるようになった、とのこと。

ルーノウ氏はこのような「データを活用した予測」をカージナルスでも活用できないかと考え、そこから生まれたのがドラフト会議での選手選考方法など、というわけです。

By D.L.

過去3年間、アストロズでは従来の野球に関する知識の何が役立つもので何がそうではないのかを調査してきました。NASAで働いていたところをルーノウ氏に引き抜かれたMejdal氏は、「なぜマイナー・リーグは能力主義ではないのか?」などについてブレーンストーミングし、データ分析から導き出されたより良い練習方法などを行うように、根気よくチームを説得してきた、とアストロズでの仕事について語ります。

アストロズは守備シフトが多いチームで、例えば左利きのプルヒッターに対してはショートが二塁の右側に移動することで、ゴロの打率を約30ポイント低下させる、などの少し奇妙ですがデータに基づいた守備方法を徹底しているそうです。


他にもアストロズの二軍では従来の「5人のピッチャーでのローテーション」ではなく、4、5回を連続でひとりの投手に投げさせ、1試合を2人の選手に投げさせるという「タンデムシステム」を採用することで、よりピッチングの才能がある選手を発掘できるようになっています。このシステムは、ピッチャーが実力を証明するための機会を増やし、チームのせいで才能が埋もれる、といったことを防ぐためのもの、とのこと。

ルーノウ氏はこのシステムが発見したダイヤの原石として、Tommy Shirleyという名前の左腕投手を挙げています。「彼は左腕投手の専門家からは『リリーフ投手』と見られたでしょう」とルーノウ氏。しかし、現在ではShirley選手はマイナーリーグのAAAで先発投手として活躍するレベルにまで成長しています。

By Bugsy

ルーノウ氏が活用するデータは多岐に渡り、とても頭の中で考えることができるレベルのものではありません。そこでアストロズでは、変数をすべて考慮し、分析チームの調査結果を基に重みづけも行ってくれるプログラム「Ground Control」が活用されています。これは言うなればアストロズの「頭脳」で、統計やメモからチームの選手ごとに期待される数値を出すことも可能。

そして何人かのプレーヤーの名前の隣りには緑色のタブがあります。この表示はアルゴリズムにより自動で生成されるもので、この表示は「選手の昇格準備が整っている」ということを意味します。さらに、灰色アイコンは降格、黒色アイコンはクビにすべき選手を意味する、とのこと。

コリン・マクヒュー選手は、これまでメッツやコロラド・ロッキーズのマイナーリーグなどで活躍してきたものの、結局は戦力外通告を受けてアストロズに拾われる形となった投手です。ロッキーズはマクヒュー選手のシンカーが魅力的であると考えていたそうですが防御率は8.94とズタボロでした。しかし、アストロズの分析チームの調査によれば、通常のカーブが毎分1500回転程度で回るところ、マクヒュー選手のカーブは毎分2000回転と群を抜く回転数をたたき出すはワールドクラスのカーブであることに気づきます。

By slgckgc

アストロズは表面的な統計データ(過去の成績)だけでは分からない部分にスポットを当て、マクヒュー選手の可能性を見いだしました。その後、分析スタッフはピッチングコーチと相談し、マクヒュー選手の球種を変更。シンカーの代わりにフォーシームを投げさせ、さらに「ストライクゾーン高めにボールを集める」という一般的な投球論とはかけ離れた指示も出します。

「誰もが『ボールを低めに集めて』と言います」と言うのはアストロズのピッチャーコーチを務めるBrent Strom氏。メジャーリーグの球団は、「三振を取るかホームランを打たれるか」といったタイプよりも「ゴロを打たせて取る」タイプの投手を好みます。しかし、この傾向の影響でメジャーには低いボールを打つことにばかり慣れて高いボールは苦手になった打者が増えてきている、とのこと。そこで、アストロズはマイナーリーグにて高めのボールの有効性を確かめ、有効であることの確認が取れたので一軍のピッチャーにも高めのボールを使った組み立てを練習させ始めたわけです。なお、高めのボールは特にアッパースイングの打者に有効、とのこと。

これらの結果、シアトル・マリナーズとのシーズン序盤での試合に登板したマクヒュー選手は、12個の三振をとり、ひとりの打者も出さない、という好成績を残しました。


現在のアストロズは、ESPNのファーム評価が急上昇し、一軍の年俸合計は一時期よりも上昇してきていますが、チームの年俸合計は4400万ドル以下と、メジャーリーグのどの球団よりも低いものです。

以下のグラフは左が選手年俸の合計を表したグラフで、右がレギュラーシーズンでの勝利率を表したグラフ。


ようやく好調に回るようになってきたかに見えたルーノウ氏のプロジェクトですが、アストロズは2014年の初めに保守的な野球論を持つノーラン・ライアン氏を球団に引き入れます。そして、トレード期間ギリギリになると毎年行っていた戦力外選手の投げ売りは、このライアン氏によって阻止されています。このように、初めはルーノウ氏に全幅の信頼を示していたオーナーのクライン氏にも多くのファン同様我慢の限界が見えてきている様子。ルーノウ氏の革命が無事成功するのか、それとも周囲の我慢の限界が先に来るのかは分かりませんが、今後もヒューストン・アストロズがプレーや選手獲得などさまざまな角度から球界を楽しませてくれるであろうことは間違いありません。

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in メモ, Posted by logu_ii